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カテゴリ:CDレビュー( 152 )

クラウス・テンシュテットが指揮したワーグナーの序曲・前奏曲集

☆ワーグナー:序曲・前奏曲集

 指揮:クラウス・テンシュテット
管弦楽:ベルリン・フィル
 録音:1982年12月、1983年4月、ベルリン・フィルハーモニー
    デジタル/セッション
<EMI>CDC7 470302


 存命ならば、今年でちょうど90歳を迎えるクラウス・テンシュテットは、とうとう実演に接する機会のなかった指揮者であり、音楽家である。
 そういえば、25年以上前のヨーロッパ滞在時、イギリスを訪れた折、ロンドン・フィルのコンサートの当日券を買い求めようとして、窓口の男性に何度も「You know?」、「You know?」(この場合は、「あんた、わかってる?」というニュアンス)と連発されたが、それはテンシュテットが病気でキャンセルして、ロジャー・ノリントンが代役に立つことをわかっているのかという念押しだった。
 ケルンでのヨーロッパ室内管弦楽団とのコンサートでノリントンに魅せられたこちらは、そのノリントンこそが目当てだったため、すかさず「I know」と重々しく返答したのだけれど、窓口の男性はそれはそれで怪訝そうな表情を浮かべていたっけ。

 このCDは、テンシュテットが次代を担う指揮者として、ポスト・カラヤンの下馬評にも上がっていた頃にベルリン・フィルと録音した2枚のワーグナー・アルバムのうち、序曲・前奏曲を収めたほうだ。
 歌劇『タンホイザー』序曲、歌劇『リエンツィ』序曲、歌劇『ローエングリン』第1幕と第3幕への前奏曲、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲と、おなじみの作品ばかりが集められているが、テンシュテットは細部を細かく整えることよりも、音楽の内実をしっかりと掴んで直截に再現してみせることに重点を置いている。
 概して、ゆったりとしたテンポをとりつつ、鳴らすべきところは十分に鳴らし、抑えるべきところはきっちりと抑え、音楽の劇性を巧みに表していく。
 『タンホイザー』では官能性、『ローエングリン』の第1幕への前奏曲では静謐さと神秘性、『マイスタージンガー』では祝祭性と、曲の持つイメージもよくとらえられており、中でも『リエンツィ』序曲の強奏部分(打楽器!)が示す野蛮さ、暴力性は強く印象に残る。
 2016年現在はもとより、このアルバムがリリースされた1984年においても、ドイツの巨匠風というか、時代を感じさせる解釈であるだろうことも含めて、テンシュテットという不世出の音楽家の本質を識ることのできる一枚だろう。
 なお、このCDは初出時のイギリス・プレスの輸入盤で、じがつきもやつきの多いEMIレーベルの録音ということにデジタル初期ということもあってか、音に相当古さを感じさせる。
 こちらは初出時の輸入盤コレクターなのであえて購入したが(中古で500円だったし)、一般的には、現在廉価で再リリースされているCDをお選びいただいたほうが無難かもしれない。
(ただし、比較的大きめの音量で聴くと、弦、管、打と各楽器の分離の良い録音であることもわかる。大音量で鳴らすときこそ真価を発揮するという、LP時代の流れがこの頃まではまだ続いていたのだろう)

 余談だが、テンシュテットは手兵ロンドン・フィルとともに、1984年4月と1988年10月に来日していて、後者のワーグナー・プログラムの東京公演(1988年10月18日、サントリーホール大ホール)をNHKが録画したものはDVD化もされていた。
 そして、10月25日には、大阪のザ・シンフォニーホールで同じプログラムのコンサートが開催されていたのだけれど、すでに京都に住んでいたにも関わらず、僕はそれをパスしてしまった。
 今思えば、本当に残念なことだ。
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by figarok492na | 2016-02-25 16:47 | CDレビュー

ビルソンとガーディナーらが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第20番&第21番

☆モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第21番

 独奏:マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
 指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
管弦楽:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
 録音:1986年4月、ロンドン・セント・ジョンズ・スミス・スクエア
    デジタル/セッション
<ARCHIV>419 609-2


 フランス・ブリュッヘンとクリストファー・ホグウッドの死に、ニコラウス・アーノンクールの引退で、1980年代以降、デジタル録音の開始と基を一にするピリオド・スタイル流行の端緒を担った指揮者たちも、残るはトン・コープマン、シギスヴァルト・クイケン、トレヴァー・ピノック、ロジャー・ノリントン、そしてジョン・エリオット・ガーディナーということになってしまった。
 このアルバムは、そのガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツとフォルテピアノのマルコム・ビルソンが完成させたモーツァルトのピアノ協奏曲全集中の一枚で、彼らの特性をよく伝える内容となっている。
 ピアノ協奏曲第20番といえば、モーツァルトの音楽の持つデモーニッシュさが強調されがちだけれど、ビルソンとガーディナーはそうしたロマン派的な解釈に傾くことなく、折り目正しい楷書体の演奏を繰り広げている。
 その分、深淵を見つめるかのような心の動きを呼び起こされることはないが、フォルテピアノの簡潔で質朴な音色には魅了されるし、管弦楽伴奏のシンフォニックな構造もよくわかる。
 その意味で、長調の第21番のほうがより演奏者の柄に合っているかもしれない。
 独奏、オーケストラともにバランスがとれて安定した出来であり、二つの協奏曲のピリオド楽器によるオーソドックスな解釈としてお薦めできる一枚だ。
 デジタル初期の録音もクリアで、演奏を愉しむという意味では問題ない。
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by figarok492na | 2016-02-16 15:50 | CDレビュー

ヨエル・レヴィが指揮したブラームスの管弦楽曲集

☆ブラームス:セレナード第1番&ハイドンの主題による変奏曲

 指揮:ヨエル・レヴィ
管弦楽:アトランタ交響楽団
 録音:1993年1月16日、17日
    アトランタ ウッドラフ・パフォーミング・アーツ・センター
    デジタル/セッション
<TELARC>CD-80349


 アメリカ大統領選の候補者選びが進んでいるが、あの民主共和両党の党員集会のあり様に、どうしても本多勝一らの「アメリカ合州国」という言葉を思い出さざるをえない今日この頃だ。
 で、国家国民自体が千差万別であれば、そのオーケストラの持つ雰囲気も千差万別ということになる。
 さしずめ、ルーマニア生まれのイスラエル人ヨエル・レヴィと、アメリカ南部のアトランタ交響楽団が録音したこのブラームスのアルバムなど、その好例ではないか。
 セレナード第1番とハイドンの主題による変奏曲といえば、ブラームスの管弦楽曲の中では喜びと幸福感をためた作品で僕は大好きなのだけれど(ヴァーノン・ハンドリーとアルスター管弦楽団が同じカップリングのアルバムを、CHANDOSレーベルからリリースしている)、レヴィとアトランタ交響楽団ははしゃぎ過ぎず引っ込み過ぎず、のっそり過ぎずせかせか過ぎず、落ち着きのある「中欧的」な演奏を繰り広げている。
 例えば、レナード・スラットキンとセントルイス交響楽団にも同種の録音があるが(RCAレーベル。カップリングは異なるものの、セレナード第1番と第2番、ハイドンの主題による変奏曲、大学祝典序曲を録音)、あちらのエネルギッシュでパワフル、ぐいぐい攻めるアメリカナイズされた演奏とは好対照の内容だ。
 録音による切り貼りはあるとしても、アトランタ交響楽団はソロ、アンサンブルともにまとまりが良くて、高い水準を保っている。
 管楽器のくすんだ響きは、ブラームスにはぴったりである。
 ハイドンの主題による変奏曲の最終変奏の終盤、若干盛り上がりにかける感じもしないではないが、その抑制具合もヨーロッパ的と言えなくはない。
 TELARCレーベルらしく、鳴りと分離のよい音質で、こちらも無問題。
 何度繰り返し聴いても聴き飽きない一枚で、ブラームスをのんびりじっくりと愉しみたい方にお薦めしたい。

 そうそう、レヴィのブラームスには、現在シェフを務める韓国のKBS交響楽団との交響曲第2番のライヴ映像がyoutubeに投稿されている。
 楽曲の解釈という意味ではオーソドックスな内容で、ながら聴きにはぴったりだ。
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by figarok492na | 2016-02-16 14:55 | CDレビュー

シューベルトのマイアホーファーの詩による歌曲集

☆シューベルト:マイアホーファーの詩による歌曲集

 テノール:クリストフ・プレガルディエン
 フォルテピアノ:アンドレアス・シュタイアー
 録音:2001年1月、ケルン・ドイッチュラントラジオ・スタジオ
    デジタル・セッション
<TELDEC>8573-85556-2


 1月末日、さらには彼自身の219回目の誕生日ということもあって、これまで投稿しそびれていた、シューベルトのマイアホーファーの詩による歌曲集に関する感想を記しておきたい。

 このアルバムには、シューベルトと直接親交のあったヨハン・バプティスト・マイアホーファーの詩による歌曲が23曲収められている。
 おなじみの作品に比べると、一聴、すぐさま口ずさめそうな歌曲ばかりとはいかないが、それでもシューベルトの音楽の持つ旋律の美しさ、抒情性、劇性、形而上的思考等々は、十全に示されているとも思う。
 プレガルディエンとシュタイアーはそうした歌曲の数々を、彼らが重ねてきた共同作業の頂点とでも評したくなるような高い表現力で再現し切っていて、何度聴き返しても全く聴き飽きない。
 その意味でも、
>しかし私の身体の隅々からは
 魂のこころよい力が涌き出でて、
 私をとりかこみ
 天上の歌を歌うのだ。
 滅び去れ、世界よ、そして二度と
 この世のものならぬ甘美な合唱を妨げるな。

 滅び去れ、世界よ、滅び去れ<
と詩人自身の歌詞によって、訣別が歌われた『解脱』が最後に置かれていることは、非常に興味深い。
 近年では、声の衰えを感じざるをえないプレガルディエンだが、ここでは透明感、清潔感があって伸びのある声質は保たれているし、一つ一つの作品への読み込みの深さは言うまでもない。
 また、シュタイアーも時に押し時に引く見事な掛け合いでプレガルディエンの歌唱をサポートする。
 今日たまさか、NHK・FMの『きらクラ!』のリスナーさんからのお便りに、シューベルトの歌曲のピアノは単なる伴奏ではなく、共に歌を歌っているように、二重唱のように聴こえるという趣旨の言葉があったのだけれど、プレガルディエンとシュタイアーはまさしくそうした関係を築き上げていたのではないか。

 シューベルトの好きな方、特に彼の歌曲が好きな方には大いにお薦めしたい一枚だ。
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by figarok492na | 2016-01-31 22:00 | CDレビュー

シギスヴァルト・クイケンが指揮したハイドンの交響曲第103番&第104番

☆ハイドン:交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」

 指揮:シギスヴァルト・クイケン
管弦楽:ラ・プティット・バンド
 録音:1995年1月16~20日、ドープスヘジンデ教会、オランダ
    デジタル・セッション
<DHM>05472-77362-2


 シギスヴァルト・クイケンが手兵のピリオド楽器オーケストラ、ラ・プティット・バンドと進めてきた、ハイドンのロンドン(ザロモン)・セットの掉尾を飾る一枚。
 ロンドン・セット(第93番~第104番)といえば、ハイドンの交響曲の集大成と呼ぶべき作品だけれど、細部までみっちりじっくり詰め切った同じカップリングのニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のCD<TELDEC>と比較して、クイケンとラ・プティット・バンドのほうは、よりアンサンブルの自主性を尊重した演奏と評することができるのではないか。
 で、ソノリティの高い演奏者たちが生み出すインティメートな雰囲気に満ちたアンサンブルによって、実に快活で歯切れと見通しの良い音楽が再現されており、何度聴いても全く聴き飽きない。
 録音も非常にクリアで、そうした演奏にとてもぴったりだと思う。
 ハイドンの交響曲を心底愉しみたいという方には大いにお薦めの一枚だ。
 中古とはいえ、これが税込み324円というのは本当に申し訳ないくらい。
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by figarok492na | 2015-11-20 13:11 | CDレビュー

グレン・グールドが弾いたバッハのイタリア協奏曲とパルティータ第1番、第2番

☆ヨハン・セバスティアン・バッハ:イタリア協奏曲他

 独奏:グレン・グールド
 録音:1959年、アナログ・ステレオ/セッション
<SONY/BMG>88697147592


 量より質というけれど、なんでもかんでも容量いっぱいに詰め込めばいいってもんじゃない。
 グレン・グールドにとって初期の録音となる、バッハのイタリア協奏曲とパルティータ第1番、第2番を収めたこのアルバムなど、その最たるものではないか。
 と、言うのも、僅か40分とちょっとの収録時間にも関わらず、70分、80分と詰め込んだ他のアルバムにひけをとらない密度の濃さなのだから。
 ときに流麗に、ときにじっくりと弾き分けながら、グールドは楽曲の構造性格を明確に描き表していく。
 それでいて、というか、そうであるからこそ、グールドという音楽家の個性魅力が全篇横溢していることも言うまでもない。
 何度聴いても聴き飽きない、音楽を聴く愉しみに満ちた一枚だ。
 音質もクリアである。
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by figarok492na | 2015-10-21 19:08 | CDレビュー

クリストフ・フォン・ドホナーニが指揮したブルックナーの交響曲第5番

☆ブルックナー:交響曲第5番

 指揮:クリストフ・フォン・ドホナーニ
管弦楽:クリーヴランド管弦楽団
 録音:1991年1月20日&21日、クリーヴランド・セヴェランス・ホール
    デジタル・セッション
<DECCA>433 318-2


 振り返ってみれば、1980年代末から90年代半ばにかけては、CD録音の爛熟期だった。
 そうした中で、今でもファーストチョイスに推薦するに足る数々のCDが残された反面、何ゆえこういった企画にOKが出されたのかと理解に苦しむCDも少なくはない。
 クリストフ・フォン・ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団、ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団、さらにはリカルド・シャイーとベルリン放送交響楽団&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によって同時並行的に進められた、DECCAレーベルによるブルックナーの交響曲録音など、どちらかといえば後者に傾くのではないか。
(DECCAレーベルでのブルックナーの交響曲録音にはほかに、ヘルベルト・ブロムシュテットとサンフランシスコ交響楽団による第4番「ロマンティック」、第6番、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による第9番もあった。上述した一連の録音の中では、ブロムシュテットこそもっともスタンダードな解釈による演奏となったはずで、このシリーズが頓挫してしまったことは少し残念だ)

 で、今回取り上げるブルックナーの交響曲第5番といえば構成の堅固さで知られていて、当然の如くドホナーニもそうした作品の特性に充分配慮を行っている。
 ただ、例えばギュンター・ヴァントとベルリン・フィルの演奏のような細部の細部に至るまで徹底して分析された目の詰まった感じに欠けることは、残念ながら事実だ。
 また、第1楽章をはじめ、ところどころ前のめり気味になる箇所はありつつも、激しくいききることはなく、適度に抑制が利いてしまう。
 喩えていうなら、本来100点を連発することのできる人間が手抜きをしたのでもなく、逆にいつも赤点ばかりの人間が刻苦勉励奮闘努力をしたのでもなく、常日頃コンスタントに82点をキープし続けている人間が今回もまた安定の82点をとったという具合になるだろうか。
 と、いって、それじゃあ聴いて損をする演奏かというと、実はそんなこともなくて、早いテンポでささっと音楽が進められていく分、重さだるさを感じることはないし、それより何よりクリーヴランド管弦楽団が達者だ。
 おまけに録音もクリアで、CDとして聴く分にはもってこいの演奏である。
 中でも、ブルックナーの交響曲というものに思い入れやこだわりのない方には、大いにお薦めしたい一枚。

 そうそう、このCDを聴いていて思い出した。
 ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団の実演(1990年5月24日、ザ・シンフォニーホール)に、僕は接したことがあったのだ。
 当時同じ組み合わせの録音を愛聴していたドヴォルザークの交響曲第8番のほか、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』とスティーヴ・ライヒのオーケストラのための3つの楽章がプログラミングされていたが、クリーヴランド管弦楽団の達者巧さは実感したものの、演奏そのものに面白さを感じることは正直できなかった。
 あれはまさしく、録音と実演の違いを思い知らされたコンサートだった。
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by figarok492na | 2015-09-28 12:42 | CDレビュー

クリスティアン・ゲルハーヘルが歌ったモーツァルトのオペラ・アリア集

☆モーツァルト:オペラ・アリア集&交響曲第36番「リンツ」

 独唱:クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)
管弦楽:フライブルク・バロック・オーケストラ
 録音:2015年1月16日~19日、フライブルク・コンツェルトハウス
    デジタル・セッション
<SONY/BMG>88875087162


 現在のドイツを代表するバリトン歌手、クリスティアン・ゲルハーヘルが歌ったモーツァルトのオペラ・アリア集だが、選曲歌唱ともに、王道中の王道とでも呼ぶべき充実した内容となっている。
 まずは歌われているのが、いわゆるダ・ポンテ三部作の『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『コジ・ファン・トゥッテ』、そして『魔笛』というモーツァルトを代表するオペラの中から、おなじみのアリアばかり。
 加えて、シューベルトやシューマンのリートで聴かせてきたように、ゲルハーヘルの歌いぶりも一切くせ球なし。
 深みがあって張りと伸びのある声質と、口跡が良くて緻密に計算された歌唱でもって全曲をバランスよく歌い切る。
 『フィガロ』の「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」や伯爵のアリア等、ピリオド・スタイルの演奏にありがちな大きな装飾も、見事に避けられている。
 しかも、このアルバムが今年1月のコンサートのライヴ録音というのだから、その精度の高さには驚く。
 むろん純然たる一発録りとは違って様々な加工はあるだろうし、ゲルハーヘルの畳みかけや伴奏の楽器のほんの僅かな音のずれにライヴ録音を感じたりもするのだけれど。
 機械的に拍手がカットされている分、若干物足りなさを覚えたりもした。
(例えば、『魔笛』の「パパゲーナ!パパゲーナ!パパゲーナ!」が、パパゲーノが打ちひしがれて首をくくろうとするところで終わっているのなんて、やっぱりさびしいものだ。一応、「リンツ」の第3楽章で気分は変わるものの。そういえば、ヘルマン・プライのアルバム<DENON>が同じ形で全曲を閉めていて、レコード芸術か何かで、それはあんまりだろうと評されていたのではなかったか。逆に、オラフ・ベーアのアルバム<EMI>では、しっかり三人の童子とパパゲーナが登場し、パパパの二重唱で愉快に終わっている)

 昨年の来日コンサート(2014年2月14日、京都コンサートホール大ホール)で巧みにコントロールされつつインティメートな暖かみに満ちたバッハのブランデンブルク協奏曲全曲を披歴した、ヴァイオリンのゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ率いるフライブルク・バロック・オーケストラも、そうしたゲルハーヘルにぴったりのクリアで歯切れのよい伴奏を行っている。
 モーツァルト時代のコンサートを模してか、アリアの間にばらばらに挟まれた「リンツ」シンフォニーだって、それだけ取り出して聴いても十分十二分に愉しめる優れた演奏だ。
 また、『フィガロ』の「もし殿さまが踊りをなさるなら」のレチタティーヴォでのフォルテピアノや、『魔笛』の「恋人か女房が」でのグロッケンシュピール(でいいのかな?)がとても機智に富んで魅力的だと思っていたら、なんとこれ、クリスティアン・ベザイデンホウトが弾いていた。
 『ドン・ジョヴァンニ』のセレナードのマンドリンも、名手アヴィ・アヴィタルだし、贅沢極まる布陣である。

 モーツァルトそのものというより、ゲルハーヘルの歌を聴いたという印象の強さは否めないけれど、76分一切だれない、何度聴いても聴き飽きない、よく出来たアルバムであることもまた事実であり、モーツァルトのオペラに聴きなじんだ方にも、そうでない方にも広くお薦めしたい一枚だ。
 録音も非常にクリア。

 そうそう、ゲルハーヘルが歌う『フィガロ』のアリアを聴いていて、僕はふと今は亡き立川清澄のことを思い出した。
 ゲルハーヘルの歌唱をもっと古めかしくして、声量をおとし、声質を浅くしたら立川さんみたいになるのではないか。


*曲目
『ドン・ジョヴァンニ』~カタログの歌
『ドン・ジョヴァンニ』~窓辺においで(セレナード)
『ドン・ジョヴァンニ』~シャンパンの歌
交響曲第36番『リンツ』~第4楽章
『フィガロの結婚』~もし殿さまが踊りをなさるなら
『ドン・ジョヴァンニ』~半分はこっちへ、あと半分はあっちへ
『コジ・ファン・トゥッテ』~そんなに取りすまさないで
『ドン・ジョヴァンニ』~ああ、お情けを、おふたり様
交響曲第36番『リンツ』~第2楽章
『魔笛』~私は鳥刺し
『魔笛』~恋人か女房が
『魔笛』~パパゲーナ!パパゲーナ!パパゲーナ!
交響曲第36番『リンツ』~第3楽章
『フィガロの結婚』~すべて準備はととのったぞ
『フィガロの結婚』~もう飛ぶまいぞ、この蝶々
『フィガロの結婚』~訴訟に勝っただと?
『コジ・ファン・トゥッテ』~多くのご婦人方、あなた方は
交響曲第36番『リンツ』~第1楽章
『コジ・ファン・トゥッテ』~彼に目を向けて下さい
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by figarok492na | 2015-09-19 12:19 | CDレビュー

私の好きなレスピーギ 組曲『鳥』他

☆レスピーギ:組曲『鳥』他

 指揮:ヒュー・ウルフ
管弦楽:セント・ポール室内管弦楽団
 録音:1993年2月、9月、1994年2月
    セント・ポール オードウェイ音楽劇場
    デジタル・セッション
<TELDEC>4509-91729-2


 ハリウッドがまだ力を誇っていた頃に製作された、古代ローマを舞台にした歴史劇が苦手だ。
 エリザベス・テーラーあたりが派手派手しい衣裳で身を包み濃い目の化粧をして大仰な芝居をしれっとやっている、あの嘘臭さがどうにも苦手だ。
 これが同じ派手派手しい衣裳を身に包んだ大仰な芝居でも、東映歴史劇、ならぬ東映時代劇なら無問題、大いに愉しめてしまうのは不思議だけれども。
 同様に、古代ローマを舞台にしたレスピーギの交響詩『ローマの祭』も本当に苦手だ。
 冒頭の下卑たファンファーレからして、ファシスト大進軍てな感じすら覚えて聴くのが辛くなる。
 だから、財布紛失による中瀬財政破綻を受けた中古CD売却の際、参考までに買っておいたダニエレ・ガッティ指揮のローマ三部作のCDは迷わず売ってしまった。
 ただし、レスピーギでも、ロッシーニの音楽を仕立て直したバレエ音楽『風変わりな店』とラモーらのクラヴサン曲を仕立て直した組曲『鳥』だけは、話が別。
 ストラヴィンスキーのバレエ音楽『プルチネッラ』をはじめ、新古典派期に流行した過去の音楽の仕立て直し、造り直しが、僕はどうにも大好きなのである。
 そういや、これって、当方の文章のあり様にもうかがえることじゃございませんか?
 で、『風変わりな店』は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団のCDがずいぶん前から手元にあったんだけど、『鳥』のほうは今まであいにくこれはというCDを見つけることができないでいた。
 それが、先日ワルティ・クラシカルの閉店セールでこのアルバムを見つけることができた。
 あな嬉し。
(って、正確にいえば、このCDの存在自体は前々から承知していたが)

 セント・ポール室内管弦楽団はとびきり精度の高いオーケストラとまではいえないものの、個々のソロもなかなか達者だし、アンサンブルだってインティメートな具合にまとまっている。
 それに、ヒュー・ウルフも音楽の勘所をよく押さえたシャープな音楽づくりを心掛けていて、こちらも問題ない。
 カップリングは、春、東方博士の来訪、ヴィーナスの誕生の三枚の絵をイメージしたボッティチェッリの3枚の絵に、リュートのための古風な舞曲とアリアの第1&第3組曲。
 ところどころ、ちょい悪親父ならぬ、ちょい鳴る音楽というか、古代ローマ風の音型やら若干派手目なオーケストレーションの芽みたいなものがうかがえるのだけれど、嫌になるほど気にはならず。
 有名な第3組曲のシチリアーナなど、やっぱり親しみやすく美しいなあと思った次第。

 大げさなレスピーギは苦手という人にこそお薦めしたい、悪目立ちしない一枚だ。
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by figarok492na | 2015-08-04 22:36 | CDレビュー

メルヴィン・タンが弾いたシューベルトの即興曲集

☆シューベルト:4つの即興曲D.899&D.935

 独奏:メルヴィン・タン(フォルテピアノ)
 録音:1987年 モールティングス・スネイプ
    デジタル・セッション
<EMI>CDC7 49102 2


 今やモダン・ピアノに戻ってしまったメルヴィン・タンの、フォルテピアノの気鋭として活躍していた頃を代表するアルバムである。
 1814年製のナンネッテ・シュトライヒャーのコピー楽器を使用して、シューベルトの二つの4つの即興曲集(計8曲)を録音したものだが、作品の持つ叙情性や歌唱性がフォルテピアノの繊細な響きでもってよく再現されている。
 技術的に見れば(聴けば)、若干気にかかる部分もなくはないのだけれど、訥弁の雄弁、訥弁の能弁というか、めくるめくテクニックのひけらかしではないからこそ、シューベルトが刻みつけた様々な心の動き、音の逡巡に気づかされたりもする。
 馴らされ矯めされたシューベルトに倦み疲れた方々にお薦めしたい一枚だ。

 できれば、タンにはハンガリーのメロディーなど、もっとシューベルトの小品をフォルテピアノで録音しておいて欲しかった。
 そのほうが、より彼の身の丈にもあっていたはずで、とても残念でならない。
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by figarok492na | 2015-08-04 15:45 | CDレビュー