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京都市交響楽団 第599回定期演奏会

☆京都市交響楽団第599回定期演奏会

 指揮:高関健

 会場:京都コンサートホール大ホール
 座席:3階LB1列5番
(2016年3月12日14時半開演)


 京都市交響楽団の定期演奏会を聴くのは、2010年6月19日の第536回以来だから、約5年ぶりとなる。
 今回の定期では、奇しくもそのときと同じ高関健(常任首席客演指揮者)が、自らにとってライフワークの一つと呼ぶマーラーの交響曲第6番「悲劇的」を指揮したのだけれど、高関さんの成熟と京響の好調を感じさせる、非常に聴き応えのある演奏となっていた。

 高関さんの実演には、京都会館時代の京都市交響楽団の定期や、かつてシェフの座にあった大阪センチュリー交響楽団の定期で、度々接してきた。
 機智に富むプログラミングと、細部まで目配せの届いたオーケストラ・コントロールには、常々感心し、見通しのよい音楽を聴くことができたと大いに納得したものだ。
 ただ一方で、智に働けば-角は立たないものの、エモーションに不足するというのか、腹の底から揺り動かされるには、何かが僅かに欠けるもどかしさを感じていたことも事実である。
 例えば、先述した第536回定期で演奏された、同じマーラーの交響曲第7番「夜の歌」など、高い水準の演奏である反面、狂躁的には陥らない音楽づくりに、それが高関さんの美質と知りつつも、若干物足りなさを覚えたりもした。
 ところが、今回の「悲劇的」には、掛け値なしに圧倒された。
 と、言っても高関さんの音楽性が表面的に大きく変化したわけではない。
 それどころか、プレトークやレセプションでのトークで高関さんの言葉にもあったように、第2楽章にアンダンテ、第3楽章にスケルツォを置くなど最新の楽譜を使用し、マーラー協会とやり取りを重ねた上で、自分自身の書き込みも加える等、徹底した楽譜、ばかりか音楽の行間の読み込みは一層精緻さを増している。
 だからこそ、神は細部に宿る、ではないけれど、そうやって再現された音楽そのものが、作曲家の意図や作品の持つ正負のエネルギーを余すところなく顕現させるのである。
 マーラーが単に交響楽の優れた作曲家であるばかりではなく、秀でた劇場感覚の持ち主であることを証明する楽曲の構造構成はもちろんのこと、アンダンテ等での抒情性、旋律美、スケルツォ等での確信犯的な悪ふざけ、そしてそうした全曲を通底する劇性、悲劇性。
 マーラーの交響曲第6番「悲劇的」とはなるほどこういう音楽であったかと腑に落ちるとともに、その圧倒的な力に強く心を動かされた。

 当然、ソロ、アンサンブル両面で高関さんの意図によく沿った京都市交響楽団の充実した演奏を忘れてはなるまい。
 世評通り、京響は現在一つの音楽的なピークを迎えていると痛感した。
 それだけに、僕ら聴き手もまた、音楽の余韻をもっとたっぷり愉しめるようになって(それは、音が鳴り終わったとたん拍手をしてしまう、といった表層的なことだけではなく)、京都市交響楽団のさらなる進化を支えていければと思う。

 ああ、素晴らしかった!
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by figarok492na | 2016-03-12 21:35 | コンサート記録

村上敏明リサイタル

☆村上敏明リサイタル

 独唱:村上敏明(テノール)
 伴奏:福田和子(ピアノ)

 会場:京都コンサートホール小ホール アンサンブルホールムラタ
 座席:1階 4列8番
(2016年2月26日18時半開演)


 京都芸術劇場春秋座等でいろいろとお世話になった橘市郎さんからお招きを受けて、橘さんが代表を務める一般社団法人 達人の館が主催する、テノール歌手村上敏明のリサイタルを聴いた。
 「魂を揺さぶる情熱の歌声!!」
 とは、公演チラシの惹句だが、それが全てを表していると言っても過言ではないだろう。
 歌声の喜び、歌声の愉しさに満ち満ちた、とても聴き応えのあるリサイタルだった。

 村上敏明は国立音楽大学声楽学科を卒業後、長くイタリアで研鑚を積んで帰国し、藤原歌劇団に所属して同団の公演に出演するほか、新国立劇場などオペラを中心に活躍している。
 2012年以降、NHKのニューイヤーオペラコンサートに連続して登場しているから、そちらでご存じの方も少なくないのではないか。
 村上さんの特性魅力は、なんと言っても強靭な声帯(しっかりとした首周り!)から生み出される声量があって、張りと伸びのある美しい歌声だろう。
 特にフォルテの高音部分では、魂とともにホール全体がびりびりと震えるかのような迫力である。
 今夜は、『帰れソレント』や『カタリ・カタリ』といったナポリ民謡に始まり、リストの難曲『ペトラルカの3つのソネット』に挑んだ一部と、日本歌曲とオペラ・アリアを並べた二部の、二部構成だったのだけれど、冒頭から喉全開という感じだったのに、歌を重ねるごとにさらにテンションが高まって、150パーセント、200パーセントのパワーとでも呼びたくなるような歌いっぷりになっていた。
 中でも、二部後半のヴェルディの歌劇『ルイザ・ミラー』から「穏やかな夜には」~「私に祭壇と墓場が用意された」と歌劇『イル・トロヴァトーレ』から「ああ、愛しい人よ」~「見よ、あの恐ろしい炎を」、プッチーニの歌劇『トゥーランドット』から「誰も寝てはならぬ」は、村上さんの十八番ということもあってか、手放しで興奮。
 そして、村上さんのショーマンシップが十二分に発揮された4曲のアンコール、河野進作詞、川口耕平作曲の『よかった』、プッチーニの歌劇『トスカ』から「星は光りぬ」、ヴェルディの歌劇『リゴレット』から「女心の唄」、『オー・ソレ・ミオ』(ラストの部分を最後にもう一度歌った!)には、脱帽するほかなかった。

 出会ってから15年ほど経つという関西のベテラン福田和子は、村上さんの歌唱によく沿ったピアノ伴奏を行っていた。
 ピアノ・ソロのマスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲(一部)、レスピーギの6つの小品から「間奏曲-セレナーデ」も、出しゃばり過ぎず退き過ぎず、滋味あふれた演奏だった。

 そうそう、ショーマンシップといえばマイクを手にしてのおしゃべりを忘れちゃいけない。
 ユーモアを交えながら、音楽の要所を簡潔に説明する村上さんのおしゃべりは、全く邪魔になっていなかった。
(福田さんもレスピーギのあとに話をされていて、予想外に軽い語り口にちょっと驚く)

 いずれにしても、足を運んで大正解のリサイタルでした。
 ああ、素晴らしかった!!
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by figarok492na | 2016-02-27 00:23 | コンサート記録

同志社女子大学音楽学科オペラクラス モーツァルトの『フィガロの結婚』

☆第29回同志社女子大学学芸学部音楽学科オペラクラス
 モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』(全4幕)

 指揮:瀬山智博
 演出:井上敏典
管弦楽:同志社女子大学音楽学科管弦楽団
(2016年2月20日14開演/同志社女子大学新島記念講堂)


 夕暮れ社 弱男ユニットの藤居知佳子さんが花娘役で出演するということもあって、同志社女子大学の新島記念講堂までモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』の全幕公演を観聴きしに行って来た。
 あいにくの雨、それも本降りの悪天候の中、ほぼ満席の大盛況で本当に何より。
 湿度、気圧のWパンチは歌い手陣にも、オーケストラのメンバーにも辛いところだが、なべてそうしたハンディを感じさせない健闘ぶりに、まずは大きな拍手を贈りたい。

 同志社女子大学の『フィガロの結婚』といえば、学芸学部音楽学科のオペラクラスの卒業生(4年次生)をメインキャストに据えた2月、3月の恒例行事で、今年で29回目を迎える。
(なお、男性キャストは、教授講師の先生や関西二期会関西歌劇団所属のベテラン勢が演じる)
 一から自分たちで創り上げた上演、という手造り感に好感を抱いた。

 で、伯爵夫人、スザンナ、ケルビーノ、マルチェリーナの四役は声質に合わせて、幕ごと、もしくはシーンごとに4年次生が歌い分ける。
 誰がどの場面を歌うかによって、彼と我、ならぬ彼女と我の差があったように思われたし、これからオペラを生業としそうな人とそうならなさそうな人の違いも聴き受けられたが、舞台に立ってオペラを歌い演じることへの真摯さ初々しさを感じ取ることができた。
 中でも、第3幕で伯爵夫人を歌った浦山慶子(昨年7月のオーケストラ・コンサートでも接した)の声量と歌唱力が印象に残った。
 青木耕平(アルマヴィーヴァ伯爵)、井原秀人(フィガロ)、雁木悟(ドン・バルトロ)、谷浩一郎(ドン・バジリオ)、平松実留(ドン・クルツィオ)、佐藤彰宏(アントニオ。遠目だと、どじょう野田佳彦みたい)の男声陣も、そうした彼女たちをよく支えていた。

 チェンバロを兼ねた指揮の瀬山智博は、速めのテンポ設定。
 ただし、ほとんどが学部生で編成されたオーケストラのソロ、アンサンブル両面の限界を考えてか、いわゆるピリオド・スタイルを援用した強弱の変化の激しい音楽づくりは避けられていたし、男声陣も含め歌唱においても、装飾音等は加えられていなかった。
(バジリオのアリアの中で、ちょっとした「逸脱」はあったが。谷さんは爪痕を残すというか、一トリッキーな役回りを美声を駆使して演じ切っていた)

 また、井上敏典の演出も、プレトークで触れられていたような社会性(革命)の芽のようなものを少しずつ仕掛けてはいたが、基本はオペラクラスの面々の歌い易さ、一定以上の水準で上演を成立させることに重きを置いたものだったと思う。
 その分、若干歌芝居としての面白さの不足、物足りなさを覚えたことも事実だが、公演の性格を考えれば充分理解はいく。
(そのことに関して、音楽大学の中で何がどこまで教えられるべきなのか? 逆に、音大生の側が学校以外の場所で何を学び取り、吸収しておくべきなのか? といったことをついつい考えてしまう。基礎の研鑚は当然学内にある。だがしかし…)
 と、記しつつ、終演後、キャストばかりかスタッフ(裏方)に先生方揃ってラストの部分を歌ったのには、じんときた。

 いずれにしても、今回の公演に参加した皆さん、特に卒業生の皆さんの今後のさらなるご研鑚、ご活躍を心より祈ります。


 そうそう、座った場所が悪くて、記録写真を撮影しているパシッパチッという音がしばらく気になって仕方なかった。
 演奏に集中しだすとそれほど気にならなくなったし、担当の人もずっとしんどそうだったので文句を言うつもりはないけれど、これは本来ゲネの際にすませておくべきことなのではないか。
 まさしく記録すべき内容だとも思うから、何がなんでもゲネですませとは言わないが。
 無料とはいえ、いや無料だからこそ留意すべきことだと僕は思う。
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by figarok492na | 2016-02-20 23:08 | コンサート記録

神戸市室内合奏団独自の定期演奏会の回数がカウントされるようになった

 暦の上では、立春。
 ということでもないだろうが、関西のホールや劇場、楽団の2016年度の公演予定が次々と発表されている。
 ワーグナーの『ニーベルングの指環』四部作の上演など、中でも沼尻体制下のびわ湖ホールのプログラミングが非常に興味深いが、これまで日本のオーケストラの動向を付かず離れず見続け聴き続けてきた人間にとっては、神戸市室内合奏団が独自の定期演奏会(公演)の回数をカウントし始めるようになったことが非常に嬉しい。
 詳しくは、こちらの「神戸市室内合奏団定期演奏会 平成28年度シーズン・プログラム」をご覧いただきたい。
 あまりの嬉しさに、思わず主管の神戸市演奏協会にお電話をかけお話をうかがったところ、これまで合唱団の演奏会などとあわせた演奏回数しかカウント(記載)してこなかったが、2016年度のシーズン・プログラムを作成するに際して、長らく活動してきた神戸市室内合奏団の業績をさらに多くの方に知っていただくためにも独自の公演回数を記載してはということになったそうだ。
 奇しくも先日亡くなられた初代音楽監督の岩淵龍太郎さんやゲルハルト・ボッセさんとの演奏をはじめ、今年で設立35年目を迎える神戸市室内合奏団の活動を数字として表すという点で、今回の独自の演奏会回数の記載は、些細なようで実は大きな意味を持つものに違いない。
 2016年度は、現音楽監督の岡山潔さんの下、おなじみ石川星太郎さんやライナー・ホーネックさんが定期に登場する予定だ。
 神戸市室内合奏団は、1997年の野平一郎さんが指揮した定期以来接することができていなかったのだけれど、これを機に神戸まで足を伸ばしてみようかと思う。
 神戸以外にお住まいの皆さんも、よろしければぜひ。
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by figarok492na | 2016-02-05 14:48 | コンサート記録

大阪フィル 第9シンフォニーの夕べ

☆大阪フィル 第9シンフォニーの夕べ

 指揮:井上道義さん
 独唱:小林沙羅(ソプラノ)、小川明子(アルト)、福井敬(テノール)、青山貴(バリトン)
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
 合唱:大阪フィルハーモニー合唱団
(2015年12月30日19時開演/フェスティバルホール)


 ネオ落語関係の人と一緒に大阪はフェスティバルホールまで、井上道義さん指揮大阪フィルの第9シンフォニーの夕べを聴きに行ってきた。
 よくよく考えてみたら、年末にベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」のコンサートを生で聴くのは6年ぶりになる。
 そして、改装されたフェスティバルホールに足を運ぶのは今回が初めて。
 いっとう安い3000円の席で、確かに演奏者陣の姿は小さく見えたが、響きは想像していた以上にクリアでシャープなもので、全く不満はなかった。
(一つ前に座った子供連れのおじさんが、やたら頭を動かしたため、せっかくの井上さんの姿がよく見えなかったのはちょと残念。そうそう、井上道義さんとフルネームに敬称を付けるのは、20年以上前に日本音楽家ユニオンのオーケストラ協議会のレセプションでご挨拶したことがあるためである。井上さんはお忘れだろうが)

 で、第1楽章から遅めのテンポ。
 最近流行りの快速スタイル(例えば、パーヴォ・ヤルヴィとNHK交響楽団のような)とは大きな違いを聴かせる。
 と、言ってもかつての巨匠風の大どかな雰囲気というのではなく、じっくりはっきり音楽の構造、音の鳴りを示すというような行き方だったと思う。
 第2楽章も同様。
 指揮の姿は情熱的だが、音楽そのものには踊り狂うような感じがない。
 旋律をたっぷりと歌わせた第3楽章から集中度が増し、福井敬をはじめとした独唱陣やよく訓練された合唱団の熱演も加わった第4楽章には大きく心を動かされた。
 いずれにしても、井上道義さんの第九との向き合い方、強い意志が表された演奏で、大阪フィルもそれによく応える努力を重ねていたのではないか。
 そして、大フィルの第9コンサートの恒例、合唱団による『蛍の光』には、感無量となった。

 やっぱり生の第九、生のオーケストラ、生の歌声、生のコンサートはいいや。
 ああ、素晴らしかった!
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by figarok492na | 2015-12-31 03:31 | コンサート記録

来年度の京都市交響楽団の自主公演が発表された KEXのことも少し

☆来年度の京都市交響楽団の自主公演のコンサート情報が発表された


 来年2016年度の京都市交響楽団の自主公演のコンサート情報が発表された。
 詳しくは、楽団のホームページで確認していただければと思うが、近年の京響の好調ぶりを象徴した、均整のよくとれたラインナップではないだろうか。
(以下、会場が未記入なものは全て京都コンサートホール大ホールでのコンサート)

 まずは、シェフの広上淳一が指揮する4月の定期(15日。第600回。モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』他)と大阪特別公演(17日。ザ・シンフォニーホール。『ツァラトゥストラ』、サン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付」)、9月のスーパーコンサート(11日。楽団60周年記念のツアーのしめくくりで、五嶋みどりのソロによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』他)、17年3月の定期(25、26日。第610回。マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」)。
 そして、今さら多くを語る必要もないチェコの遅咲きの巨匠ラドミル・エリシュカが振る10月の定期(7日。第606回。スメタナの「モルダウ」、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」他)。
 また、沼尻竜典が指揮する8月の定期(19日。第605回。三善晃のピアノ協奏曲、ショスタコーヴィチの交響曲第4番)、常任首席客演指揮者の高関健が指揮する11月の定期(26、27日。第607回。メシアンのトゥーランガリラ交響曲)、常任客演指揮者の下野竜也が指揮する17年1月の定期(21、22日。第608回。パスカル・ロジェのソロによるモーツァルトのピアノ協奏曲第25番、ブルックナーの交響曲第0番)も興味深いプログラムだし、ピリオド・スタイル万歳の人間には17年2月の鈴木秀美の定期初登場(17日。第609回。鈴木さんの弾き振りでカール・フィリップ・エマニュエル・バッハのチェロ協奏曲、ハイドンの交響曲第82番「熊」、ベートーヴェンの交響曲第5番)も嬉しい。
 定期の2回開催と1回開催の番組がちょっとだけ逆かな(4月の広上さんや、エリシュカは1回のみ)と感じたりもしないではないが、ニューイヤーコンサート(17年1月8日。角田鋼亮の指揮)やオーケストラ・ディスカバリー(川瀬賢太郎等)も含めて、聴きどころ満載だとも思う。
 ここ数年、京響のコンサートからは足が遠のいていたが、来年は京都コンサートホールに足を運ぶ機会が増えそうだ。

 そうそう、京都国際舞台芸術祭(KEX)2016SPRINGのプログラムの全容も発表されたんだった。
 こちらはいつもの如く刺激的な顔ぶれで、特にアート好きな方々には堪えられない内容だろう。
 ただ、せっかくロームシアター京都が開館になるのだから、オペラが組み込またらいいのにと思ったりもしなくはない。
 例えば、ドイツ・オーストリアやスペイン、フランスなどの歌劇場で評価され始めた若手の演出家とこれはという歌手だけを招聘して、あとは国内の音大・芸大からオーディションで選出されたメンバーなどと長期にわたって一つの公演を造り上げるとか。
 もっと手っとりばやい方法では、ロシアの地方都市ペルミで大活躍中のテオドール・クルレンツィスとムジカ・エテルナ、並びに少数の歌手を呼んで室内オペラを上演するとか。
 それにクルレンツィスとムジカ・エテルナならばバレエもいけるし。
(順当にいけば、演出は三浦基になるのかもしれない。ただ、杉原邦生のオペラ演出とか面白いんじゃないかな)
 まあ、ロームシアターでオペラとなると運営面での諸々、もっと率直にいうと小澤征爾たちとの絡みもあるだろうから、なかなか簡単に進みはしないのかもしれないが。
 クルレンツィスとムジカ・エテルナならば、小澤さんと同じレコード会社(SONY)なので、まだ可能性が高いかも。

 いずれにしても、コンサート(オーケストラだけじゃなく)、オペラ、演劇、落語、映画等々、興味深いもの面白そうなもの、満遍なく通おうとするには、あまりにもお金と時間が足りない。
 来年は、ますます「厳撰」する一年になりそうだ。
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by figarok492na | 2015-11-25 20:00 | コンサート記録

同志社女子大学学芸学部音楽学科オーケストラコンサート

☆同志社女子大学学芸学部音楽学科オーケストラコンサート

 吹奏楽指揮:関谷弘志
 吹奏楽:同志社女子大学音楽学科ウインドオーケストラ

 管弦楽指揮:山下一史
 管弦楽:同志社女子大学音楽学科管弦楽団
(2015年7月11日14時開演/同志社女子大学京田辺キャンパス・新島記念講堂)

 夕暮れ社 弱男ユニットでも活躍中の藤居知佳子さんが出演するということで、同志社女子大学の京田辺キャンパスまで同志社女子大学学芸学部音楽学科のオーケストラコンサートを聴きに行って来た。
 同志社女子大学といえば、もう15年以上も前になるか、野入志津子がゲスト出演したリュートアンサンブルのコンサートを聴いたことがあるが、あのときは小ぶりな頌啓館ホールが会場。
 新島記念講堂は千人規模の大ホールで、ほわんほわんとよく反響していた。

 で、第1部は、関谷弘志指揮による同志社女子大学音楽学科ウインドオーケストラの演奏。
 ネリベルのフェスティーヴォ、ホルストの吹奏楽のための組曲第2番、リードのアルメニアン・ダンス パートⅠと、ブラバン・ファンにはおなじみの作品が並ぶ。
(ちなみに、クラシック音楽のファンとブラバン・ファンには、純然たる境界があるように思う。コーラス・ファンとの間にあるような)
 オーケストラの指揮でも知られる関谷さんは、音楽の角をしっかり詰めるというか、まとまりのよいアンサンブルを築きつつ、鳴らすべきところを大いに鳴らして、半歩先に進んだようなネリベル、イギリスの伝統的な様式に則りながらソロの聴かせどころをきちんと設けたホルスト、エンタメ性に富んで愉しいリードという、各々の楽曲の特性魅力をよく表していた。
 ウインドオーケストラもそれによく応えて、響きのよい演奏を披露する。

 休憩を挟んで第2部は、山下一史指揮の管弦楽団とソリストたちの協演。
 まずは、フルートの長谷川夕真とハープの松井夕佳の独奏でモーツァルトのフルートとハープの協奏曲の第1楽章と第3楽章が演奏されたが、作品の持つインティメートな雰囲気がよく再現されていたと思う。
 特に、単に技術的に完璧に吹きこなすというのではなく、「笛を吹く」楽しさ心地よさをうかがうことのできた長谷川さんのフルートに好感を覚えた。

 続いては、ソプラノの浦山慶子が、ドニゼッティの歌劇『ドン・パスクヮーレ』からノリーナのアリア「騎士はあの眼差しを」を歌う。
 女性の恋心を歌った軽快でコケットリーなアリアで、平場というか語りが勝った箇所では少しだけたどたどしさを感じたものの、高音部分では浦山さんの澄んで伸びのある声質がいかんなく発揮されていた。

 メゾソプラノの藤居知佳子さんが歌ったのは、サン=サーンスの歌劇『サムソンとデリラ』からデリラのアリア「あなたの歌声にわが心は開く」。
 藤居さんの声量の豊かさは夕暮れ社の公演ですでに承知していたけれど、今回大ホールで耳にして、さらにそのことを痛感した。
 サムソンに愛を訴えながら、それが大きな策略となっているという一筋縄ではいかないアリアだが、藤居さんは幅が広くて深みのある声と真摯な感情表現で充分に納得のいく歌唱を繰り広げていた。
 強弱など、細部のコントロールが一層の緻密さを増せば、さらに活躍の場が増していくように思った。

 第2部最後は、林あゆみのピアノ独奏で、シューマンのピアノ協奏曲の第1楽章が演奏される。
 林さんの演奏スタイルもあって、作品の持つ歌唱性叙情性よりも、ヴィルトゥオージ性をより感じた。

 再び休憩を挟んだ第3部は、山下一史指揮の管弦楽団がシューマンの交響曲第1番「春」に挑んだ。
 外枠をしっかり固めるというか、弦管ともに厚みのある音色を築いた上でエネルギッシュにパワフルに鳴らす山下さんの音楽づくりは、相対するオーケストラが技術的に高い場合、作品によっては幾分表層的に聴こえるきらいがなくはなく、例えば京都市交響楽団第528回定期演奏会(2009年9月4日/京都コンサートホール大ホール)のシューマンの交響曲第2番など、強奏がよい意味での狂奏になりきらないもどかしさを感じたりもした。
 だが、今回の場合、アンサンブルを一から丁寧に造り上げていかなければならないという制約が、山下さんの特性をひときわプラスに働かせる結果となっていたのではないか。
 若干ごたついて聴こえる箇所もなくはなかったが、作品の構造や劇性はよくとらえられ、再現されていたと思う。
 ソロの部分を含めて、オーケストラも大健闘だった。
 第1楽章の繰り返しなどの省略も、コンサートの時間(3時間近く)を考えれば適切だろう。

 アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。
 上述した時間の関係上、相当まきの入った演奏だったが、土台がしっかりしている分、良い意味であおりがついてドラマティックな仕上がりとなっており、わくわくすることができた。

 と、予想していた以上に密度が濃くて、聴き応えのあるコンサートだった。
 ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2015-07-12 00:17 | コンサート記録

フライブルク・バロック・オーケストラの来日コンサート(ブランデンブルク協奏曲全曲)

☆フライブルク・バロック・オーケストラ
 J.S.バッハ:「ブランデンブルク協奏曲」全曲

 演奏:フライブルク・バロック・オーケストラ
 音楽監督:ペトラ・ミューレヤンス、ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ
 会場:京都コンサートホール大ホール
 座席:3階 LB-1列9番
(2014年2月14日19時開演)


 雪は降ったし、寒さは厳しいし。
 どうしよっかなあ、正直バッハって言うほど好みじゃないし。
 と、一応当日券の有無は確認しておいたものの、迷いに迷ったコンサートだったが、先頃ハルモニアムンディ・フランス・レーベルからリリースされたフライブルク・バロック・オーケストラが演奏したブランデンブルク協奏曲のCD録音のさわりをネットで試聴して、初志貫徹、これは聴いておくべしと決断した。

 で、やっぱり足を運んで大正解。
 音楽の愉しみに満ちあふれた、とっても聴き応えのあるコンサートだった。

 今日は、ホルン2にオーボエ3、ファゴットと編成の大きな第1番に始まり、ヴァイオリン抜きでヴィオラ・ダ・ガンバが混じった極小編成の第6番、トランペット、オーボエ、リコーダー、ヴァイオリンがソロを務める第2番(ここで休憩)、弦楽器のみの第3番、チェンバロ、フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリンのソロによる有名な第5番、そしてリコーダー2本とヴァイオリンがソロの第4番という順番で全曲が演奏されたが、ソロとリーダーを分けあったヴァイオリンのミューレヤンスとフォン・デア・ゴルツのもと、ピリオド楽器の腕扱き奏者が集まったフライブルク・バロック・オーケストラは、スタイリッシュでスポーティー、なおかつインティメートな雰囲気も豊かなアンサンブルでもって、バラエティに富んだブランデンブルク協奏曲の要所急所、音楽のツボ(例えば、音楽の舞踊性であるとか)を巧みに押さえた優れた演奏を生み出していた。
 また、トランペットやトラヴェルソ、リコーダー、チェンバロといったソロの名技に加え、それを支える楽器との掛け合いも見事で、ああもっともっとこの音楽、この演奏を聴いていたいと思ってしまったほど。
 2時間があっという間に過ぎてしまった。

 しかも、これだけ愉しめたというのに、チケット料金はたったの3500円!
 一番高い席でも4500円。
 お客さんの入りがあまりよくなかったのが、本当に申し訳ないくらい。

 ああ、面白かった!
 ああ、愉しかった!
 ああ、素晴らしかった!

 そして、できれば今度はフライブルク・バロック・オーケストラが演奏する古典派や初期ロマン派の作品にも接してみたい。
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by figarok492na | 2014-02-15 00:29 | コンサート記録

活き活きとしたモーツァルト 二重奏&ソロの光と影

☆モーツァルト 未来へ飛翔する精神
 3・二重奏&ソロの光と影

 フォルテピアノ:アンドレアス・シュタイアー
 ヴァイオリン:佐藤俊介
(2013年12月6日19時開演/いずみホール 2階RB列20番)

 *招待


 今年度、いずみホールが企画主催している「モーツァルト 未来へ飛翔する精神」シリーズのうち、その第3回目にあたる、二重奏&ソロの光と影を聴きに行って来た。
 実は、応募ハガキを送って招待券が当たったからなのだけれど、3年ぶりのコンサートに、まずは「生の音楽ってやっぱりいいな」というのが率直な感想。
 そして、これは掛け値なしに愉しく面白いコンサートだった。

 あいにくケルン滞在時には聴き逃したアンドレアス・シュタイアーといえば、1996年10月2日・京都コンサートホールでの、クリストフ・プレガルディエン(テノール)とのシューベルトの『冬の旅』をすぐに思い起こすが、あの時同様、ソロを支えつつ、自らも鋭い読み込みであるは雄弁に語りあるは柔らかに優しく歌いと、見事な演奏を繰り広げていた。
(まあ、この当時のヴァイオリン・ソナタといえば、鍵盤楽器のほうに力点が置かれていたりもするんだけど)
 一方、ヴァイオリンの佐藤俊介も、抑えるところはきちんと抑えつつ、主張するところはしっかり主張して、シュタイアーとインティメートな雰囲気に満ちていながら、よい意味での距離感も保ったデュオを生み出していた。
 前半のK.303とK.304のソナタでは、作品の持つ性質にあわせてクラシカルなアプローチを心がけ、後半の「ああ、私は恋人をなくした」の主題による6つの変奏曲(終盤の追い込み)、K.306のソナタ(軽快で陽性)では、モダン楽器での蓄積を活かしてロマンティックな表情づけも行うなど、その才気を充分に感じた。

 また、前半の2曲目に、シュタイアーのソロで、ピアノ・ソナタ第8番イ短調が演奏されたが、急緩急というテンポ設定を明確に意識した劇性に富んだ音楽となっていた。
 楽器の特性(限界)もあって、正直スリリングな箇所もあったのだけれど、だからこそ楽曲の構造、音楽の造りがよく見通せたことも事実であり、しかもそれが単なる学識の提示に終わらず、作品の持つ感情面での変化、及びシュタイアー自身の強い表現欲求、作品との向き合い方と密接につながっている点に深く感心し深く感嘆した。

 いずれにしても、長調と短調を組み合わせるなどモーツァルトの作曲内容の如実な変化にも配慮した意欲的なプログラムも素晴らしく、生命感にあふれて活き活きとした音楽を愉しむことができ、本当に満足がいった。
 ああ、面白かった!

 なお、アンコールはK.380のソナタの第2楽章。
 使用楽器は、フォルテピアノが2002年製作のアントン・ワルター・モデル(1800年頃、ウィーン)のレプリカ、ヴァイオリンが2009年パリ製作のバロック・ヴァイオリンである。
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by figarok492na | 2013-12-07 01:11 | コンサート記録

京都市交響楽団第536回定期演奏会

 ☆京都市交響楽団第536回定期演奏会

  指揮:高関健

  会場:京都コンサートホール大ホール
  座席:2階P5列23番(休憩前)、3階LB2列3番(休憩後)


 高関健という指揮者の名前を耳にしてまず思い出すことといえば、かつての大阪センチュリー交響楽団時代の知的で洗練されたプログラムと演奏の数々である。
 その高関健が、京都市交響楽団の定期演奏会でウェーベルンの管弦楽作品とマーラーの交響曲第7番「夜の歌」をとり上げるというので、迷わず聴きに行って来た。

 会場に足を踏み入れて、舞台上の楽器やら何やらの数の多さに圧倒される。
 いや、演奏される作品が作品だけに、頭ではある程度想像していたのだけれど。
 やはり、百聞(百想)は一見に如かず、か。

 一曲目は、ウェーベルンの管弦楽のための5つの小品。
 ただし、管弦楽とは称しつつも、これは非常に刈り込まれた小編成による作品。
 ウェーベルンらしい点描画的短詩的な音楽を、高関さんと京響のピックアップメンバーが巧みに再現していた。

 続く二曲目は、同じくウェーベルンの大管弦楽のための6つの小品。
 こちらはタイトルに偽りなし。
 まさしく大編成による作品で、先の5つの小品と同様のスタイルなのだけれど、「大管弦楽」を活かして音量、音響、音色の面で、様々な仕掛けが施されている。
 音楽とのつき具合慣れ具合というものは感じさせつつも、作品の構造や聴きどころをしっかり押さえた演奏になっていたのではないか。
 てか、ウェーベルンをこうして生で聴くことができるだけでも嬉しいかぎり。

 そして休憩後は、本日のメイン、マーラーの交響曲第7番「夜の歌」。
 「夜の歌」なんだから、夜に聴きたかった。
 なんて無茶なことは言わないことにする。
 なにしろ、ウェーベルンと同じく、この交響曲を生で聴くことができるだけでも嬉しいかぎりなのだから。

 そうそう、余談だけれど、細々と記し続けているオーケストラのコンサート記録のノートで確認したが、マーラーの交響曲第7番の実演に接するのは、1990年5月20日のギュンター・ヘルビッヒ指揮トロント交響楽団の大阪公演(どうにもバブルの臭いがする)以来だから、なんと20年ぶりということになる。
 それ以後も、CDでは何度も耳にした作品だが、これは生でないとちょっと白けてしまうというか。
 今では、大好きなブラームスの8つのピアノ小品作品番号76-2(カプリッチョ)にどことなく音型が似ていることもあって、第4楽章(二つ含まれた「夜の歌」のあとのほう)だけを聴くことが多くなった。

 で、マーラーの交響曲第7番に関して、ここで無い知恵を振り絞ってぐだぐだくどくどと書き記すことはしない。
 非常に大がかりで、非常に大げさ(フィナーレの狂躁ぶり!)、しかも過度にロマンティックで、先述した第4楽章のように親密な雰囲気を醸し出しつつ、一方で諧謔的な志向も事欠かない。
 まったくもって一筋縄ではいかない、実に厄介な交響曲だ。

 高関健と京都市交響楽団は、そうした作品の持つ魅力(それは音量的なものもあれば、旋律的なものでもあり、さらに構造的なものでもある)を丁寧に、なおかつ破綻なく表現しきっていたように僕は思う。
 作品が作品だけに、どうしてもとっちらかった印象を与えてしまう部分や、ライヴ特有の傷もなくはなかったが、終楽章の大騒ぎを聴きながら、「生きること、死ぬこと」についてあれこれ感じ考えていると、そんな細かいことどうでもよくなった。
 管楽器、弦楽器、打楽器(第4楽章のギターにマンドリンも含む。それと、ヴィオラのソロは菅沼準二さんだったのか。どうりで)、なべて大健闘。

 終演後の熱くて力強い拍手を耳にしながら、ああやっぱり生のコンサートはいいなと改めて痛感した次第。
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by figarok492na | 2010-06-20 11:35 | コンサート記録