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カラヤンの『ツァラトゥストラはかく語りき』と『ドン・ファン』を聴く

 ☆リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』
               交響詩『ドン・ファン』
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
  1983年録音
  <DG/ドイツ・グラモフォン>410 959−2


 先日、中古CDショップのアビスでただでもらった、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏による、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』と『ドン・ファン』のCDをとり上げる。
(なお、盤面に傷があるのでただということだったが、音楽を愉しむという意味では全く問題はなかった。ただより安いものはなし!)

 で、すでに日記のほうでも触れたけれど、基本的には、リヒャルト・シュトラウスの作品の持つシンフォニックな性質、管弦楽管弦楽した性格が巧みに表現され、なおかつベルリン・フィルのオーケストラとしての水準の高さが示された、「凄い」演奏だと思う。
 例えば、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』でおなじみとなった『ツァラトゥストラ』の「ぷわあーぷわあーぷわあーぷわあぷわあー、どんでんどんでんどんでんどんでん…」という出だしからしてぴしっと決まっているし、『ドン・ファン』も、カラヤン&ベルリン・フィルならではの流麗豪壮な音運びが非常に印象深い。

 しかしながら、そうした基本的な感想は感想として、なあんか押し付けがましいというか、時にくどさやうっとうしさを感じてしまったことも事実である。
 特に強奏部分など、ニーチェつながりで言えば、それこそエッケ・オケ(このオーケストラを観よ!)とでも言いたくなるような「これ聴きよがし」の強引さで、いくらニーチェが超人思想を唱えたからといって、それをオーケストラで実現しようなんて思わなきゃいいのに、と勝手に思ったほどだ。
(もっと俗っぽく言えば、こんなツァラトゥストラの説教にはあんまり耳を傾けたくないし、こんなドン・ファンとセックスしたってちっとも愉しくなさそうだなどと感じたりもした)
 まあ、これには、デジタル初期のドイツ・グラモフォンのギシガシグシガシとした硬質でいくぶん機械的な録音も大きく影響しているのかもしれないが。

 ただ、一方で、カラヤン流の流麗かつパワフル、たっぷりと音を鳴らしきる音楽づくりだからこそかえって見えて(聴こえて)くるものもある訳で、『ツァラトゥストラ』の「さすらい人の夜の歌」(トラック9)には、彼がウィーン・フィルを指揮して録音したあの『ばらの騎士』を思い起こしたし、これは『第三帝国のR・シュトラウス』を読んだこともあってだが、消えそで消えないラストにはリヒャルト・シュトラウスの「いたずら心」を感じたりもした。
 また、『ドン・ファン』のラストの「弦のさざ波」にぞくぞくしたことも、やはり付け加えておかなければなるまい。

 正直、このカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が、『ツァラトゥストラはかく語りき』と『ドン・ファン』の「ベスト」とは僕には言い難いが、カラヤンという不世出の音楽家のプラスとマイナスの両面がよく表れた録音でもあることも、また確かだろう。
 カラヤン以外の演奏で、この二つの作品に広く触れたことのある方にこそお薦めしたい一枚だ。
by figarok492na | 2008-03-16 13:30 | クラシック音楽
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