人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< カラヤンの『ツァラトゥストラは... 東の島の大王ヒロヒトサ >>

大阪・精華小学校跡地は「未利用地」ではない(朝日新聞・吉浜織恵記者の記事を受けて)

 今朝、3月15日の朝日新聞朝刊(14版)の35面=社会面に、『大阪市廃校「民活を」』という吉浜織恵記者の署名記事が掲載されていた。

 これは、14日の大阪市議会で、大阪市役所が人口減と少子化で廃校になった大阪市中心部の小中学校跡地に私立学校を誘致するための検討チームを立ち上げる方針を明らかにしたことを受けたもので、これまで可能な限り売却される予定だった学校跡地が周辺住民の反対の声を考慮して「私学誘致」へと方針転換されたことが、どちらかと言えば好意的に報道されている。
 吉浜記者の記事にもあるように、いわゆる学校跡地が利用方法も不明確なまま処分売却されることには、周辺住民同様僕も疑念や疑問を抱くものであり、私学関係の施設が誘致されることになれば、周辺地域の活性化にもつながるのではないかと期待もできる。

 ただ、これまで京都、並びに関西小劇場界と密接な関係を保ち続けてきた人間としては、この吉浜記者の記事には大きな不満を持たざるもえなかった。
 と、言うのも、いわゆる学校跡地の代表的な場所として、中央区難波の旧精華小学校幼稚園跡地が写真入りでとり上げられているのだけれど、この旧精華小跡地が現在どのように利用されているのかについては一切触れられておらず、これでは、旧精華小跡地が大阪市役所の言う「未利用地そのもの」であるかのような印象が与えられてしまうからである。

 ここで、関西小劇場界と接点のない方や、お芝居そのものに興味感心のない方にもわかるように説明しておくと、旧精華小跡地には、恒常的ではないものの、定期的に演劇公演を行っている「精華小劇場」という演劇専用の小劇場があり、この2〜4月も、京都の劇団や演劇ユニットを中心とした演劇祭『いちげんさん!』が開催されている。
 少なくとも、この数年間、旧精華小跡地は「精華小劇場」として利用されている場所であり、記事のスペースの問題はあったにせよ、吉浜記者にはその点についてなんらかの記述を行ってもらいたかったと非常に残念に思う。


 と、ここまでは関西小劇場界の内側から外側への訴えかけであり、なおかつ記事に対する基本的な僕の感想なのであるけれど、一方で、それじゃあ外側から内側を見直した場合、他の書き様、考え様はないのかと思わないでもない。

 例えば、精華小劇場での公演期間の設定や公演団体の選定であるとか(誰が公演期間や公演団体を決めているのかという部分についてももちろん含む)、公演全体が「精華演劇祭」というくくりで統一されているのに入場料金には大きなばらつきがあるのはどうしてか、といった運営面組織面に関する具体的な考察もそうだし、それより何より、精華小劇場という劇場の存在が果たしてどれだけの大阪市民に認知されているのかという根本的な問題についてもそうだ。
(そうした意味からも、『フローレンスの庭』の作者で、虚空旅団の高橋恵さんのこうした指摘は、示唆するところが大きい)

 いずれにしても、今回の吉浜記者の記事は精華小劇場の現状を反映したものでもある訳で、精華小劇場の存続を切望する関西小劇場界の関係者は、今回の記事に対しなんらかの「アプローチ」を行う必要があるのではないかと僕は強く思う。
 ピンチはチャンスという言葉を改めて持ち出すまでもなく、大阪における小劇場の存在意義や必要性を問いかけ問い直す大きな契機になるはずだから、この記事は。


 てか、近鉄アート館、近鉄劇場小劇場、扇町ミュージアムスクエアという一連の劇場の消失から、関西小劇場界の面々はなんの教訓も得ていないのかと、僕はある意味情けなくなったりもしている。
 たとえ一回一回の公演がイベントであり、祭りであったとしても、そうしたイベントや祭りを成功させ継続させるためには、普段の不断の努力が必要とされる。
 そしてそれは、単に演技や脚本といった創作面だけではなくて、劇場−芝居小屋の企画運営や、お客さんとのつながりをどう深めていくか、お客さんの裾野をどう拡げていくかといったプロデュース面にも当てはまることだ。
 それがなくなり廃止されるからといってただただノスタルジーに浸るのは、それこそブルートレインだけで充分なのではないか?
 それとも、お芝居なんてものも時代の波に流されて消えゆくもの、しょせんはノスタルジーの対象でしかないのか?
 そんなことはない、はずだ、と僕は思うのだが。
by figarok492na | 2008-03-15 15:38 | 雑感
<< カラヤンの『ツァラトゥストラは... 東の島の大王ヒロヒトサ >>