カテゴリ:映画記録( 79 )

山の音

☆山の音(1954年、東宝、モノクロ)

 監督:成瀬巳喜男
 原作:川端康成
 脚本:水木洋子
 美術:中古智
 音楽:斎藤一郎
(2016年1月31日17時上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)


 以前DVDで何度も観たことはあるのだが、最後の新宿御苑のシーンをスクリーンで見ておきたいと思い、京都文化博物館のフィルムシアターまで足を運んだ。
 なお、今回は「追悼 映画女優 原節子」としての上映である。

 『山の音』は、川端康成の原作を水木洋子が脚本化したものだが、フィルムシアターの上映プログラムにもある通り、原作の未完成時に書かれたシナリオのため、小説と映画では結末が異なっている。
 鎌倉のアッパーミドルクラスの家庭(息子夫婦と両親が暮らしており、そこへ夫と不仲となった娘が戻って来たりもする)と、東京の父親の会社(息子も勤めている)周辺が舞台で、原節子演じる息子の妻と山村聰演じる義理の父親を中心に、妻と上原謙演じる息子をはじめ様々な人間関係が巧みに織り込まれていく。
 閉ざされた世界が続き、広大な新宿御苑でラストを迎える展開も含めて、幾重にも重ねられた「コントラストの妙」と、岸田國士の戯曲を観ているような「行間の広い会話の妙」が味わえる作品だ。
 一方で、やるせなきおの異名の如く、しんねりむっつりとした筋運びとあからさまでない表現の隙間から、川端康成流儀のエロティシズム、いやらしさが覗き見えることもこの『山の音』の魅力であると思う。

 役者陣では、山村聰、長岡輝子(姑)、中北千枝子(小姑)の芝居の達者なこと達者なこと。
 また、成瀬作品ではぴか一の上原謙のしゃむない男ぶり。
 そして、なんと言っても原節子。
 と言いたいところだけど、僕は原さんよりも杉葉子のほうが好きなんだよね。
 この作品の杉さんときたらもうああた!!
 ほかに、角梨枝子、丹阿弥谷津子、金子信雄(髪がある!)、十朱久雄らの出演。

 ああ、面白かった!


 余談ですが、新宿御苑って、個人的にちょっとした想い出のある場所なんですよね。
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by figarok492na | 2016-01-31 22:26 | 映画記録

ジュリー・テイモア監督の『夏の夜の夢』

☆夏の夜の夢

 監督:ジュリー・テイモア
(2014年/アメリカ)


>まあ、あなた、そんなに啞か何か見たように黙ってらっしゃらないで。
 ね、何とか仰しゃいませよ<
(水村美苗『続明暗』<新潮文庫>115ページより)


 水村美苗の初期の作品に、夏目漱石の未完の長篇『明暗』を書き継いだ『続明暗』がある。
 漱石後期特有のいじいじうずうずいーっとした感じが乏しい点はひとまず置くとして、女性の視点、特に津田の妻お延の心境の変化に多く筆が割かれた点、強く印象に残る作品だ*。
 京都国際映画祭の一環として上映されたジュリー・テイモア監督の『夏の夜の夢』を観ながら、ふと『続明暗』を思い出したのは、表面的な状況や作品の様相は異なりつつも、作品終盤のハーミアやヘレナの姿に、お延と通ずるものを感じ、さらにはテイモア監督と水村美苗の表現姿勢につながるものを感じたからかもしれない。

 『夏の夜の夢』は、言わずと知れたシェイクスピアの戯曲をテイモア監督自身が演出した公演を、様々な映像的手法を駆使して撮影したものである。
(戯曲の演劇的な上演を映画化したものとしては、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』によるルイ・マル監督の遺作『42丁目のワーニャ』があるが、あちらは通し稽古という体だったように記憶する)
 本格的な公開はまだ先ということもあって、あえて詳細に関しては触れないが、登場人物たちの愛にまつわる心のもつれとともに、上述したようなジェンダー・フェミニズム、人種、LGBTといったいわゆる「ポリティカル・コレクトネス」の問題を踏まえつつ、先行諸作品のエッセンス(そこには、テイモア自身の『ライオンキング』はもちろん、日本の作品も含まれていると思う)を盛り込みながら、テイモア監督は『夏の夜の夢』にシェイクスピア作品の肝や尖鋭性、時代的制約を巧みに浮き彫りにしていく。
 が、こう書かれたからといって、何やら小難しくてわかりにくい映画だと思ったら大間違い。
 原作の持つ物語の面白さにスピーディーなテンポに、見世物小屋的な趣向、邪劇性、映像的な仕掛けをぶち込むことで、二時間半という長尺を感じさせないエンターテイメント性にも富んだ作品に仕上がっている。
 また、役者陣の一挙手一投足も、そうした監督(演出)の意図によく沿っており、台詞遣いの美しさ(シェイクスピアのテキストそのものの美しさ)からして、ああこれは適わないなあと思わされた。
 特に、演劇関係者に強くお薦めしたい一本だ。

 と、こう記しつつ。
 上述したあれこれや、ところどころ感じるオリエンタリズム、芸術的なほのめかしも含めて、この作品の寓意、含意、正負の両面、英米圏でのシェイクスピアの受容、血肉化が、この国でどの程度理解されるのだろうと考えてしまったことも事実である。
 そしてそのこと、彼と我との違い、欧米の文化文明の表面的な受容と根底にある断絶、翻訳可能性と不可能性といった事どもに関する葛藤を表現したのが、まさしく漱石であり、水村美苗の『私小説 from left to right』ではなかったろうか。


*ほかに、『明暗』に触発された作品として、永井愛の『新・明暗』がある。『明暗』を現代に置き換えた戯曲だが、これまた劇的効果と刺激に満ちた作品だ。
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by figarok492na | 2015-10-17 15:53 | 映画記録

連続ドラマ『フェイク・ショウ episode0』を観終えて

☆連続ドラマ『フェイク・ショウ episode0』を観終えて

 脚本・監督:作道雄、橋ヶ谷典生
 制作・著作:クリエイティブスタジオゲツクロ

 無事クラウド・ファンディングが達成した、クリエイティブスタジオゲツクロ制作のネット連続ドラマ『フェイク・ショウ episode0』全四話が公開された。
 ようやく最終話まで観終えたので、その感想を記しておきたい。

 若手中堅では屈指の実力の持ち主と評されもする揚鳥亭翔鳥(月亭太遊)だったが、心のうちでは笑いというものに疑問を抱き、落語家を辞めようかとすら悩んでいた。
 そんな中、翔鳥は落語ユニットSAGEを組む「相棒」でイケメン落語家七色亭桜餅(桂あおば)やドキュメンタリー番組のクルーとともに、オコノ村を訪れる。
 ところが、このオコノ村は、村人たちが自らの笑いを禁じた奇妙な村で…。
 といった具合に、『フェイク・ショウ episode0』は進んでいく。

 限られたスケジュールや限られた予算ということもあってだろう、最終話ともなると造り手側の苦心惨憺ぶりや、先行する諸作品からの影響が色濃くうかがえもしたが、フェイク・ドキュメントという手法を駆使したり、太遊さんがネオラクゴ・フロンティアなどで時折口にしている笑いに関する考え方を巧く取り込んだりしながらこうやって全四話をテンポよくまとめ上げた点を、まずは高く評価したい。

 役者陣では、太遊さんの辛抱立役ぶりがいっとう印象に残る。
 周囲の役者陣ばかりでなく作品全体に目を配りつつ、なおかつフェイク・ドキュメントという手法を意識した演技を強く心掛けていたように感じた。
 儲け役は、ファミリーレストランのハラダさん。
 茶川一郎を相当モダアンにしたような雰囲気で、細かいくすぐりに平場での演技と芸達者ぶりを発揮していた。
 KBS京都のラジオ番組でも承知していたが、ナレーション(声)もいい。
 一方、少し損をしていたのが、あおばさんではないか。
 ハラダさんや他の面々に伍してドラマ的な演技で努力していたが、その分経験不足が目についたような気がする。
 もちろん、あおばさんの素の魅力も要所要所で表われてはいたのだけれど。
 吉本新喜劇の佐藤太一郎の巧さは言うまでもないが、京都造形芸大の映画学科で研鑚を積んだ吐山ゆんの感や勘のよさ、伊藤こずえの理と智に秀でた演技も忘れてはなるまい。
 ほかに、ベテランの鈴木ただしらが出演。
(中瀬宏之も出演)

 地上波でのシリーズ化に際して課題も明らかになったと思う反面、遊び心、試し心、攻め心に満ちたドラマが造り出されるのではという大きな期待が持てる。
 フェイク・ドキュメントという手法を継続するのであれば、ドラマとドキュメントのバランスが重要だろうし、「フェイク」の部分に重きを置いてドラマに徹するのであれば、脚本の一層の練りや捻りが鍵になるだろう。
 キャスティングも含めて、作道君たちの腕の振るいどころ、頭の働かせどころだと思う。
 今後の展開が本当に愉しみだ。
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by figarok492na | 2015-08-31 13:50 | 映画記録

連続ドラマ『フェイク・ショウ episode0』第一話

☆連続ドラマ『フェイク・ショウ episode0』第一話

 脚本・監督:作道雄、橋ヶ谷典生
 制作・著作:クリエイティブスタジオゲツクロ


 月亭太遊さんのネオラクゴ企画、ネオラクゴ・フロンティアでもしきりとクラウド・ファンディングの説明が繰り返されていた、連続ドラマ『フェイク・ショウ』の第一話がyoutubeに公開された。
 ここのところ親しく接している太遊さんが主演されている上に、ご存じの方はご覧いただければおわかりになる通り、僕自身ちらと出演していることもあって、なかなか第三者的に語ることも難しいが、これは実に今後の展開が愉しみな作品だ。

 揚鳥亭翔鳥(太遊さん)は若手中堅の中では屈指の実力派落語家だけれど、『SAGE』という落語ユニットを組んでいるイケメンの七色亭桜餅(桂あおば)ほどには人気がなくて、少々複雑な心境である。
 そんな二人がドキュメンタリー番組のクルーとともにとある村を訪れるが、どうにもこの村が怪しくて…。
 と、『フェイク・ショウ』のタイトル通り、KBS京都で放映された『ショート・ショウ2』で評価されたフェイク・ドキュメンタリー(ドキュメンタリー風のフィクション。海外でいうと、『カメレオンマン』や『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。日本では、放送禁止シリーズ)のスタイルを用いた作品である。
 月面クロワッサン時代の『虹をめぐる冒険』にはじまる一連の映像作品の総決算というか、造り手の側がその手法になじんできていることが非常によくわかる。
 また、太遊さんを皮きりに、あおばさん、ファミリーレストランのハラダさん(この人は、ナレーションもいい)、伊藤こずえ(『ショート・ショウ2』の第5話で好演)、吐山ゆん(京都造形芸大映画学科の出身で、月世界旅行社のマチヤ映画夜行などで出演作品を何本も拝見したことがある)といった出演者たちもそうした作品世界に沿う努力を重ねている。
 それに、各々の素の顔、虚の間に実の姿が垣間見えるのも、この作品の大きな愉しみの一つである。
(地上波で再びシリーズ化される場合は、演技面での虚実の兼ね合い、バランスの置き具合が一層気になるところだ)

 いずれにしても、20分とちょっとがあっという間に過ぎていった。
 そして、揚鳥亭翔鳥たちの運命や如何。
 第二話の公開が待ち遠しいとともに、これはぜひ大きな画面で観てみたい。
 その意味でも、皆さんのクラウド・ファンディングへの協力に期待したい。
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by figarok492na | 2015-08-21 23:12 | 映画記録

中瀬宏之と『父のこころ』を観る会

 昨年、中瀬宏之が制作応援として現場に参加した(エキストラとしてワンシーン出演もしています。中瀬を探せ!)、谷口正晃監督の『父のこころ』の公開が、3月22日より京都は京都シネマ、大阪は十三の第七藝術劇場で始まります。

 で、それを記念して、公開第一週の26日(水)、27日(木)、28日(金)の連日、京都シネマで「中瀬宏之と『父のこころ』を観る会」を開催します。
 なお、上映開始は17時15分。
 平日の夕方ということで、お忙しいこととは存じますが、ご高察いただければ幸いです。

 前売券(1300円)も扱っておりますので、ご興味ご関心がおありの方は、中瀬のほうまでご一報くださいませ。
 なお、26日は映画ファンデーで、入場料金1000円!

 皆様のご高覧、心よりお待ちしております。
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by figarok492na | 2014-03-20 13:27 | 映画記録

めし

☆めし(1951年、東宝、モノクロ)

 監督:成瀬巳喜男
 原作:林芙美子
 脚色:井手俊郎、田中澄江
 美術:中古智
 音楽:早坂文雄
(2014年1月17日18時半上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)


 久しぶりに成瀬巳喜男監督の『めし』を観たが、やっぱり面白かったなあ。

 大阪に暮らす初之輔と三千代夫妻のもとに、家出をした初之輔の姪里子が急にやって来る。
 日々の生活に倦んでいた三千代は、初之輔と三千代の親密な姿が引き金となって…。
 と、『めし』は、林芙美子の未完の小説を井手俊郎と田中澄江が脚色し成瀬巳喜男が監督したもので、原節子演じる三千代の疲れ切った日常と感情の嵐や当時の女性の置かれた状況、男の情けなさ、狡さが、ときに滑稽さを交えながら丹念に描かれていく。
(って、実はこの『めし』へのオマージュとして、僕はある作品のシナリオを書いたんだけど、成瀬さんの世界観の再現は、とても難しかったんだよね。技芸においても、精神においても)

 小津作品とは対照的なやつれてヒステリックにもなる原節子や、しょたくたびれた初之輔役の上原謙はじめ、杉村春子、島崎雪子、二本柳寛、小林桂樹、杉葉子(大好きな女優さん)、中北千枝子、花井蘭子、進藤英太郎、滝花久子、浦辺粂子、大泉滉、長岡輝子、山村聰、田中春男といった役者陣も役柄によく沿った演技を行っている。
 また、中古智の美術には、いつもながら目を見張らされる。
 なお、今回は特集「生誕100周年記念 早坂文雄の映画音楽世界」の一環としての上映だが、若干甘やか過ぎるというか、早坂文雄はオーソドックスな音楽をつけているのではないか。

 いずれにしても、一見の価値ある作品だと思う。
 ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2014-01-17 22:47 | 映画記録

少女は自転車に乗って

☆少女は自転車に乗って WADJDA(2012年、サウジアラビア・ドイツ)

 監督・脚本:ハイファ・アル=マンスール
(2014年1月16日、京都シネマ・1、13時10分上映の回)


 とても明快な作品だ。

 どうしても自転車の欲しい10歳の少女ワジダがあの手この手を使って奮戦努力する…。
 どうして彼女が自転車を欲しくなったのかも、どんなに彼女が自転車を手に入れることが難しいかも、どれだけ彼女が変わらないものに対して抗っているかも、手に取るようにわかる。
 そしてそうしたあれこれがこれ見よがしの説教なんかじゃなくて、シンプルだけど安易じゃないストーリーだとか、コーランの引用だとか、映画的映像的暗喩(簡単に言うと、「絵」を通して伝えたいことを巧く伝えるってこと)だとかで表現されているのもよい。
 物語の背景というか、家庭環境など主人公が置かれた状況にはさらに考えることもあったりして(それは、いわゆる欧米ではない地域の政治的社会的変革を誰が担うかってことともつながってくる。当然、僕たちにも無関係じゃない)、観てよかったと思える一本であることも確かだ。
 主人公の少女を演じたワアド・ムハンマドはじめ、役者陣も役柄にぴったりで好演。

 今の世の中に暗澹たる気分となっている人にこそお薦めしたい。
 ああ、面白かった!

 そうそう、邦題もシンプルだけど、原題はワジダとさらにシンプルである。
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by figarok492na | 2014-01-16 17:33 | 映画記録

生きる

☆生きる(1952年、東宝、モノクロ)

 監督・脚本:黒澤明
 脚本:橋本忍、小国英雄
 音楽:早坂文雄
(2014年1月11日17時上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)


 京都文化博物館で『生きる』を観るのは今回で三度目だが、いやあ何度観てもこの作品は面白いなあ。
 冒頭、『ゴンドラの唄』を引用したテーマ音楽が流れ出しただけで、ぐっとスクリーンにひき込まれてしまう。
 官僚主義への批判や親子間、世代間の断絶、そして何より、いかに生きていかに死ぬかという大きな命題が、胃癌のために余命僅かとなった市役所の市民課長渡辺勘治と彼を取りまく人々のあれやこれやを通してくっきりと描かれていく。
 むろん、そうしたあれやこれやが道徳の教科書風にしんねりむっつりと語られるのではなく、ストーリーの跳躍といった映画的趣向や表現主義の影響、渡辺と善意のメフィストフェレスを自認する作家(伊藤雄之助)との通俗的で邪劇的なめくるめく彷徨、さらには乾いた滑稽さ(左卜全や小堀誠がコメディリリーフの役割を果たしている)等々が盛り込まれているからこそ、大きなテーマがよりひき立ってくるのだろうけれど。

 今回は、特集「生誕100年記念 早坂文雄の映画音楽世界」の一環としての上映だが、上述した『ゴンドラの唄』の使用とともに、黒澤明と早坂文雄ならではの「対位法」(シリアスな場面に陽性の音楽をあえてつける。例として、『酔いどれ天使』での「カッコウワルツ」が挙げられる)の素晴らしさを指摘しておかなければなるまい。
 市役所の元部下(小田切みき。表情がとてもいい)に渡辺が自分が胃癌で残された命が短いことを告白する場面でのイェッセルの『おもちゃの兵隊の行進』(この曲を速く回転させたものが、キューピー3分クッキングのテーマ曲)と、渡辺が生きることの意味を気づいたそのときに重なる『ハッピーバースデー』(再生)は、映像と音楽の相乗作用の白眉の一つだと思う。

 渡辺勘治を演じた志村喬はもちろんのこと、脇役端役に到るまで作品によく沿った演技を繰り広げていて観るたびに感心感嘆するばかり。
(一人だけとり上げると、はじめてテレビでこの作品を観たとき、警官役の千葉一郎のことを「この人、ほんと下手だなあ」と思ったのだけれど、この人の訥々とした善良で真摯な感じがあの場面でとても大切だったのだと今では痛感している。新聞記者を演じている永井智雄では、この役はやっぱり駄目なのだ)
 また、神は細部に宿るというが、細かい部分まで造り込んだ美術にも感嘆した。

 そしていつもながら、渡辺勘治にはなれなくとも、渡辺のようにあれればと思い続けている市民課員の木村(日守新一)程度にはありたいと改めて思った。
 ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2014-01-11 22:03 | 映画記録

生きている画像

☆生きている画像(1948年、新東宝、モノクロ)

 監督:千葉泰樹
 原作、脚本・脚色:八田尚之
 音楽:早坂文雄
(2014年1月9日18時半上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)


 京都文化博物館のフィルムシアターでありがたいのは、おなじみ邦画の傑作名作とともに、「知る人ぞ知る」といった作品にも接することができるということなのだけれど、千葉泰樹監督の『生きている画像』がかかるというので、迷わず足を運んだ。

 『生きている画像』は、自身の作品『瓢人先生』を八田尚之が脚本化したもので、画家牧野虎雄をモデルとした瓢人先生や、彼の弟子で帝展等の万年落選画家田西と美砂子夫妻を中心に物語は進んでいく。
 で、メロドラマ的要素や大らかな滑稽さがドラマの中心を占めているのだけれど、その根幹にあるものはやはり、芸術や表現活動と如何に向き合っていくかということではないだろうか。
 作品の展開や設定にはどうしてもひっかかる部分もあるのだけれど、表現することの切実さが訴えられる場面では、強く心を動かされたことも事実だ。
(もしかしたらそこには、政治性を強めていた東宝へのアンチテーゼがこめられていたのかもしれないが。と、言うのも、新東宝の事のはじまりは、この作品の出演者である大河内傳次郎や藤田進、花井蘭子らによる「十人の旗の会」にあるわけだから)

 役者陣では、当然ながらまずもって大河内傳次郎。
 瓢人先生の優しさと厳しさ、飄々とした雰囲気を見事に出しきっていて、とてもしっくりとくる。
 また、田西役の笠智衆の小津作品とは異なるやってる感満載の演技や、惜しくも早世してしまった花井蘭子の清楚な美しさも印象深い。
 ほかに、芸術にとりつかれることの「怖さ」をユーモリスティックに演じてみせた河村黎吉(表情の変化が愉しい)をはじめ、古川緑波、藤田進、江川宇礼雄、杉寛、清川虹子、田中春男、鳥羽陽之助、清川荘司らも出演。

 そうそう、今月は「生誕100年記念 早坂文雄の映画音楽世界」という特集なのだけれど、メロドラマ的なシーンによく沿った甘やかな音楽を早坂文雄はつけていた。

 いずれにしても、古い邦画好きには一見をお薦めしたい作品である。
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by figarok492na | 2014-01-09 23:07 | 映画記録

ブランカニエベス

☆ブランカニエベス Blancanieves(2012年、スペイン・フランス)

 監督・脚本:パブロ・ベルヘル
 撮影:キコ・デ・ラ・リカ
 音楽:アルフォンソ・ヴィラロンガ
 美術:アラン・ベイネ
(2014年1月6日、京都シネマ・3、16時40分上映の回)


 先日『アメリ』を満席で観損ねたとき、少し待てば『ブランカニエベス』の上映が控えていたんだけど、ポスターをちら見して、「うわっ、黒いし暗いじゃん、正月三日だよ」とパスしてしまった。
 でもね、なあんか心にひっかかるものもあってネットで確認してみると、モノクロサイレント、しかも年末『撮影されない三本の映画』ってエッセイ風の短篇小説でこちらが題材に使ったグリム童話の『白雪姫』がネタ元になってるてんだから、これってちょっと面白そうじゃない。
 と、言うことで、新年一本目の映画にこの『ブランカニエベス』をチョイスしたんだけど、いやあこの作品、想像していた以上、実に面白かった。

 上述した如く、おなじみ『白雪姫』を1920年代のスペイン・アンダルシア地方に置き換えて(勘違いかもしれないが、当時のスペイン国王アルフォンソ13世の名前がプレートに書かれていたのでは)、そこに闘牛やらフリークス(なにせ、『白雪姫』っていえば、七人の小人ですから。ん?七人?)やらと諸々盛り込まれた物語で、1時間40分があっと言う間に過ぎていく。
 どきどきわくわくさせられる場面やぐっと心動かされる場面と、ドラマのつくりがはっきりしている上に、先達たちへのオマージュやグロテスクな笑い、ずらしそらしにも欠けていない。
 かてて加えて、思考の鍵というか、物語の設定やキャスティング等、アクチュアリティに満ちたスリリングな仕掛けにも富んでいて、一粒で何度も美味しい映画に仕上がっていた。
 役者陣の豊かな表情に、アルフォンソ・ヴィラロンガの作品によく沿った音楽(管弦楽はブリュッセル・フィル)もあって、サイレントであることをついつい忘れてしまいそうになったほどだ。
 また、光と影のコントラスト、空に雲に風景にと、モノクロの魅力も存分に発揮されていた。

 主人公のブランカニエベス(白雪姫)、実はカルメン、を演じたマカレナ・ガルシア(滝川クリステルっぽい)や、その子供時代を演じたソフィア・オリア(かわいい)、滑稽ですらある悪役ぶりが印象的な継母エンカルナを演じたマリベル・ベルドゥはじめ、小人の闘牛士たちらメインばかりか、端役黙役にいたるまで役者陣は存在感があって好演。
 寓話的な作品にリアリティの重みを与えていた。

 ラストを含め、好みは大きくわかれるかもしれないけれど、僕は観ておいて大正解だったとつくづく思う。
 ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2014-01-06 22:17 | 映画記録