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小泉博さん、今福将雄さん、高瀬久男さんが亡くなった

 人は死ぬ。
 必ず死ぬ。
 自分自身も絶対に死ぬ。
 そのことは充分承知しているつもりだけれど、自分自身が慣れ親しんだ有名人が続けて亡くなると、あの人もこの人も、ああ、という気になってしまう。
 今井雅之や今いくよさん(立命館大学の公費助成企画で一度ご一緒させていただいたことがあるが、巷間伝わっている通りのお人柄であり、くるよさんとの仲の良さであった)、暁照雄、町村信孝と亡くなって、今度は小泉博さんに今福将雄、高瀬久男さんだ。

 1970年代の幼少期をテレビとともに過ごした人間にとって、小泉博さんといえば、どうしてもフジテレビで10年間にわたって放映されたクイズ番組『クイズグランプリ』の司会を思い出す。
 同じく俳優が司会を務めたクイズ番組としては田宮二郎、及び山口崇の『クイズタイムショック』、同じ博の柳生博の『100万円クイズハンター』、そして児玉清の『アタック25』をすぐに思い起こすが、彼らがどこか単なる司会者に留まりきれない良い意味での個性を発揮していたとすれば、小泉さんはNHKのアナウンサーばりの端正な司会でかえって強い印象を残した。
 まあ、NHKのアナウンサーばりというのは当たり前で、もともと小泉さんはNHKのアナウンサーの出身である。
 戦前の政界で異彩を放った政友会所属の代議士三申小泉策太郎(名は体を表す。策の人だった)の八男として生まれ、慶應義塾大学を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局する。
 その後、藤本真澄率いる藤本プロ、豊田四郎監督の『えり子とともに』への出演を機にNHKを辞め、さらに藤本の誘いでニューフェイスとして東宝に入社した、といった俳優転向に関する経緯はwikipediaにも詳しく書かれているところだろう。
 訃報では、実写版=江利チエミ版の『サザエさん』でのマスオさん役や、東宝特撮映画での活躍が記載されていて、実際その通りなのだけれど、小泉さんといえば、どうしても本多猪四郎監督の『マタンゴ』を忘れることができない。
 ヨットの船長!
 あと、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』でNHKの名物アナウンサー和田信賢(終戦の放送を担当した)を演じていたが、あれはあの任務を含めた大先輩への敬意が感じられるものだった。
 一方で、『クイズグランプリ』の司会やドラマとテレビの世界でも活動の場を広げていた小泉さんだが、1980年代半ばから突然その姿を見かけなくなる。
 と、いうのもこの頃から小泉さんは日俳連や芸団協の幹部として俳優・表現者の地位向上に従事することになったからである。
 あれはもう25年近く前になるか。
 僕が小泉さんと軽くご挨拶したのも、芸団協の幹部ということで参加されていた(そして、何かスピーチをされたはずだ)日本音楽家ユニオンのオーケストラ関係のシンポジウムでのことだった。
 晩年、俳優としての活動を再開されていたけれど、目立って大きな役というのはなかったように思う。
(ジェームス三木脚本のNHKのドラマ『憲法はまだか』での高野岩三郎や、志田未来がセイラを演じた『小公女セイラ』での要潤の執事役を挙げることもできるけど)
 それでも、犬童一心監督の『ゼロの焦点』の仲人は強く印象に残っている。
 一瞬だけしか映らない黙役だったが、こちらが小泉さんの人となりを知っているだけに、あの仲人には充分な存在感があった。
 享年88。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 小泉さんが出演されていた『日本のいちばん長い日』で畑俊六を演じた、今福将雄も亡くなった。94歳。
 NHKの福岡放送劇団で活動したのち、文学座の研究員から座員となり(晩年は映画放送部所属)、演劇、映画、テレビドラマと幅広く活躍した。
 若い頃から老け役を得意としていて、その台詞遣いなど、同じ九州出身の笠智衆を明らかに意識した演技を行っていたと思う。
 ただ、笠さんが計らないように見える大らかさ、朴訥さを身上としたとすれば、今福さんは、どこか計算の見える朴訥さ、とぼけぶりだったように感じる。
 そしてその計算している風が、良い意味で大物になれない悲哀というか、おかかなしさ(by色川武大)に繋がっていたとも感じる。
 映画、テレビドラマと出演作多数。
 特に、上述した『日本のいちばん長い日』を皮切りに、『肉弾』、『吶喊』、『ブルークリスマス』、『英霊たちの応援歌』、『近頃なぜかチャールストン』、『ジャズ大名』と岡本喜八監督の作品に多く出演した。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 文学座つながりでは、座員で演出家の高瀬久男さんも亡くなった。
 玉川大学卒業後、文学座研究所を経て座員となり演出部に所属、テキストをよく読み込んだ、細やかで鋭い劇の造り手として知られた。
 また、オペラシアターこんにゃく座等、オペラの演出も度々手がけた。
 高瀬さんといえば、まずもって京都芸術センターでの取り組みを忘れるわけにはいかないだろう。
 関西京都の演者陣も含む顔ぶれとの共同作業の成果である、京都ビエンナーレ2003 演劇公演『宇宙の旅 セミが鳴いて』(鈴江俊郎さん作、高瀬さん演出。豊島由香さんや岡嶋秀昭さんも出演していた。2003年10月8日、京都芸術センター講堂)は、鈴江さん本人をはじめ、周囲の演劇関係者にはあまり評判のよいものではなかったものの、俳優たちが東京流(文学座流というとちょっと違うかな。東京で観たいくつかの芝居と同じ手触り、雰囲気といった具合にとらえてもらえればありがたい)のシャープでクリアな演技を行っていることに、僕は滅法感心したものだ。
 そうそう、これは東京の演劇人から直接耳にした話だが、緊張感に富んだ稽古を行う演出家の一人だったそうである。
(別の東京の演劇人は、「神経質っぽいとも言えるけど」と付け加えていた)
 この数年は癌のため闘病中だったと伝えられている。
 それにしても、57歳での死は早すぎやしないか。
 深く、深く、深く、深く黙祷。
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by figarok492na | 2015-06-02 12:30 | その他
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