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サラの鍵

☆サラの鍵<2010年・フランス>

 監督:ジル・パケ=ブランネール
 原作:タチアナ・ド・ロネ
(2012年1月24日、京都シネマ・2)


 概して、人は弱い。
 だから、自分や自分の身近な人間の犯した過ちをなかなか認めようとはしない。
 もしくは、過ちなどなかったかのようなふりをする。
 はては、ふりが高じて本当になかったものと信じ込んでしまう。
 個人でもそうなのだから、そんな個人が寄り集まった集団、組織、社会、国家だとて、いや個人の顔が見えにくくなるからこそなおのこと、過ちはなかったことにされやすいだろうと予想できるし、現になかったことにされやすい。
 過ちに目を塞ぐということは、過ちの原因にも目を塞ぐことにつながるだろうから、結局似たような過ちが繰り返される…。
 などと、ジル・パケ=ブランネール監督の『サラの鍵』を観ながらついつい思ってしまった。

 1942年7月、ナチ占領下のパリでフランスの警察が行ったユダヤ人の一斉検挙=ヴェルディヴ事件について取材を進めるジュリア(アメリカ出身)は、自分の夫の家族が所有するアパートの一室にかつてユダヤ人の家族が居住していたことを知り、未だ生死不明の姉(サラ)と弟二人の消息を調べ始めるが…。
 といった具合に、『サラの鍵』は展開していくのだが、冒頭、上述したフランスの警察による暴力的な検挙のあり様が丁寧にかつテンポよく描かれるとともに、タイトルとも重なる一つのエピソードが提示される。
 そして、それがジュリアの今と結び付いていくのだけれど、過去と今との交差のさせ方がまずもって巧い。
 シリアスな内容だけに、笑いの要素、くすぐりのようなものは一切ないにも関わらず、サラと弟がどうなってしまうのか、またジュリアの夫の家族とサラたちとはどう関係していたのかという興味や想いで、物語に惹きつけられてしまった。
 またその後も、一つの謎の答えが見つかったのちに新たな謎が生まれ、今を生きる人たちにしっかりつながっていくという流れとなっており、約二時間、観飽きることがない。
 自分や自分の家族、自分の所属する集団、組織、社会、国家の過去と向き合うことは、それらの今と向き合うこと。
 と、まとめてしまうと単純に過ぎるかもしれないが、そうしたことの大切さを改めて感じる一本だった。

 ジュリアを演じるクリスティン・スコット・トーマスをはじめ、役者陣もなべて好演である。
by figarok492na | 2012-01-24 22:56 | 映画記録
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