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バスに乗り遅れろ 1

 京都は、ブッシュの●●息子の入洛で、戒厳令下そのもののうっとうしさだ。

 いや、この何とも言えないうっとうしさは、小泉純一郎が政権を担って以来、加速化し持続されているものである。
 だが、こうした状況を、単純にファッショ化と断定することは、かえって状況の根幹にあるものを隠蔽する手伝いをするだけに過ぎないから、僕は慎みたいと思う。
 ただ、少なくとも、こうした状況を是とし、流されるままに流されたいとも思わない。

 グラムシの「陣地戦」論を、僕はとうていしっかりと理解できている人間ではないけれど、現状がある方向に進んでいる中で、ある時は踏み止まり、ある時はゆっくりと歩いていくことで、事態の真相を見極め、その真相を批判し、その真相の変革を促す積極的な方法を提起した考え方だとは思っている。
 そうした彼のひそみに倣えば、演劇という行為もまた、日々の状況の中に陣地を築く有効な手段、少なくともそうした可能性を秘めた方法の一つであるだろう。

 むろん、演劇は「戦略」ではない。
 まずは、何のために演劇というものがあるのかということ、創り手の側だけでなく、観る側の立場に立ち、さらには創り手と観る側の「対話」という意味合いについて考えることを忘れてはなるまい。
 誰にとってもつまらない芝居など、はなから必要ないのである。
 アジテーションやシュプレヒコールの代用物であるお芝居は、ただただうっとうしいだけだ。

 けれど、創り手の側が現在の諸々の状況に不満や疑問を感じ、それを何とかしたいと考えるのであれば、当然観る側の存在を配慮した上で、それぞれのよしとするやり方で、舞台を創り続ければいい。
 そうした広い意味での「政治性」は、これからますます必要とされるだろう。
(演劇という行為そのものが、広い意味での「政治性」を含んでいることを、創り手の側はもっと自覚する必要があるのではないか?)
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by figarok492na | 2005-11-16 13:10 | バスに乗り遅れろ
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