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我まとめるゆえに我あり ジンマン指揮の『英雄の生涯』と『死と変容』

☆リヒャルト・シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』&『死と変容』

 指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2001年1月、2月/デジタル・セッション録音)
<Arte Nova>74321 85710 2


 我思うゆえに我あり。
 とは、おなじみデカルトの命題で、さすがは私、自己自我意識が尊ばれるヨーロッパらしい。
 と、感心してみせたが、まあ、命題は命題、理念型は理念型(byマックス・ウェーバー)、ヨーロッパの人たち全般をそうした自己自我意識の確立した人と規定してしまうのもどうかとは思うし、ましてやそれを俺が我がの我がまま勝手と解しちゃまずいだろうが。
 ただ、いわゆる芸術家となれば話は別で、俺が我が、己の表現表出欲求に長けた人々とにらんでもまず間違いはあるまい。
 中でも、ベートーヴェン以降、ロマン派の作曲家たちには、我作曲するゆえに我あり、とでも呼ぶべき自己表現と自己表出を強く感じる。
 で、ドイツの後期ロマン派を代表するリヒャルト・シュトラウスなんてその最たるもの、だって交響詩『英雄の生涯』なんて自分を英雄に見立てた私交響詩的色合いの強い作品を作曲してるんだもの!

 って、つらつらと記してみせたけど、これってどうなんすか?
 確かに、一見『英雄の生涯』は自己顕示欲の表われみたいな作品だけど、その実そんな自分をからかってみせる皮肉なまなざしだって十二分に含まれているように僕には思われてならないのだ。
 我疑うゆえに我あり。
 それに、リヒャルト・シュトラウスはオーケストラやオペラの現場をよく知った(と、言うことは演奏家や歌手たちの我がまま勝手もよく知っていた)職人なわけで、『英雄の生涯』一つとっても、ここは押してここは譲ってといった演奏者たちとのかけ引きが聴こえるような気がする。
 我さばくゆえに我あり。
 だから、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルのようなそれいけどんどん、我統べるゆえに我あり的な演奏でこの曲を聴くと、いやあ凄いねと思う反面、ちょっとげんなりしてしまうことも事実だ。
 君にはあれが見えないのか?(by榎木津礼二郎)

 ところが、デヴィッド・ジンマンと手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団による録音ならば無問題。
 クリアでスマート、すっきりすいすいテンポのよい演奏で、げんなりすることなく最後まで聴き終えることができる。
 と、言って無味乾燥とは正反対、作品の要所急所、構造をしっかりきっちりと押さえた演奏で、リヒャルト・シュトラウスの音の仕掛けが明示されている。
 我まとめるゆえに我あり。
 この曲に形成肉のような脂臭さを求めるむきにはお薦めできないが、リヒャルト・シュトラウス、『英雄の生涯』というタイトルだけで敬遠している方々にこそぜひともお薦めしたい一枚だ。

 カップリングの『死と変容』も、作品の結構を巧くつかまえた演奏。
 強奏部分に到る音の動き、流れが特に魅力的である。
 こちらも、大いにお薦めしたい。

 なんて、我聴くゆえに我ありだなあ。
 いや、我書くゆえに我ありかなあ。
by figarok492na | 2013-11-30 14:53 | CDレビュー
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