☆バックス:妖精の丘にて、ファンドの園、交響曲第1番
デヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
<NAXOS>8.553525
シベリウスときたら、ニールセン。
と、いきたいところだが、あいにく手元にニールセンの交響曲のCDがない。
仕方がないので、窮余の策ということで、シベリウスにも強い影響を受けたというイギリスの作曲家、バックスの交響曲第1番のCDを聴くことにする。
(実はこのCD、すでに
こちらでも取り上げられているのだが、この一日一枚でもアップしておくことにした)
で、このCDには、交響曲第1番の他に、交響詩の『妖精の丘にて』と『ファンドの園』もカップリングされていて、バックスの管弦楽曲の入門編という趣きにもなっている。
が、だ。
ううん、何て言ったらいいんだろう。
今回久しぶりに聴いてみて、やはり、やたらとファンファーレ風な楽句の多い音楽だなと思ってしまう。
例えば、『妖精の丘にて』などでは、幻想的で耽美的な場面も結構あるのだけれど、それが必ずと言っていいほど、金管群大活躍の強奏で打ち破られてしまうのだ。
特に、交響曲などは、ファンファーレのオンパレードで、おっさんいつまでいちびっとんねん、と突っ込みを入れたくなるほどの力みぶりだ。
(ところどころフランス印象派の影響を感じ取れることは取れるが、それより何より、リンク先の方も書かれているように、昔のハリウッド調の映画音楽を連想してしまう。ヒッチコックの『レベッカ』とか)
ただ、こういう風に感じてしまう大きな原因の一つは、デヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏にあるかもしれない。
と、言うのも、デヴィッド・ロイド=ジョーンズとロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団は、作品の持つ「柔らかさ」を丁寧に表現するどころか、かくかくしかじかぎくしゃくと、バックスの音楽を豪快なほうへ豪快なほうへ引っ張っていっているような気がするからである。
もしかしたら、演奏が変われば、作品に対する感想も大きく変わってくるのでは、と思ったりする。
いずれにしても、イギリス音楽好きの方以外には、あまりお薦めしにくい一枚だ。