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モーツァルトと太宰治に親しんだ一日(CLACLA日記)

 明け方近くまでは本降りだったが、その後雨はやむ。
 ただし、正午過ぎぐらいまではどんよりとしたお天気。
 ようやく夕方前になって、いいお天気、いい青空に変わった。

 むわむわむしむしとして全く快ならず。
 気温も相当上昇する。
 暑い暑い。

 昨夜帰宅が遅れ、午前5時半まで仕事雑件と、あれやこれやを片付ける。
 で、目覚むればちょうど正午。
 慌てて起きて、キッチンまわりの拭き掃除をすませる。

 何事か、ヘリコプターが僕のマンションの上空の周りを、べりばりべりばりべりばりりと飛び回っている。
 うるさいうるさいうるさあい!

 胃腸の調子がどうにも重たく、昼食はパス。
 その代わり、フルーツオレを多めに飲む。

 今日は父の日。
 と、言うことで実家に電話をかけるも、買い物に出かけているとかで父は留守。
 ありゃりゃ。

 昨日購入した、リナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー国立歌劇場管弦楽団の演奏したモーツァルトの序曲集(それに、何曲かオペラの中の行進曲が含まれている)をようやく聴く。
 すでにnaïveのサイトでいくつかの曲はたびたび耳にしていたが、やはりこうしてCDで聴くのとでは、若干印象が異なる。
 とはいえ、劇場感覚にあふれた強弱のはっきりした演奏であることに変わりはない。
 録音はクリアだけれど、いくぶんセッコな(乾いた)感じもする。
 まあ、それも劇場っぽくて悪くないけどね。
(実際、録音は歌劇場内で行われているようだし)

 太宰治の『ろまん燈籠』<新潮文庫>をようやく読み始める。
 表題作からして「巧い」と思う。
 ただし、僕の場合はメタ的趣向がどうしたこうしたなんてことはどうでもよくて、太宰治の描写の妙に心がひかれる。
 そして、これ見よがしではないけれど、時代の潮流への明らかでしっかりとした批判がここにはある。
>いまの入江家は、少し違っている。
(中略)四年以前にくらべて、いささか暗くなっているようである。
(中略)はっきり言えば、現在の入江家は、私にとって、あまり興味がないのである。
 書くならば、四年前の入江家を書きたいのである<
 なお、『ろまん燈籠』は、昭和15年(1940年)12月から昭和16年(1941年)6月まで「婦人画報」に連載されたと解説にある。

 再度、実家に電話をかけ、父と少し話をする。
 4月に関西の親類が亡くなっていたと、知らされる。

 再び、モーツァルトの序曲集を聴く。

 身体はだるかったが、15時台に外出し、京都芸術センターへ。
 ちょっとした用件をすませたのち、図書室で『音楽の友』7月号を読む。

 それから、大垣書店四条店へ行って調べものをすませたのち、『レコード芸術』7月号と『シアターガイド』を「座り読み」する。
 何事にせよ肩書が物を言うのだ、とついつい思ってしまう。

 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。

 帰宅後、再びモーツァルトの序曲集を聴く。

 『ろまん燈籠』を読み進める。

 夕飯後、さらに『ろまん燈籠』を読み進め、表題作と『みみずく通信』を読み終える。

 睡眠不足がたたってか、少しうとうとしてしまう。

 今日は、押谷製菓の抹茶餡三笠(どら焼き)を食す。
 近くのグルメシティで、半額引き、税込み49円になっていたもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
by figarok492na | 2009-06-21 21:44 | CLACLA日記
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