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一日一枚 44:ヤマカズさんのモーツァルト

 ☆モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」他
  山田一雄指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
  <fontec>FOCD3137

 「ヤマカズさん」の愛称で知られた山田一雄が最後に録音した、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」、歌劇『偽の女庭師』序曲、セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」を聴く。

 山田一雄は、個性あふれる人だった。
 指揮者として、作曲家として、音楽家としてもそうだし、山田一雄という一人の人間としてもそうだった。
(僕は、懐かしの『連想ゲーム』出演の際の、ヤマカズさんのとんちんかんな言動が未だに忘れられない)
 例えば、弟子の「コバケン」こと小林研一郎にも受け継がれている、演奏中のうなり声など、その際たるものだろう。
 ただ、今にして思うのは、あの「ううっ」とか「いえやっ」とか「ういい」という山田一雄の声は、自分の頭の中にある音楽を、何とか日本のオーケストラ(団員たち)に表現してもらいたいという叱咤激励でもあり、心の叫びだったのかもしれない。
(「笛吹くから踊ってくれ」的な、京都市交響楽団とのフランクの交響曲、終楽章の乱舞ぶりは、僕の脳裏にしっかりと焼き付いている)

 新日本フィルとのこのCDでは、山田一雄の「乱心」ぶりよりも、彼のオーソドックスな楽曲解釈が鮮明に表れているように、僕には感じられる。
 モーツァルト−古典派に対するアプローチが大きく変化した現在の状況からすれば、いくぶんオーソドックスに過ぎると思えなくもないが、作品と向き合う真摯な姿勢は、それでも充分伝わってくるのではないだろうか?

 山田一雄と日本のオーケストラによる正規の録音があまりにも少ないことは、僕には非常に残念でならない。

 なお、山田一雄に関しては、渡辺和彦の『クラシック辛口ノート』<洋泉社>の、「日本のクラシック受容に捧げた生涯 −山田一雄は語る」が比較的詳しい。
>ぼくはモーツァルトだけは音楽家として図抜けていると思っています。
 彼の音楽だけは、宇宙、神、そのものだな。
 それでいて、いつ聴いても楽しい。
 ドゥア(長調)であっても悲しいし、モル(短調)でも明るい。
 われわれの宇宙なんて、絶対的に悲しい、なんていうものはなくて、二面性をもっているでしょう。
 そして、いろんな光を背負って生きている。
 そういうすべてのものが、彼の音楽からは感じられる。
 こういう世界を、自分が感じながら生きているから、毎日毎日つらいけれども、ぼくは幸福な生涯だ。
 メシを食わなくたって、寝なくたってやっていける、という魔力、呪性、魔性がある。
 それとの交流が音楽なんだ<
(モーツァルトの音楽についての、山田一雄の言葉)
by figarok492na | 2006-01-06 12:19 | 一日一枚
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