第2CLACLA日記
2016-04-09T23:09:24+09:00
figarok492na
CLACLA日記の保存版
Excite Blog
執筆依頼等につきまして
http://figarok492.exblog.jp/7856703/
2016-12-31T23:59:00+09:00
2016-01-03T23:20:57+09:00
2009-01-26T11:27:11+09:00
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その他
演劇、クラシック音楽、映画、書籍に関するレビューの執筆のほか、演劇台本や映画のシナリオのプロットドクターのご依頼を請け賜わっております。
お問い合わせをはじめ、ご興味ご関心がおありの方は、こちらまでお気軽にご連絡ください。
昨年7月末の個人創作誌『赤い猫』第1号の発行以来、ありがたいことに文章執筆のご依頼やお問い合わせを多数いただくようになりました。
そのこともありまして、改めてこちらに一文掲載させていただいた次第です。
mixiにも参加しておりますので、気軽にのぞいていただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。]]>
ワンマンショーを観て、用件を片付けた(CLACLA日記)
http://figarok492.exblog.jp/22700202/
2016-04-09T23:09:46+09:00
2016-04-09T23:09:24+09:00
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CLACLA日記
いいお天気、いい青空の一日。
気温も上昇し、春真っ盛り。
その分、花粉の飛散も増して、時折くしゃみに悩まされたが。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
今日も今日とて、両耳(特に左耳)が不調。
聴こえには全く問題がないんだけれど、うっとうしい。
やれやれ。
東京地検特捜部が、甘利明前経済産業大臣の現金授受問題に関して捜索を開始した。
当然厳しく追及される問題だと思うが、どうして国会でTPPの審査が云々かんぬんされている今なのか、ということについても考えざるをえない。
そして、ガス抜きで終わってしまうのではないかと思わざるをえない。
それにしても、TPPに関するあの黒塗りの文章はなんなんだろうか。
国益国益と政府は繰り返しているようだが、TPPそのものが国益に反するのではないのか。
安倍首相のペテン師ぶりも含めて、どうにも不安である。
北朝鮮がまたぞろ動き始めた。
タイミングのよさは、いつものことである。
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜1時過ぎに寝床に就き、7時半に起きる。
で、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第6回として投稿したりする。
正午過ぎ、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
14時過ぎに外出して、京都大学近くのスタジオヴァリエへ。
丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち再演B『平成ぼやき講座』を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!
開演前終演後、丸山君や関係各氏と話をする。
その後、仕事関係の用件を片付け、左京西部いきいき市民活動センターに寄り、夕飯用の買い物をして、18時半頃帰宅した。
帰りがけ、旧知の人と遭遇し、しばらく立ち話をする。
帰宅後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」を聴いたりしながら、観劇記録を投稿したりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を聴く。
新年度のスタートということで、NHK交響楽団が演奏した序曲の特集。
オトマール・スウィトナー指揮によるモーツァルトの『フィガロの結婚』序曲、シャルル・デュトワ指揮によるロッシーニの『セビリャの理髪師』序曲、ジャン・フルネ指揮によるベルリオーズの『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲、ネルロ・サンティ指揮によるヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』序曲、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮によるワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、ハインツ・ヴァルベルク指揮によるスッペの『詩人と農夫』序曲、エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮によるチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』が放送されていた。
続けて、今夜から21時スタートとなった『クラシックの迷宮』を聴く。
1916年4月9日に生れた作曲家木下忠司の100歳の誕生日を記念した特集。
おなじみ『水戸黄門』のテーマ曲に始まり、戦時下に作曲された5つの歌曲や、親友尾崎宗吉(1945年に戦病死した)や師の諸井三郎の作品、兄木下惠介とのコンビによる映画音楽(自らが歌った『破れ太鼓』のテーマ・ソング等)、さらには『水戸黄門』のおなじみ旋律や『特捜最前線』のテーマと「私だけの十字架」等々、本当に盛りだくさんの内容だった。
ああ、面白かった!
さらに、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第102番~第104番「ロンドン」を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進めたり、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。]]>
丸山交通公園ワンマンショー2DAYS 再演B『平成ぼやき講座』
http://figarok492.exblog.jp/22699564/
2016-04-09T19:41:01+09:00
2016-04-09T19:40:39+09:00
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観劇記録
出演:丸山交通公園
(2016年4月9日15時頃開演/スタジオヴァリエ)
今日明日と二日間に渡って開催される、丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち、今日15時からの再演B『平成ぼやき講座』に足を運んだ。
『平成ぼやき講座』といえば、昨年11月(21日)の京大NFでの丸山節全開の初演、中でも中盤のチェーホフの『煙草の害毒について』っぽい(と言ったら、ちょっと違うかな)、妄想の部分が強く印象に残っている。
で、今回はその再演というふれ込みだったのだが、ぼやきの、それも捨てネタがいくつか重なる程度で、ほとんど新作と言ってもよいような内容となっていた。
まずは、分厚いフリップ(画用紙)を持って丸山交通公園が登場。
ひとくさりあったのち、フリップを使ったぼやきが始まったと思ったら…。
と、ここから先は明日もあるので記さないけど、フリップを「相手」にして丸山君という人間の自虐と自尊がよく表われており、とても興味深く、とてもおかかなしかった。
一つには、密室芸というか、ブラックボックス・タイプのスタジオヴァリエの閉じられた空間の中で、内心これってほんまは笑ってええんかな、いんや笑うで、という丸山君とお客さんとの「共犯関係」が生み出されていたことも大きいのだろうが。
いずれにしても、やたけたさと計算のあいまった、丸山ワールドを愉しむことができた。
アンケートの「(丸山君は)これからどうしたらいいか?」といった趣旨の設問じゃないけど、それじゃあここから先、どのような企画を打ち出していくのか、言葉を換えれば、自虐と自尊とともに、自律と自負をどうしっかり築いていくべきかが丸山君の課題だと思うが、彼自身それも織り込みずみだろう。
無料カンパ制。
ご都合よろしい方は、ぜひ。
ああ、面白かった!]]>
犬神家の末裔 第6回
http://figarok492.exblog.jp/22698336/
2016-04-09T11:09:10+09:00
2016-04-09T11:08:49+09:00
2016-04-09T11:08:49+09:00
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創作に関して
「いつもメールありがとう」
「こっちこそ。PTAに生協、おまけにパートまでやってるから、短いのしか送れないんだけど」
「相変わらずアクティヴだね」
「いやあ、これも血だよ」
睦美が笑い声を上げた。
「あっ、この前贈ってもらった本も面白かったよ」
「そう言ってもらえると嬉しいなあ」
「昔っからお話作るの上手かったからねえ」
「まさか物書きになるとは思ってなかったけどね」
「最近、忙しいんだよね」
「まあ一応」
「おばちゃんがさあ、早百合はちっとも連絡くれんて言ってたもんだから」
「そっか。母さん、携帯持ってないからなあ」
「まあ、電話はなかなかね」
立憲政治を護る、フルハシキョウイチロウ。
立憲政治を護る、フルハシキョウイチロウ。
「古橋って、顧問弁護士の」
「うん、あの人もあけーから」
再び睦美が笑い声を上げた。
「実はね、私あのこと調べようと思ってるんだ」
「あのことって」
「ひいおばあさんやおじいさんのこと」
「うちのことか」
「そう。横溝正史の小説って、モデルはうちのことだけど、八割方フィクションじゃない」
「ばあちゃん、未だに怒ってるもんね。私はこんなおかしな女じゃないって」
小枝子は戦前戦中戦後と穂高の相馬黒光女史に学ぶなどして、男勝りとまで言われた人物だ。
犬神小夜子の造形に腹を立てるのも当然だろう。
「おまけに、映画で小夜子の役やったの川口晶でしょ、ばあちゃんカンカン」
「奥菜恵もやってたけどね」
「そっちは観てないんだ、ばあちゃん。二番煎じはやだよ言うて」
「らしいなあ」
「で、川口晶って、三益愛子だっけ、娘でしょう。ばあちゃん、なんでか三益愛子が大嫌いなんだよ。昔、お涙頂戴の映画に出ててうんざりしたって。石坂浩二は大好きだったらしいけど、昨日久しぶりに会って、あんたも老けちゃったねえって。石坂浩二も、ばあちゃんに言われたくはないわ」
「えっ、石坂さんにそんなこと言ったの」
「そう。石坂浩二、ぶすっとしてた」
早百合には、石坂浩二の憮然とした表情が目に浮かぶようだった。
「私も作家だから、横溝さんの気持ちはよくわかるの。実際に起こったことをそのまま書いたって、ちっとも面白くないから」
「うん」
「だけど、ていうか、だからか。それじゃあ、実際に起こったことって一体なんだったのかなあと思って」
「実際に起こったことねえ」
「そう。なんでひいおばあさんはあんなことしちゃったんだろうとか。いくら自分の母親を庇うためとはいえ、おじいさんだってひどいことしたわけじゃない。私は、優しくて静かなおじいさんしか覚えてないから」
「そうかあ」
そこで、ふうと大きくため息を吐くと、
「この前ばあちゃんが言ってたんだよね。NHKのファミリー・ヒストリーだっけ、あれ見てて。きれいごとだよって。ええって訊き返すとさあ、こんなのテレビジョンでやっても差し障りのない人間だけが出てるんだから、きれいごとだ、だったらあたしのファミリー・ヒストリーやってみろ、って。もう怖いもんなしなんだよね」
と、睦美は続けた。
「そっか。そんなこと言ってたんだ」
「やったら。まあ、早百合ちゃんならやるなって言ってもやっちゃうんだろうけど」
「たぶんね。私は私だもん」
早百合がようやく笑い声を上げた。
「もうすぐ着くよ」
目の前に那須湖が見えてきた。]]>
グッドライフではなくバッドライフ クラスモではなくクルシモ(CLACLA日記)
http://figarok492.exblog.jp/22697059/
2016-04-08T22:53:20+09:00
2016-04-08T22:53:00+09:00
2016-04-08T22:53:00+09:00
figarok492na
CLACLA日記
いいお天気、いい青空の一日。
気温も上昇し、春らしく穏やか。
その分、花粉の飛散も激しいようで、時折くしゃみを連発したが。
皆さん、時節柄くれぐれもご自愛くださいね。
両耳(特に左耳)の調子、芳しからず。
やれやれ。
パナマ文書なるものが世情を賑わしているが、日本の政治家や企業はどの程度関係しているのか。
非常に気になるところだ。
裏カジノがどうこうとかまびすしい。
世の中には、事の軽重というものがわからない人があまりにも多いようだ。
確かに度し難いことではあるけれど、もっと度し難いことはあるだろうに。
選挙前のたぶらかしや、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
そして、こうしたたぶらかしや目くらましの八百長猿芝居に騙されて、騙された騙されたと広言する人間ほど馬鹿愚かもいないと思う。
馬鹿愚かにはなりたくない!
(世の中には本当のことをCMで言われて怒る人がたくさんいるようですね)
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>や、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第4回として投稿したりする。
9時過ぎから、マンションの室内工事がギーンギーンガーンガーンとやたらとかまびすしい。
直接下の部屋ではなく、その隣でもなく、さらにその隣の部屋の工事なのだけれど、やかましいやかましい。
で、工事があるとの貼紙は当該階(こちらにとっては一つ下の階)と、1階の非常に目立たないところに貼ってあるだけで、一つ上や一つ下の階には何もなされていない。
しかも、その貼紙には11日~20日までと記されている。
なんじゃこりゃ。
なんのために、毎月管理費をきちんきちんと支払っているのか。
これではグッドライフではなくバッドライフ、クラスモでなくクルシモではないか。
気が効かぬ上の嘘つき(どこかの国の総理大臣か)、おふざけなさんな!
午後、仕事関係の予定をすませる。
その後、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』は途中下車し、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第99番~第104番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第5回として投稿したり、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み進めたりする。
『オペラ・ファンタスティカ』では、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場でのモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』上演のライヴ録音(ジェフリー・テイト指揮他)が放送されていたが、歌い手の声質がどうにも好みにあわず聴くのをやめてしまった。
まあ、我慢する必要もないしね。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番~第7番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、『火山のふもとで』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、アイラ・レヴィン指揮ブルガリア国立放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
ハイドンの交響曲第95番、アレクサンデルとダニエルのガーフィンケル兄弟の独奏によるクラマーシュの2つのクラリネットのための協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第8番と『レオノーレ』序曲第2番が放送されていた。
アイラ・レヴィンはミヒャエル・ギーレンに指揮を学んだというが、オケの技量もあってちょっと大味な演奏。
双子のガーフィンケルの妙技は実に愉しかったが。
続けて、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番<ドイツ・グラモフォン>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第7番「未完成」<RCA>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の今後の展開について考えたりする。
『火山のふもとで』を読了する。
小説を読む愉しみを味わうことのできる作品だった。
ああ、面白かった!
続けて、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>を読み始める。
今日は、不二家ハートチョコレートを食す。
近くのグルメシティで、税込み30円に値下げされていたもの。
ピーナッツの入ったハート形のチョコレートで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。]]>
犬神家の末裔 第5回
http://figarok492.exblog.jp/22695963/
2016-04-08T16:45:00+09:00
2016-04-08T21:54:52+09:00
2016-04-08T16:45:25+09:00
figarok492na
創作に関して
那須市長選は地域活性化の現職カドワキダイサクをご支援ください。
那須市長選は地域活性化の現職カドワキダイサクをご支援ください。
喧しい選挙カーが対向車線を走り抜けて行った。
「市長選か」
「次の日曜日が投票日」
「門脇って現職だよね」
「うん。今度の選挙に勝ったら、市民会館潰して、ムジークなんたろいう立派なコンサートホール建てる言ってて。地域活性化じゃ、松本や長野には負けておられんのじゃ言って」
「松本は小澤征爾で、長野は久石譲だもんね」
「なんか鈴ちゃんにまで連絡あったんだって。ぜひ、N響で杮落ししたいからって。それで、一応うちにも断りの挨拶に来たんだけど、ばあちゃん、無駄金使ってどうするか、この抜け作がって一喝したんだ」
「抜け作」
「うん、抜け作」
「小枝子おばさん、百近いんじゃない」
「今年で九十八だけど、まあだ矍鑠としてる。朝昼晩て、しっかりごはんも食べてるし。頭もしっかりしたもんで、和俊おじさんなんか、百二十ぐらいまで生きるかもしれんよて。憎まれっ子世に憚るだって自分で言うてるくらい」
「小枝子おばさんらしいなあ」
「そうだよ。まあ、コンサートホールはばあちゃんの言う通りだと思うよ。あんなの造ったところで、ゼネコン喜ばすだけだから」
「田中さんが知事になって、だいぶん変わったんじゃないの」
「いやあ、なかなか。那須もまだまだ田舎だからね。地元の人間が潤うんならまだしも、美味しいところは全部大手が持って行くんだって、これは信哉の受け売りだけどね」
信哉は睦美の夫で、信州新報の記者をやっている。
「だいたい古いお店が潰れて、ドラッグストアや百均ばっかり建ってるんだ。地域活性化もへったくれもないわ。あっ、こんなことばっかり言ってるから、戌神の家はあけーて噂されるんだった」
睦美がちろっと舌を出した。
もともと信州は左翼の強い土地柄だし、私生活は置くとして、戌神恒兵衛自身、東の戌神西の大原と呼ばれた進歩的経営者として知られた人だった。
戦前陰ながら無産政党を支援していたという逸話もあるだけに、その末裔たちがリベラルな思想に走ったところでなんら不思議ではない。]]>
犬神家の末裔 第4回
http://figarok492.exblog.jp/22695129/
2016-04-08T10:42:48+09:00
2016-04-08T10:42:28+09:00
2016-04-08T10:42:28+09:00
figarok492na
創作に関して
長野新幹線が開業してからというもの、一時間半足らずで東京と那須は結ばれるようになった。
ただ、時間的な距離が短くなった分、精神的な距離も短くなったかといえば、たぶんそれは違うと早百合は思う。
電車を降りたとたん、冷たい風が早百合の頬を打った。
バッグの中からマフラーを取り出して、早百合は首に巻き付けた。
たった一時間半の差で、これだけ気温が違う。
「早百合さん、ですよね」
早百合がはっとして視線を移すと、若い男性を連れた長身の壮年の男性が、東京行きのホームに向かおうとしているところだった。
端正な声にもしやと思っていたら、やはり彼だった。
「ご無沙汰しております」
早百合が頭を下げると、先方も同様に頭を下げた。
「お母様、早くよくなりますように」
男性はもう一度頭を下げてから、階段を上がって行った。
駅の玄関口を出ると、メールに書かれていた通り、バスロータリーの隅に青のボルボが停まっていた。
早百合が軽く手を振ると、運転席の睦美が頷き返す。
かまってかまってかまってちゃん。
こまったこまったこまったちゃん。
助手席のドアを開けると、流行りを過ぎたアイドル・グループの陽気を装った歌が零れてきた。
「お疲れ」
「そっちこそありがとう」
睦美は小枝子の次女の美智子の長女だから、早百合にとっては、はとこにあたる。
早百合とは、八つ違いだ。
「母さんの具合は」
「軽い心筋梗塞やって。詳しくは和俊おじさんが説明してくれると思うけど」
「そっか」
「そしたら出すね」
ゆっくりとボルボが動き始めた。
「あっ、さっき石坂さんに会ったよ。母さんのことも知ってたんでびっくりした」
「石坂浩二、昨日うちに来てたんよ」
バックミラーを気にしながら、睦美が応えた。
「えっ、うちに」
「うん。なんか今度WOWWOWで金田一耕助の特集やるんで、また那須で撮影するんやって。で、その前に戌神家にもご挨拶にって」
「知らんかった」
「おばちゃん、調子がようないもんですからって挨拶しただけですぐに部屋に戻ったんやけど。信光がもう大はしゃぎしてかなわんかった」
「信光君、いくつやったっけ」
「再来月で九歳」
睦美が軽やかにハンドルを切った。]]>
雨の日 『犬神家の末裔』を書き進めた(CLACLA日記)
http://figarok492.exblog.jp/22693819/
2016-04-07T22:38:12+09:00
2016-04-07T22:37:52+09:00
2016-04-07T22:37:52+09:00
figarok492na
CLACLA日記
どんよりとしたお天気の一日。
気温は上昇するも、じめじめむわむわとして快ならず。
皆さん、時節柄くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調に加え、気圧と湿度のWパンチ。
やれやれ。
民進党の山尾志桜里政調会長の元秘書によるガソリン代の不正請求が取り沙汰されている。
不正は不正、しっかり追及されねばならないが、先日の国会での山尾代議士による安倍首相追及の様子を思い返せば、ああやられたなとどうしても思わざるをえない。
甘利元大臣の問題はいったいどこにいったのか、その他の自民党代議士の問題はどうなるのか。
だいたい、ガソリン代でいえば安倍首相や菅官房長官も多額の請求を続けているそうではないか。
と、言って、実は僕は政府与党の側がこうした手法を取り続けることそれ自体が問題であるとは思っていない。
いや、そうしたやり口は卑怯卑劣ではあるけれど、権力の側が自らのそれを維持するためには、たとえ道徳的(ばかりではなく、ときに法的)に問題があることであろうとそうした手法、手段を選ぶものであることは、洋の東西を問わず長い歴史を振り返ってみれば当為のことでもあるのである。
結局大切なことは、そうした事どもがいつでも起こり得るという認識を僕(ら)一人一人がしっかり持ち続けることであり、そうした事どもに対してどう判断をくだしていくかということなのだ。
もっとも愚かで恥ずべきことは、与えられた情報を鵜呑みにして大勢に流されることではないか。
そして、騙された騙されたと本気で繰り返すことではないか。
目くらましの八百長猿芝居には騙されたくない。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就いて、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第2回』を書いて投稿したりする。
雨のため、予定が変更になる。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」~第104番「ロンドン」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第3回』を書いて投稿したり、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み進めたりする。
途中、15分ほど昼寝もした。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」~第10番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ボヤン・スジッチ指揮セルビア放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
アレクサンダル・パブロヴィッチの独奏によるシューマンのピアノ協奏曲、ブラームスの大学祝典序曲、ブリスティッチのオラトリオ『復活』が演奏されていた。
ブリスティッチの『復活』が、予想外に聴きものだった。
続けて、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスのセレナード第1番と、ヴァイオリン協奏曲(シェロモ・ミンツの独奏)&大学祝典序曲<ともにドイツ・グラモフォン>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第3回』を書いて投稿したり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。]]>
犬神家の末裔 第3回
http://figarok492.exblog.jp/22692939/
2016-04-07T17:37:00+09:00
2016-04-08T08:57:23+09:00
2016-04-07T17:36:53+09:00
figarok492na
創作に関して
早百合は学生生活の終わりとともに、彼女にとって幸福ではない恋愛にも終止符を打っていた。
だが、
「お前には壁があるんだよ。だから、お前とやっててもちっとも楽しくなかったんだ」
という、前の恋人の別れ際の無思慮な言葉は、早百合の心の中で癒えない傷となって残っていた。
前の恋人の歪んだ表情と一緒にその言葉が脳裏に浮かぶたび、早百合は、死ね、と口にしかけて自分の感情をすぐに押し留めた。
「たとえどんな相手でも、死ねなんてこと言ってはだめなの」
あれは、早百合がまだ幼稚園か小学校の低学年の頃だった。
何かにかっとなって、死ね、死んでしまえと叫んだとき、傍にいた祖母が早百合の目をじっと見つめながら、そう諭したのだ。
それ以来、心の中では、死ね、死ねばいいのに、死んでしまえと思っていても、早百合はその言葉を口に出すことを躊躇うようになった。
もしかしたら、その躊躇いこそ、自分の心の壁を生み出す一因となっているのではないかと思いつつも。
そんな早百合の想いを知ってか知らずか、夏目は彼女に対してとても優しく接しかけてきた。
まるで、最初から壁などなかったかのように。
早百合が勤務する広告会社にイラストレーターとしてよく出入りしていた夏目と親しくなったのは、たまたま休みの日に出かけた新宿御苑でだった。
陽の光を浴びながら大の字になって寝転がっている男性が、なんだかとても気持ちよさそうだ。
おそるおそる近寄ってみると、なんとそれが夏目だったのである。
「夏目さん」
と、声をかけると、夏目は上半身を起こして、おお早百合ちゃんと言った。
さらに早百合が近寄ると、夏目は再びごろんとなって、
「こうしてるとさあ、次から次にアイデアが浮かんでくるんだよね」
と、さも嬉しそうに続けた。
思わず早百合も夏目の横にごろんとなって、手足を大きく拡げ、ううわあと声を出した。
夏目も早百合を真似して、ううわあと声を出した。
夏目と付き合い始めてすぐに、父が亡くなった。
入院して僅か二週間。
早百合には、ゆっくり別れの言葉を父と交わす時間が与えられなかった。
混乱する早百合を自動車で那須の実家まで送ってくれたのも、夏目だった。
お願いだからお通夜や葬儀にも出て、と早百合は口にしたが、それはだめだよ、と言って夏目は東京へと戻って行った。
早百合が夏目を母に紹介したのは、父の一周忌の席だった。
夏目が同行することは、すでに電話で知らせてあった。
母は、そうなのとだけ素っ気なく応えた。
「私にとって大事な人なの」
「よろしくお願いいたします」
二人が頭を下げたとたん母は、あなたたちはこんな場所で、なんてふしだらな、常識知らずで恥知らずの男、情けない、うちには分ける遺産なんてない、と切れ切れの言葉で罵り始めた。
「こんなことぐらいで取りのぼせてどうするの」
と、大叔母の小枝子に平手で頬を叩かれて、母はようやく正気に返ったが、今度は夏目が立ち上がり、一同に深々とお辞儀をすると、黙ってその場を去って行った。
それっきり、早百合は夏目と連絡がとれなくなった。
人づてに、夏目が郷里の帯広に戻ったと聞いたのは、それからだいぶん経ってからのことだ。
今となっては、夫を亡くした哀しみや、一人娘を奪われてしまうかもしれない動揺や、さらには親類縁者を前にした緊張といった心の中の諸々が、一瞬母を狂わせてしまったのだと想像することはできるものの、あの日の母の醜い顔を早百合はどうしても忘れることができない。]]>
犬神家の末裔 第2回
http://figarok492.exblog.jp/22691706/
2016-04-07T10:14:00+09:00
2016-04-08T08:54:42+09:00
2016-04-07T10:14:05+09:00
figarok492na
創作に関して
同じサークルの緑に紹介されたのがきっかけで、経康は学習院の文学部に通っていた。
彼って、元侯爵家の次男坊なの。
と、緑が耳元で囁いたが、確かに長身で色白、人懐こい表情は元華族の家柄に相応しかった。
最初のデートがサントリーホールでのコンサートというのも、また非常にそれらしかった。
早百合がチケットのことを気にすると経康は、叔父が新聞社の芸術部門担当だから、と言って微笑んだ。
地元にいた頃、早百合にクラシック音楽に触れる機会がなかったわけではない。
それどころか、早百合の実家が援助して建設された市民会館で行われるコンサートには、両親ともどもよく足を運んだものだ。
そういえば、音楽の道に進んで今ではNHK交響楽団のフルート奏者をやっている従妹の鈴世は、何かのコンクールの本選まで進んだとき、審査員を務めていた音楽評論家で横溝正史の長男の亮一氏に、「私、犬神家の一族です」と声をかけて面喰われたと言っていた。
そういう性格だからこそ、臆せず戌神の姓を名乗っていられるのだろう。
ただ、囹圄の人であった祖父を一生庇い続けた祖母の人柄もあってか、早百合の実家は質素質実を旨ともしていた。
だから、サントリーホールの煌びやかな内装の中で、シャンパンでも飲みますか、と経康に訊かれたときは、まだ未成年ですから、と早百合は慌てて手を横に振った。
そんな早百合の言葉と仕草に、早百合さんは面白い人ですね、と経康は再び微笑んだ。
その日は、レナード・バーンスタインが自作の『ウェストサイド・ストーリー』を指揮するのを早百合は愉しみにしていたのだけれど、バーンスタインは見るからに体調が悪そうで、その曲に限って、彼の弟子という日本人の青年がタクトを執った。
会場からは、失望と怒りの入り混じった声も聞かれたが、コンサートのあとに入った喫茶店でも、経康はそのことに一切触れようとはしなかった。
ただ、
「最初に演奏されたブリテンの『ピーター・グライムズ』にしても、『ウェストサイド・ストーリー』にしても悲劇ですよね。概してフィクションというものは、バッドエンドはバッドエンド、ハッピーエンドはハッピーエンドで閉じられてしまいがちなんだけど。僕は、どうしてもその先のことを考えてしまうんですよ。悲劇のあと、喜劇のあとに取り残された登場人物たちのことを」
という経康の言葉を、早百合は今でも覚えている。
それから、経康に誘われて何度かデートをし、彼の自宅を訪ねたこともあった。
経康だけではなく、元外交官の彼の父親も、私だって平民の家の出なんだからと笑う彼の母親も、思っていた以上に気さくな人たちだったのだが、屋敷の中にある弁財天の社が、中高とクリスチャン系の女子校に通った早百合には、どうにも禍々しくて仕方なかった。
あれだけは、潰せなくってね。
早百合の僅かな表情の変化に気付いたのだろう、経康の父は申し訳なさそうにそう言うと、パイプの煙を燻らせた。
結局、世界の違いが大きかったのか、一年半ほどして二人はどちらからともなく疎遠となってしまった。
早百合と経康は清い関係のままだった。]]>
文章の訓練を続ける(CLACLA日記)
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2016-04-06T22:51:49+09:00
2016-04-06T22:51:30+09:00
2016-04-06T22:51:30+09:00
figarok492na
CLACLA日記
いい青空、いいお天気の一日。
気温も上昇し、春らしい。
両耳(特に左耳)の調子、一向に好転せず。
同じ病院に行くか、それとも別の病院に行くか。
いずれにしても、うっとうしい。
九州電力川内原子力発電所1号機、2号機の運転差し止めに関する仮処分申し立てに対し、福岡高裁宮崎支部は申し立て却下の鹿児島地裁の決定を支持する判断を示した。
いろいろと考えることあり。
アメリカ大統領選の候補者指名争いが続いているが、共和党のトランプ候補は失速状態と。
ただ、彼を追っているのが保守強硬派のクルーズ候補というのは、どうにもうんざりな話である。
一方民主党のほうは、クリントン候補とサンダース候補の争いが続いている。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番、第100番「軍隊」<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『花は花でもお江戸の花だ』を投稿したりする。
『花は花でもお江戸の花だ』は、文章の訓練(時代小説)である。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第1回』を投稿したりする。
『犬神家の末裔 第1回』は、タイトルから予想される内容とは異なり、純文学の範疇に入るSNS用不連続小説だ。
大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読了する。
今書かれるべくして書かれた作品集だった。
ああ、面白かった!
続けて、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み始める。
17時頃外出して、仕事関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<TELDEC>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』を聴く。
ウラディーミル・クラニチェヴィチ指揮クロアチア放送交響楽団が演奏したボジタル・クンツの祝典序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ドゥブラフカ・トムシッチの独奏)、ボリス・パパンドプロのシンフォニア・ブレヴィス、ブラームスの哀悼の歌などが放送されていた。
続けて、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団他が演奏したブラームスのドイツ・レクイエム<ハルモニアムンディ・フランス>、フランク・ベールマン指揮ハノーヴァーNDRフィルが演奏したフェスカの交響曲第1番他<CPO>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の続きを書き進めたり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。]]>
犬神家の末裔 第1回
http://figarok492.exblog.jp/22689344/
2016-04-06T16:33:18+09:00
2016-04-06T16:32:59+09:00
2016-04-06T16:32:59+09:00
figarok492na
創作に関して
四十を二つか三つ過ぎたばかりで父は亡くなってしまったが、その後に起こった様々な出来事を考えてみれば、もしかしたらそれで父にとっては幸せだったのかもしれない。
いや、傾きつつある家業をなんとしても守ろうとして、無理に無理を重ねた結果があの急な病だったのかもしれず、そういえば亡くなる直前の白髪が増えて目の下に深い隅のできた父の顔は、実際の年齢よりも十以上老けて見えたものだった。
そんな父や、黙って父に従う母の姿を目にするのも辛くて、早百合はなかなか帰省しようとはしなかった。
一つには、バブルの残り香のするシティライフとやらの一端を享受していたことも小さくはなかったが、それより何より、地方特有のねっとりと絡みつくような湿った雰囲気が、早百合はたまらなく嫌だったのだ。
特に、かつて早百合の実家は、彼女が生れた地方では指折りの財閥として知られていた。
しかも、半世紀近く前の話とはいえ、その一族では遺産相続に纏わる複雑な人間関係の末に、殺人事件が起こったりまでもした。
実際、早百合の祖父母はその事件の中心人物でもあった。
だから、と言うよりも、父方の姓があまりにもおどろどろしく、かつ有名であることもあって、早百合は母方の姓である小林をずっと名乗っていたほどだ。
今朝早く、母が倒れたと叔母から電話があったとき、早百合はわけもなく、ずっと後回しにしてきたつけを払うときが来たのだという想いにとらわれた。]]>
花は花でもお江戸の花だ(文章の訓練)
http://figarok492.exblog.jp/22688552/
2016-04-06T10:54:43+09:00
2016-04-06T10:54:24+09:00
2016-04-06T10:54:24+09:00
figarok492na
創作に関して
鵜野部左文字町を抜けて西厳寺の前を通り、刈沢の材木置き場に来たところで、矢沢弦太郎はやはりなと思った。
振り返れば、すぐに気付かれる。
弦太郎は何気ない調子で下駄の鼻緒を直すふりをすると、一目散に駆け出した。
たったったったっ、と弦太郎を追い掛ける足音がする。
脚力には相当自身のある弦太郎だったが、向こうもなかなかの走りっぷりのようだった。
仕方ない、ここは荒業を使うか、と二ツ木橋のちょうど真ん中辺りで、弦太郎はえいやとばかり水の中に飛び込んだ。
「無茶ですよ、弦さんも」
ありったけの布団やら何やらを頭の上から押し被せたおもんが、甘酒の入った湯呑みを弦太郎に手渡した。
「春ったって、花はまだ三分咲き。風邪でもひいたらどうするんです。あたしゃ、殿様に合わせる顔がありませんよ」
「そうやいのやいのと言われたら、それこそ頭が痛くなってくる」
弦太郎はふうふうと二、三度息を吹きかけてから甘酒を啜った。
甘酒の暖かさと甘さが、芯から冷え切った弦太郎の身体をゆっくりと解き解していく。
「で、誰なんですよ」
「そいつはまだわからねえ。ただ」
「ただ」
「髭田の山がな」
「髭田の山って、それじゃ白翁の」
前の側用人高遠摂津守頼房は齢六十にして職を辞すると、隠居所と称する髭田の小ぶりな屋敷に居を移し、自ら白翁を号した。
だが、髭田の屋敷には、幕閣や大商人たち、それに連なる者たちが、白翁の威をなんとしてでも借りんものと連日足を運んでいた。
世にいう、髭田詣である。
「流石は掃部頭の息子よの」
西海屋より献上された李朝の壺のすべすべとした手触りを愉しみながら、白翁は微笑んだ。
「御前、如何いたしましょう」
「慌てることはない、様子を見るのじゃ。急いては事を仕損じるというではないか」
「はっ」
白翁の言葉に頷くや否や、目の前の男はすぐさまその場を後にした。
白翁は、なおも白磁の壺を撫で続けた。]]>
ほぼハイドンづくしの一日(CLACLA日記)
http://figarok492.exblog.jp/22687192/
2016-04-05T22:41:59+09:00
2016-04-05T22:41:41+09:00
2016-04-05T22:41:41+09:00
figarok492na
CLACLA日記
気温も上昇し、春らしい一日。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の調子、どうにも芳しからず。
聴力に問題はないようで、近所の工事の騒音も相変わらずしっかり聴こえているが、うっとうしいことに変わりはない。
別の病院で診察してもらおうか。
やれやれ。
医療費のことを考えても、何がアベノミクスじゃと口にしたくなる。
一橋大学名誉教授で歴史学者(日本近世・近代史)の、安丸良夫が亡くなった。81歳。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、1時半に寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番<naïve>を聴いたりしながら、ネオ落語記録(前々々回の記事)や「劇評三態 劇核自覚コウシロー第5回公演『キャン・ユウ・ライト?』」(前々回の記事)を投稿したり、仕事関係の作業を進めたりする。
午後、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』やミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」、第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読み進めたりする。
途中、15分ほど昼寝をした。
16時台に外出して仕事関係の用件を片付け、京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませる。
17時50分近くに帰宅。
帰宅後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏した同じくハイドンの交響曲第77番&第76番<BBCミュージックマガジン>を聴いたりしながら、『たすけて、おとうさん』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』の「世界のオーケストラ~東欧 スロヴェニア放送交響楽団」を聴く。
ブノア・フロマンジュ指揮によるマスネの『ラホールの王』序曲、ロレンツォ・カストリオータ指揮によるプッチーニの交響的奇想曲、ジョージ・ペーリヴァニアン指揮によるボニンの『カンクロ』とシベリウスの交響曲第1番などが放送されていた。
続けて、シギスヴァルト・クイケンさん指揮ラ・プティット・バンドが演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<DHM>、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーが弾いた同じくハイドンのソナタ第34番&第33番他<同>を聴く。
今日も、ほぼハイドンづくし。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『内田秋子のこと』を投稿したり、『たすけて、おとうさん』を読み進めたりする。
『内田秋子のこと』は原稿用紙に換算して5枚弱の、文章の訓練。
フィクション(フェイク・エッセイ)である。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
馬鹿につける薬はない。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。]]>
内田秋子のこと
http://figarok492.exblog.jp/22687105/
2016-04-05T22:19:26+09:00
2016-04-05T22:19:08+09:00
2016-04-05T22:19:08+09:00
figarok492na
創作に関して
良くも悪くも俺が俺が我が我がの自己顕示欲が欠かせないこの世界で、彼女はあまりにも臆面があり過ぎる俳優であり、企画者だった。
まるでクマノミか何かのように稽古場の隅に潜んで「通し」の進行を見つめる彼女の姿を、私はどうしても忘れることができない。
そんな性分が災いしてか、嫌な想いをさせられることも少なくなく、学生劇団時代以来の友人で恋人でもあった日根野貴之など、「あんなだから秋は損をするんですよ」と憤然とした口調で、しかし彼女には絶対に聞かれることのない場所で度々こぼしたものだ。
本来ならば、彼女と日根野の鍛錬研鑚の場所として始まったトランスクリプション(最初は久松のアトリエ・スキップだったのが、最後には輪多の市民劇場で開催されるまでになった)が、回を重ねるうちに先輩たちの芸の見せ場になってしまったのにも、当然内田秋子の人柄、性根の良さが関係しているのではないか。
チェーホフの『ワーニャおじさん』をやるとなったとき、ソーニャをやらせろソーニャをやらせろと壊れたレコード・プレイヤーの如く繰り返した車戸千恵子に向かって、「大根役者が恥を知れ」と叱りつけて大もめにもめたことが今では懐かしい。
その車戸千恵子も、内田秋子が亡くなった次の年に自動車事故で亡くなってしまった。
内田秋子にとって最後の舞台となった、ブレヒトの詩による一幕物『どうして道徳経はできたのか もしくは、老子亡命記』で、どうしても童子の役をやりたいと言ったときは、まさか病魔に侵されているとは思ってもみなかったので、ようやく彼女も我を張るようになったと私は大いに喜んだほどだ。
確かに、出たいと意地を通しただけに、あの作品での彼女の熱の入れようは半端なかった。
臼杵昌也の老子、布目進の税関吏、牛尾舞の税関吏の妻と伍して、彼女は童子の役を演じ切った。
中でも、税関吏に対して、
「水は柔軟で、つねに流れる、
流れて、強大な岩に時とともにうちかってゆく。
つまり、動かぬものがついに敗れる」
と、師匠の老子の教えを語るときの軽みがあって柔らかで誇らしげな言葉と表情は、内田秋子という演技者の最高の場面だったと評しても過言ではない。
水はつねに流れる、といえば、彼女は井深川の川べりに佇んで、長い時間水の流れを見つめているのが好きだった。
なんだか動かぬものばかりが目につく今日この頃だけれど、こういうときにこそ、あの日の彼女の台詞を、もう一度思い起こしたいと思う。]]>
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