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丸山交通公園ワンマンショー2DAYS 再演B『平成ぼやき講座』

☆丸山交通公園ワンマンショー2DAYS 再演B『平成ぼやき講座』

 出演:丸山交通公園
(2016年4月9日15時頃開演/スタジオヴァリエ)


 今日明日と二日間に渡って開催される、丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち、今日15時からの再演B『平成ぼやき講座』に足を運んだ。
 『平成ぼやき講座』といえば、昨年11月(21日)の京大NFでの丸山節全開の初演、中でも中盤のチェーホフの『煙草の害毒について』っぽい(と言ったら、ちょっと違うかな)、妄想の部分が強く印象に残っている。
 で、今回はその再演というふれ込みだったのだが、ぼやきの、それも捨てネタがいくつか重なる程度で、ほとんど新作と言ってもよいような内容となっていた。
 まずは、分厚いフリップ(画用紙)を持って丸山交通公園が登場。
 ひとくさりあったのち、フリップを使ったぼやきが始まったと思ったら…。
 と、ここから先は明日もあるので記さないけど、フリップを「相手」にして丸山君という人間の自虐と自尊がよく表われており、とても興味深く、とてもおかかなしかった。
 一つには、密室芸というか、ブラックボックス・タイプのスタジオヴァリエの閉じられた空間の中で、内心これってほんまは笑ってええんかな、いんや笑うで、という丸山君とお客さんとの「共犯関係」が生み出されていたことも大きいのだろうが。
 いずれにしても、やたけたさと計算のあいまった、丸山ワールドを愉しむことができた。

 アンケートの「(丸山君は)これからどうしたらいいか?」といった趣旨の設問じゃないけど、それじゃあここから先、どのような企画を打ち出していくのか、言葉を換えれば、自虐と自尊とともに、自律と自負をどうしっかり築いていくべきかが丸山君の課題だと思うが、彼自身それも織り込みずみだろう。
 無料カンパ制。
 ご都合よろしい方は、ぜひ。
 ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2016-04-09 19:41 | 観劇記録

劇核自覚コウシロー第5回公演『キャン・ユー・ライト?』(妄想演劇館)

☆劇評三態

*劇核自覚コウシロー第5回公演
 『キャン・ユー・ライト?』
 (東渦岡若手演劇祭大会参加作品)

 書けない書かない書きたくない。
 劇核自覚コウシローの第5回公演『キャン・ユー・ライト?』(角谷甲子郎作・演出)は、そんな物書きの複雑な真情を通して、今現在を切り取ってみせる。
 書けない作家の物語といえば、小川洋子の小説『原稿零枚物語』<集英社>をすぐに思い起こすが、こちらコウシローは自称三文文士の私小説作家花町凡太(西村賢太へのオマージュ)が主人公。
 今日も今日とて原稿の書けない凡太は、嫌がる編集者草村繁子(くさむらしげるこ)を伴って西の方へと旅に出る。
 向かうは、秘境の温泉街世毎(よごと)。
 そこで二人が目にしたものは? そして凡太は原稿を書き切ることができるのか?
 前半、凡太と繁子の凹凸コンビが七転八倒する様は、いつもの角谷節全開でくすっと笑えたし、中盤のだれ場も効果的だ。
 けれど、後半、話が弾まない。
 いや、ライトにライトでライトしようとしたって、ライトにライトがあたっていては、という角谷君の意図はよくわかる。わかるんだけど、終盤のもたつきは厳しい。
 もしあの展開を活かしたいのであれば、繁子ではなく女将でお上の岡見拝子(おかみおがみこ)を前面に押し出してもよかったのではないか。それか、全ては嘘っぱちのホラ話ですよと居直ってしまうとか(角谷君の含羞はそれを許さないだろうな、きっと)。
 それでも、だからこそ、ただ在ろうとする凡太の姿が神々しくも見えてくる。
 凡太役の漁灯健吉(いざりびけんきち)が好演。この平平凡凡たる作家の非凡さをあるは飛び跳ねあるは歌いあるは黙り込んで演じ切った。
 拝子のきらほしよも奮闘。見た目と違ってシリアスな役どころ向きの演者さんだが、トリックスターに徹していた。
 繁子の足利山女(あしかがやまね)も巧くなった。ただ、渦岡小劇場界の作家演出家に好んで起用される足利さんだけど、僕には今ひとつしっくりこない。
 足利さんはルックスもよいし、その努力も買う。しかし、その努力は果たして演劇で発揮されるべきものなのだろうか。言葉を換えれば、足利さんにとっては、自分自身を「見せる」ことができさえすれば他の何かでもよいのではないか。小劇場という世界に付け入る隙が余りにもあるから演劇を選んだだけなのではないか。
 もちろんそのこと自体僕は否定しない。
 けれど、もし今後も演劇を続けていくのだとすれば、彼女はもっとそのことに自覚的になるべきだと思う。
[芸術アドヴァイザー・中瀬宏之]


 ううん。どうしてこの題材なんだろう。
 上演中、ずっとそのことを考えていた。
 考えてもわかんない。てか、わかるんだけど、やっぱりわかんない。
 他にもやり方はあると思う。少なくとも、中途半端な笑いなんかいれないで、もっと素直にやっていいんじゃないかな。
 役者は作品にあってる人とあってない人の差がはっきりしてた。
 きらさんとは一度一緒に作品を創ってみたい。
 あと、ラストの照明はもっと落として欲しかった。
 あれでは、ほんとにしらけるから。
 評価6点。
[劇団五十歩百歩代表・東渦岡若手演劇祭大会審査員伊坂へん子]


コウシロー見たよ。ちょっとよくわかんない。小説家さんが編集者さんと旅する話。まねちゃんが今回もサイコー。あのサングラスほしい!!
[むうむう@マカロン大好きさんのツイート]
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by figarok492na | 2016-04-05 11:13 | 観劇記録

ルサンチカ『霧笛』

☆DIVE 2016 京都造形芸術大学卒業生優秀作品展参加作品
 ルサンチカ『霧笛』

 作:イトウモ(象牙の空港)
演出:河井朗
原作:レイ・ブラッドベリ『霧笛』
出演:近藤千紘
(2016年3月27日16時上演の回/ART ZONE)


 先ごろ京都造形芸術大学を卒業したルサンチカの河井朗と近藤千紘が、河原町三条の展示スペースART ZONEで公演を行うというので足を運んだ。
 テキストは、レイ・ブラッドベリの短篇小説『霧笛』を、河井君の依頼でルサンチカとは浅からぬ関係にあるイトウモが一人芝居に仕立て直したもの。
 原作(創元SF文庫の『ウは宇宙船のウ』で手軽に読むことができる)は、「ぼく」(ジョニー)とマックダンの会話や行動を通して、灯台に引き寄せられる怪物(恐竜)の姿を描いたものだけれど、イトウモはそうした作品の結構と核となる部分を活かしつつ、ルサンチカの面々が今どうしてこの作品を取り上げるのかということを一層際立たせる改作を行っていた。
(余談だが、確かこの『霧笛』という作品によって、自分はジョン・ヒューストン監督の『白鯨』の脚本に加えられることができた旨をブラッドベリ自身が語っていたはずだ)

 なぜ今この『霧笛』を上演するのか。
 それを、惜別であり告別であるという言葉で表してしまうと、あまりにも単純に過ぎるかもしれない。
 けれど、作中の怪物のあり様や、それを語る人の姿に、僕はどうしても「何かが終わってしまったこと」への痛切さを感じざるにはいられない。
(その意味でも、この『霧笛』は、卒業制作の『春のめざめ』と「対」になっている)

 と、言っても、そうした痛切さが、大仰にこれ見よがしに振りかざされているわけではない。
 入口ばかりか片側横面ガラスばりで、3階まで吹き抜け、さらにスペース中央には2階までの小ぶりならせん階段が設置されたART ZONEをあるときは駆け上がり駆け下り、あるときは留まりながら、近藤千紘は少年らしさと少女らしさが入り混じった容姿と声である種の軽みも保ちながら演じ切る。
 ただ、だからこそ、なおのことじわじわと伝わってくるものがあるのだ。
 もちろんそれは、ART ZONEの構造、それより何より近藤さんという演じ手の特性魅力を十二分に知り尽くした河井君の演出の力によるものでもあるのだけれど。

 先週の冨士山アネットの企画中に急遽思い立った公演だけに、稽古時間等々、大変さはうかがえたし、ライヴ特有の傷も観受けられたが、かえってその分、近藤さんや河井君の長所プラスの部分を再確認することもできたのではないか。
 僕は、こうして彼女彼らの公演を目にすることができて、本当によかったと思う。

 河井君、近藤さん、改めてご卒業おめでとうございます。
 そして、二人の今後のさらなるご活躍を心より祈っています。
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by figarok492na | 2016-03-27 19:21 | 観劇記録

日本海の渦~第二渦~『しょーじしげるの尺八鮫』

☆日本海の渦~第二渦~「一人ぼっちの日本海 しょーじだけで大丈夫!?」
 『しょーじしげるの尺八鮫』

 原作:三遊亭はらしょう
 構成・演出・出演:勝二繁
(2016年3月20日20時開演/喫茶店uzuビバレッヂ)


 今や三遊亭圓丈の弟子であり、第三の落語家(古典でも新作でもなくドキュメンタリー落語の演じ手)として多方面に活躍する三遊亭はらしょうだが、かつてはハラダリャンの名で京都演劇界を大いにわかせていた。
 2002年の9月(21日、アトリエ劇研観劇)というから15年近くも前に、C.T.T.か何かで小品として発表され、2004年7月(4日、アトリエ劇研観劇)に一本の作品として上演された『尺八鮫』は、そうしたハラダリャンの一人芝居役者としての評価を高めた作品である。
 その『尺八鮫』を、ハラダリャンより直接薫陶を受けた勝二繁が、『しょーじしげるの尺八鮫』のタイトルのもと「一人ぼっちの日本海 しょーじだけで大丈夫!?」なる日本海の企画として演じるというので、迷わず足を運んだ。
 ちなみに、会場は日本海のホームグラウンドである壬生団地内の喫茶uzuビバレッヂ。
 今回もガラス張りの入口側を舞台に、併せて外の景色も効果的に使われていた。

 ただし、『尺八鮫』は『尺八鮫』でも、そこは「しょーじしげるの」と名付けるだけはある。
 終演後確認したのだけれど、今回ははらしょうから送られてきたメモを下敷きに、登場人物はそれに基づきながらも、ほぼ勝二が新たに書き改める形になったという。
 記憶を辿れば、オリジナルの『尺八鮫』が太平洋戦争下の沖縄戦を直接描いているのに対し、勝二は沖縄出身の登場人物たちはそのままに、時代を現代へと移し変えており、そこにも彼の切実な想い、明確な意図が表されているように僕には感じられた。
 男のナニをナニする「尺八」鮫(初演の際、この作品を観た演劇関係の女子高生に「尺八ってなんですか?」と尋ねられ、答えに苦しんだことを思い出す)という設定からして下ネタで、もちろんそれが今夜も笑いに繋がっていたのだけれど、勝二は自分の特性がハラダリャン(はらしょう)のそれとは全く違うことを引き受けた上で、シリアスな含意と感情表現を前面に押し出していたように思う。
 中でも、終盤の痛切さは、強く印象に残った。
 ところどころ粗さや危うさは感じたが、勝二繁の演劇との向き合い方、ばかりではなく社会との向き合い方を識る上でも観ておいてよかったと思える公演だった。

 ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2016-03-20 23:00 | 観劇記録

第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』

☆第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』

 作・演出:高間響
(2016年2月13日19時開演の回/アトリエ劇研)

 なんと今年初めての観劇。
 で、そんなお芝居リハビリ期間中の人間には、どどんと重くなく、笑いどころもたっぷりで、その実考える芽もしっかりある笑の内閣はぴったりの内容だった。

 西暦2020年、北海道は恥骨湖の湖底で深い眠りにあるはずのゴヅラが、突如目醒めようとしていた。
 けれど、そんなゴヅラを商売のダシに使っている地元温泉旅館宝屋の面々は、政府関係者の避難要請の声にも耳を傾けず…。
 といった具合に、第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』は進んでいく。

 残念ながら旗揚げ公演の『朝まで生ゴヅラ』は観逃してしまったが、今回の作品はそのテイストや枠組みを受け継ぎながらも、99パーセント書き直したという、ほぼ新作となっている。
 時事ネタから下ネタ(だいたい恥骨湖だもんね)、ドリフへのオマージュ等々、あちらこちらに笑いを仕掛ける一方で(向坂達矢の怪演と丸山交通公園の笑い達者さを忘れてはなるまい)、それがまたこの国の様々な現状の寓意ともなっているあたり笑の内閣らしい。
 それとともに、小さな共同体における人と人との繋がり、関係性が高間上皇の作品において重要な位置を占めていることも、改めて確認することができた。
 もちろんそれは、演劇的な構成からくるものでもあるんだろうけど、やはり高間上皇にとって大事なことなんじゃないかなとも思う。
 よい意味でとっちらかる反面、意図せぬだれや冗長さ、粗さを感じたりもしたが、全篇飽きることなく愉しむことができた。
 そうそう、「ゴヅラ」だけあって登場人物名にも工夫が凝らされているんだった。

 初々しい横田絢と土肥未友紀をはじめ、向坂君、ピンク地底人2号、土肥嬌也、丸山君、髭だるマン(妙な色気がとみに増している)、しゃくなげ謙治郎、石田達拡、楠海緒、山下ダニエル弘之(彼は映像作品にもいいんじゃないか)の演者陣は、各々の個性特性をよく発揮していた。
 加えて、劇団メンバーの山下みさおと由良真介のほか、松野井雅、福山哲郎(おお)、中本友菜、迎旭人(!!)が映像出演していた。

 で、ここからは近衛虚作君と高間上皇のアフタートークにもちょこっと関係してくるかな。
 今回の公演を観ながら、これからの笑の内閣って、どういう方向に進んでいくのかなと思ったことも確かだ。
 例えば、笑いや政治性、社会性に重きを置きつつも、「人と人との関係性」や「人の心の動き」がより鮮明に作品の中心となったとき、演者の陣立てに変化があるのかとか。
 もっと単適にいえば、劇団メンバーはもちろんのこと、誰と一緒に新たなステップに上がっていくのか、それとも今はまだ留まるのか、もしくはあえて後ろに戻るのか、とか。
 もしかしたら、今年から来年にかけて、笑の内閣の大きな転機になるのではないか。
 いずれにしても、これからの笑の内閣がますます愉しみである。
 ああ、面白かった!

 17日まで京都公演が開催中で、3月4日~6日にかけては札幌公演も控えている。
 ご都合よろしい方はぜひ!!
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by figarok492na | 2016-02-14 00:43 | 観劇記録

中村梅之助さんの死を悼む

☆中村梅之助さんの死を悼む


 劇団前進座の代表で歌舞伎俳優の、四代目中村梅之助が亡くなった。85歳。
 前進座の看板役者で設立者の一人である三代目中村翫右衛門の長男として生まれ、自らも前進座に入り活躍、さらには代表として劇団の維持運営に尽力した。
 また、テレビドラマや映画にも数多く出演し、中でも『遠山の金さん捕物帳』や『伝七捕物帳』、NHKの大河ドラマ『花神』(村田蔵六=大村益次郎)で知られる。
 ほかに、NHKの大河ドラマ『峠の群像』(近松門左衛門)、同じくNHKのドラマ『真田太平記』(徳川家康)に出演したり、必殺シリーズのナレーションを務めたりもした。
 三谷幸喜に大きな影響を与えたはずの『花神』(長い頭!)には間に合わなかったものの、遠山の金さんや伝七には再放送で子供の頃から親しんだ。
 非人=同和問題に切り込む回(川谷拓三がその他大勢で出演していた)すらあった前進座らしい前者、「よよよいよよよいよよよいよい、めでてえなあ」のフレーズでおなじみ後者(少し前に、AKB48のオールナイトニッポンで誰かがこのフレーズを突然口にしていて、びっくりした)と、いずれも忘れ難い。
 政治的社会的にリベラルな姿勢をとり続けた人でもあった(何せ、戦前の前進座は座員全てが日本共産党員になったような劇団だもの)。
 なお、長男は同じく俳優の二代目中村梅雀。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 十八番の『魚屋宗五郎』の宗五郎や『勧進帳』の弁慶は観逃したけれど、2000年9月13日に、今はなくなってしまった吉祥寺の前進座劇場での『芝浜の革財布』で梅之助さんの姿に接することができたのは、僕にとってよい劇場体験の一つだ。
 実は、この日の一番目の出し物、三好十郎の『噛みついた娘』は、大切な役回りを演じたベテランの女優さんが噛みまくって、これじゃあ『噛みついた娘』じゃなくて、『噛みまくった女優』やないかと内心唖然としていたのだが、梅之助さん演じる熊五郎を目にして、そんな不満はどこへやら、小判を数える熊五郎、花道を颯爽と駆け抜ける熊五郎にはほれぼれとしたものである。
 そして、改めてルーティン(演技の水準を保つこと)の凄さを思い知らされた。
(そういえば、この日は三遊亭鳳楽をロビーで見かけたんだった)

 そうそう、梅之助さんに北のご首領様に、小沢昭一に日本で拉致されて死刑を宣告されたこともある南の大統領に、岡田真澄に北の大国の偉大なる同志に扮してもらい、三人が肩を組み、握手をしあっている姿を撮影してみたかった。
 加えて、有島一郎に日出る国のやんごとなきお方に、芦屋小雁に大陸の革命家に扮してもらえれば最高だったが…。
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by figarok492na | 2016-01-20 20:11 | 観劇記録

今年最後のネオ落語・セントラル 11回目

☆ネオ落語・セントラル 11回目

 出演:桂あおばさん、月亭太遊さん
(2015年12月28日20時開演/錦湯)


 テレビでは立川談春さん原作の『赤めだか』のドラマが放映されていたが、こちら錦湯さんは、今年最後のネオ落語・セントラルで大いにわいていた。

 今回は、あおばさんと太遊さんの二人会。
 で、開口一番のトークで盛り上げたのち、あおばさんがおなじみ『動物園』を演じる。
 訳あって短めに刈り込んだバージョンだったけど、あおばさんの振り幅の大きい動き、強弱のはっきりした話の運び具合が笑いを生んでいた。

 太遊さんのネオラクゴ再演パート1は、「ポリアンナ(パレアナ)」ならぬ『堀杏奈』。
 なんでも前向き、楽天的に考えてしまう女性が主人公の作品で、彼女のはずれっぷりがおかしくてついつい笑ってしまうけれど、これって他人事かいなとふと思ってしまったことも事実。
 ネオラクゴは自分を映す鏡だなあと改めて感じた。

 続いて、再びあおばさんが登場し、2丁拳銃小堀裕之さん作の『ハンカチ』をかけた。
 なかなか本心を口にできない夫と妻の関係を巧みに描いた作品で、あおばさんはすでにネオラクゴ・フロンティア時代に上演したことがある。
 こちらは、笑いの仕掛けに加え、夫婦の間のしっとりとしたやり取りも強く印象に残った。

 太遊さんのネオラクゴ再演パート2、そして今年のネオ落語・セントラルの演じおさめは、ふつうユニットの未来会議withネオラクゴで誕生した『お庭の奥のマムー』。
 人間の心を持った人工知能がとてつもない大きさのヨーロッパバイソンに転移され…、というSF的な結構は未来会議での初演ということも大きいだろう。
 その内容自体もそうだけれど、宇宙観というか人間観というか、非常に突き抜けた展開は今年の演じおさめに相応しいネオ度の高さだった。

 あおばさんのお父さんの話題も飛び出すなど、最後のトークも笑いいっぱい。
 そして最後は、今年亡くなった桂米朝さんが考案した米朝じめ(でいいのかな?)で〆た。

 と、今夜も盛りだくさんのネオ落語・セントラルでした。
 ああ、面白かった!

 来年は1月1日に大阪でネオラクゴ・ニューイヤー(地下鉄恵美須町・AinsNeusHall、14時から)が、さらには4日からネオ落語・セントラルが開催される予定です。
 一年の計は元旦にあり!
 皆さん、新年からネオラクゴ、ネオ落語の世界にぜひ!!
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by figarok492na | 2015-12-29 04:22 | 観劇記録

ふつうユニットの未来会議~みんなで未来を妄想しよう!~withネオラクゴ

☆ふつうユニットの未来会議~みんなで未来を妄想しよう!~withネオラクゴ

 出演:月亭太遊さん
(2015年12月24日20時スタート/喫茶フィガロ)


 廣瀬信輔君主宰、月亭太遊さん出演の、ふつうユニットの未来会議~みんなで未来を妄想しよう!~withネオラクゴだが、元田中(田中大久保町)の喫茶フィガロでのライヴによる開催はこれが一応の最終回。
(来年以降は、廣瀬君が毎回ゲストを招いてのニコニコ動画での中継企画に変わる)
 今夜はなんとクリスマス・イヴということで、喫茶フィガロに足を運ぶまで参加者の人数が心配だった(事と次第によっては、野坂昭如や四宮正貴、水道橋博士、横山ノック、上岡龍太郎、中田久美らのマジギレシーンを再現する覚悟だった)が、なんと久方ぶりの大盛況でまずは何よりだった。

 で、ユーストリーム中継も行われたので詳しくは語らないけれど、未来会議のお題は直球勝負の「恋愛」。
 途中、またもや廣瀬信輔の一人舞台ならぬ一人講義に危なくなりかけたが、太遊さんの必死のフォローや参加者さんからの言葉もあったりして、ここ数回の厳しい状態を回避することはできたのではないか。
(終了後、直接話もしたが、廣瀬君は興に乗ると、どうしても一方的に走ってしまうきらいがあり、大勢のお客さんのいる形より動画中継のほうが柄に合っているように感じる)

 太遊さんが演じたネオラクゴの新作は、『メゾン・ド・ヴィサージュ』。
 クリスマス・イヴに相応しからぬ(いや、相応しい?)、ある種行ききった内容だった。
 そして、前回の『ホログラムの恋人』とまた異なる意味で趣向結構が大きな意味を持つ作品なのだけれど、再演を重ねることでそこら辺りがよりはっきりと見えてくるのではないかと感じた。
 それにしても、こうやって一週間に一作、太遊さんのネオラクゴの新作に接することで、僕自身、創作活動に関して強く大きな刺激を受け続けてきた。
 そのことに、心から感謝したい。

 終了後、前宣伝通り、廣瀬君よりドイツのクリスマスケーキ、シュトーレン(懐かしい!)が振る舞われた。
 実に美味しうございました!

 そして皆さん、メリー・クリスマス・イヴ!!
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by figarok492na | 2015-12-25 02:02 | 観劇記録

ネオ落語・セントラル 10回目

☆ネオ落語・セントラル 10回目

 出演:桂三河さん、月亭太遊さん、桂恩狸さん、桂三実さん
(2015年12月21日20時開演/錦湯)


 世は年末進行。
 そんな中、毎週月曜20時から錦湯さんで開催される落語会、ネオ落語・セントラルは遂に10回目を迎えた。
 今回は桂三河さんと月亭太遊さん、そして来年2月12日に大阪は動楽亭で1回目の新作落語会『ふたりでできるもん』(19時から、前売り800円)を開催する桂恩狸さん、桂三実さんの四人が出演した。

 まずは、四人のトークから。
 二週連続で出演となる恩狸さんは、前回に続いて出演間隔をネタにされていた。

 で、じゃんけんに勝った順で、太遊さんが強化月間である『たまげほう』を速いテンポで演じる。
 太遊さん自身もマクラで冗談交じりに口にしていたが、ちょっとずつ準古典の作品に向かいつつある。
 まさしく十八番だ。

 続いては、恩狸さん。
 文福師匠との年賀状にまつわるエピソードをマクラで語ってから、本題の『池田の牛ほめ』へ。
 家と牛の誉め方を教わった阿呆な男が喜び勇んで池田に向かったが…、というおなじみの古典で、恩狸の『池田の牛ほめ』を聴くのはこれが二回目。
 前に押し出す語りっぷりに変わりはないけれど、出演の回を重ねるごとに錦湯さんでの間合いをしっかり掴んでいるようにも感じた。

 三実さんは、自作の新作落語を披露した。
 学校の勉強なんて役に立たないとうそぶいていた青年だけれど…。
 三実さんの柄がよく出た折り目正しい結構に語り口の噺であるとともに、題材や向日性の展開には文枝さんのお弟子さんらしいなあとも強く感じた。

 四番手の三河さんは、自作の『コココココ』を再演する。
 ひょんなことから、アプリのヒヨコ育成ゲームをダウンロードしてしまったヒロユキ(って、どうも他人のようには思えない…)だったが…。
 まずもって三河さんの身ぶりがおかしいのだけれど、こういったゲームのあざとさ、怪しさを巧くからかった内容にもなっている。
 そうそう、この『コココココ』はyoutubeに動画がアップされてるんだった。
 ご興味おありの方は、ぜひ「コココココ」でご検索を!

 と、ここで太遊さんが急遽再登場し、ネオラクゴの『さよならシガー&ラミー』を再演した。
 突然目の前に現われたのは、ヒッピー然とした男女のアベックの地縛霊だった!
 が、そこは太遊さんのネオラクゴだけあって一筋縄ではいかない。
 笑いの仕掛けが、即痛烈なメッセージに繋がった作品で、自分もまた、地縛ならぬ自縛を解いていかなきゃならないな、と思わされた。

 最後は、再び四人のトークで〆た。
 『朝が来た』の番宣のためにネット番組の出演をOKした波留さんの話題を恩狸さんが口にすれば、三実さんは能年ちゃんへの想いを語り、三河さんはアイドル道を説く。
 まさしく記念すべき10回目に相応しいラストになった…(?)。

 などと、今回も盛りだくさんのネオ落語・セントラルでした。
 来週は今年最後のネオ落語・セントラルで、歳納めを兼ねて皆さんもぜひ!!
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by figarok492na | 2015-12-22 01:26 | 観劇記録

ないすばでぃプロジェクト『憧れたブラックコーヒー』

☆ないすばでぃプロジェクト
 演劇展示企画『当たり前の風景』から「憧れたブラックコーヒー」

 脚本:ピンク地底人5号
(2015年12月20日18時スタート/siroiro)


 先月末に京都での企画を終えた、ないすばでぃプロジェクトの演劇展示企画『当たり前の風景』を身に、大阪のレンタルスペースsiroiroまで足を運んだ。
 レンタルスペースsiroiroは、地下鉄の中崎町駅から歩いてすぐ、細い道を入ったところにあるその名の通り白色のフラットなスペースで、僕の観た「憧れのブラックコーヒー」ではそれを喫茶店に見立てて舞台として使っていた。

 で、「憧れのブラックコーヒー」は、登場人物の台詞でも言及されているように、「ハードボイルド」や『探偵物語』(探偵役のたっちゃん石田達拡の雰囲気も加わって、『名探偵コナン』ぽくもある)のオマージュ風の展開なんだけど、実は、登場人物の細かい心の動き、心の綾のほのめかしが作品の肝のような気がした。
 ときに寒さや空回りも辞さないやり取りも含めて好感を覚えたが、京都のような掌篇(集)と異なり、一時間近くの尺の作品ということもあり、意図された以上の隙間の埋まらなさというか、時間の不足を感じたことも事実だ。
 そしてそれは、演技を練り上げたりトレースしたりするための時間の不足というより、ピンク地底人5号が狙う自然さ、当意即妙さ、即興性をアンサンブルとして一層高めるための時間の不足だとも思う。
 それと、自然さ、即興性との繋がりからいえば、中盤一度だけ「場面転換」にあたる部分が設けられていたことに、僕はおやと感じた。
 作品の流れから考えればそのまま話を続けてもおかしくないはずだし、もしあそこで流れを切る必要があるとするのであれば、冒頭のように「ラジオ」を挿入してもよかったのではないか。
 そうすれば、冒頭触れられていた事件も伏線として回収することが可能だろうし。
 ただ、全体的にピンク地底人5号の「あるようなないような」「ないようなあるような」作品世界は、僕にとってとてもしっくりくるものであると改めて思った。

 そうした作品世界によく沿った高田美沙希をはじめ、石田達拡、島あや、峰桜花、ガトータケヒロ、ピンク地底人5号の演者陣は、各々の特性魅力を発揮していた。

 ないすばでぃプロジェクトの次回の公演(企画)も愉しみである。
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by figarok492na | 2015-12-20 22:45 | 観劇記録