☆辻企画 第六回公演『不埒なまぐろ』
脚本・演出:司辻有香
演出補佐:古野陽大
(2013年1月21日19時開演/アトリエ劇研)
*NPO劇研枠での招待
辻企画にとって6回目の公演となる『不埒なまぐろ』の感想をどう記そうか、とても迷っている。
いや、実は、出演者の大熊ねこが発する言葉が、司辻有香の肉声にふと入れ替わるような感覚に何度もとらわれたことから、本人と別の歌手が歌った中島みゆきの歌のことを枕に、大熊ねこの演技の持つ大きな意味や強い力(彼女が出演したからこそ可能となっただろう事ども)についてや、それでも、だからこそ、司辻さん本人が自作に出演すべきなのではないかと感じたこと(C.T.T.での彼女の演技のことも絡めながら)等をまとめてみようかとも思ったのだけれど、そういうことをこぎれいに書くこと自体が、自分の感じたことを巧く言語化してごまかす作業のような気がして嘘臭く、やめにした。
ううん、『不埒なまぐろ』を観て感じたこと。
それをどう書き表わせばいいか。
ちょっと的外れかもしれないけれど、筒井康隆の『エディプスの恋人』<新潮文庫>のラスト近くで、ヒロインの火田七瀬がとらわれてしまった感覚にどこか近いものが…。
いや、違うかな。
なんだか応えようのない質問を投げかけられたようなとまどい。
いや、あたふたととまどっているのではないのだが。
と、言って、描かれていることのわけがわからないのでがなく、ただそうした事、ものが自分のうちに顕在するのでなく、それどころか、全く無縁だと常日頃から感じ、だから自分は「底が浅い」のだと友人知己に繰り返し語っていることでもあるため、馬鹿にしているのでもなく揶揄でもなく「ああ、これはすごいな」と思いはするのだけれど、では、じゃあどう応じるのかと問われれば、ううんいや、と口ごもってしまうような。
もしこの作品が、もっと客観性を欠いた内面呪詛の塊のような内容であったり(だったら、『不埒なまぐろ』なんてタイトルにはならないだろう)、逆により露悪性の強い過剰でエキセントリックな「挑発」であったりすれば、受け取り方感じ方も大きく変わったのかもしれないが。
(もしそうであれば、それこそ増村保造風の「いっちゃい過ぎた」邪劇として、司辻さんの想いなどお構いなしにただただ面白がったかもしれない)
心をぐぐっと激しく動かされるのではなく、かと言って冗長退屈つまらないのでもない、曰く言い難い感覚に今も、そう今もとらわれている。
だから、この『不埒なまぐろ』を観ておいてよかったと思うし、司辻さんの次の作品もきっと必ず観たいとも思っているのだけれど。
そして、出演の大熊ねこ、タケダナヲキ、田中浩之の三人に、改めて大きな拍手を贈りたい。