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フランス・ブリュッヘンのこと

☆フランス・ブリュッヘンのこと


 昔、四条通から木屋町通を南側・五条京都駅方面に少し入ったところに、コンセール四条というクラシック音楽専門のレコード・ショップがあった。
 大学に入ってすぐのことだから、もう25年以上も前になるか、長崎にいた頃から『レコード芸術』の広告で見知っていたこの店に僕は足を運び、アルバイトを募集していませんかと突然口にした。
 お店のご主人は、「今、人が足りてるんですよ」と申し訳なさそうに応えたが、こちらがあまりに無念そうな表情をしているからだろう、「本来一人でやるものだから、アルバイト料は払えませんが、試しに物販の手伝いをしてみますか。まあ、手伝いといっても長椅子を並べたり片づけたりする程度だけど」と言葉を続けた。
 そうして手伝いに出かけたのが、完成したばかりの京都府長岡京記念文化会館で開催されたフランス・ブリュッヘン指揮18世紀コンサートの来日コンサート(1988年5月20日。このコンサートがこけら落としだったかもしれない)だった。
 物販の手伝いなのだから、当然音楽のほうは聴けないと思い込んでいたら、ご主人が1曲目のハイドンの交響曲第86番が終わったところで、「協奏曲だけど聴いてきたらいいよ」と言ってくれたのである。

 ブリュッヘンが亡くなったことを知ってすぐに思い出したのも、あのときのことだ。
 あのときは、コンラート・ヒュンテラーがソロを務めたモーツァルトのフルート協奏曲第1番を聴くことができたのだが、初めて生で接するオリジナル楽器の質朴な音色を愉しんだという記憶が残っている。
 その後だいぶん経ってから、ヒュンテラーとブリュッヘン&18世紀オーケストラはモーツァルトのフルート協奏曲集のCDをリリースしたのだけれど、あの時ほどの感慨を覚えることはなかった。
(その間、ヨーロッパ滞在中にオリジナル楽器による演奏や、ピリオド・スタイルによる演奏に慣れ親しんだということも大きいと思う)
 それにしても、ブリュッヘンの実演に接することができたのは、結局あの一曲限りになってしまった。

 1934年10月30日にアムステルダムで生まれたフランス・ブリュッヘンは、はじめリコーダー、フラウト・トラヴェルソ(フルートのオリジナル・スタイルで、まさしく木管)の名手として活躍した。
 その後、指揮者に転じ、1981年にはオリジナル楽器のオーケストラ、18世紀オーケストラを結成し、母国オランダのPHILIPSレーベルから数々のCDをリリースするなど、世界的に脚光を浴びた。
 また、モダン楽器のオーケストラの指揮にも進出し、最晩年には新日本フィルとも何度か共演を果たしていた。

 ブリュッヘンの音楽の特徴をどう評するべきか。
 ちょっと観念的な物言いになって嫌なのだが、それは、リコーダーにせよフラウト・トラヴェルソにせよ、指揮にせよ、彼自身が信じる音楽の真髄(神髄)を綿密真摯に再現するということに尽きるのではないか。
 例えば、同時期にオリジナル楽器の一方の雄として立ったニコラウス・アーノンクールのような、激しい強弱やアクセントの変化を多用してアクの強い音楽を確信犯的に再現する行き方とは、一見対極にあるように感じられるブリュッヘンだが、その実、自らの核となるものを遮二無二再現するという意味では、やはり相似たものを僕は感じずにはいられない。
 オリジナル楽器とモダン楽器の共演というコンセプト云々以前に、音楽の持つ尋常でなさとブリュッヘンの意志の強さとが絡み合ったベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」、青空の中に薄墨色の雲が時折混じっていつまで経っても消えないようなシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」、ハイドンの音楽の活き活きとした感じがよく表わされた交響曲第86番&第88番<いずれもPHILIPS>。
(表現のあり様の違い、オーケストラの向き合い方の違いもあって、ブリュッヘンはアーノンクールやロジャー・ノリントンらほどには、いわゆるメジャー・オーケストラとは共演していないのではないか。その分、オランダ放送室内フィルやノルウェーのスタヴァンゲル交響楽団といったオーケストラと興味深い演奏活動を繰り広げてもいたが)

 ただし、僕自身は、ブリュッヘンのあまりよい聴き手だったわけではない。
 と、いうのも一つには、ブリュッヘン指揮のCDのほぼ全てがライヴ録音によるものだったからだ。
 単に好みの問題ではあるのだけれど、初めの頃のような拍手つきの一発録り(たぶん)ならばまだしも、ライヴ録音を継ぎ接ぎするという行為になんとも曰く言い難い割り切れなさを感じる。
 おまけに、交響曲第29番&第33番<PHILIPS国内盤>での弦楽器のみゅわみゅわみゅわみゅわした音色がどうにも気持ち悪く、以来ブリュッヘンのCDは敬遠しがちだった。

 それならば実演で。
 と、いうことになりそうなのだが、上述したヨーロッパ滞在中(1993年9月~1994年3月)にもブリュッヘンの生のコンサートに接する機会はなく、それ以降も結果としてブリュッヘンの実演を耳にする機会は逸してしまった。

 数年前、最初の新日本フィルへの客演が決まった頃から、音楽関係の何人かの方に「ブリュッヘンはもう危ない」といった趣旨の話を聞かされていた。
 昨年の来日が告別の挨拶代りのものであったということや、18世紀オーケストラの解散、それからyoutubeでアップされた彼の最近の姿を目にし、その音楽を耳にするに、彼の死は充分予想されたものだった。
 だから、先日のロリン・マゼールの死ほどに激しい驚きを与えられることはなかった。
 けれど、何か大きなものを失ってしまったという重さを強く感じたことも事実である。
 そしてそれは、彼の実演を避けて来た自分自身のとり返しのつかなさ、深い後悔とも大きくつながっている。

 昨夜、彼の死を知ってから、2013年7月14日にアムステルダム・コンセルトヘボウで行われたオランダ放送室内フィルの解散コンサートでの演奏をRadio4の音源とyoutubeにアップされた動画で繰り返し聴いた。
 マルティン・ルターによる讃美歌『神はわがやぐら』を引用したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第80番とメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」には、音楽的な関連性云々ばかりでなく、オランダ放送室内フィル解散への「プロテスト」を感じる。
 そして、日本の最後の客演でも演奏されたアンコールのヨーゼフ・シュトラウスの『とんぼ』。
 幾重にも別れを告げているかのようで、なんとも美しく哀しい。

 深く、深く、深く、深く黙祷。
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by figarok492na | 2014-08-14 14:00 | クラシック音楽

オルフのカルミナ・ブラーナを聴いて

 明け方4時過ぎに眠ったというのに、夏の朝ということもあってか9時前には目が醒めた。
 起き上った拍子に腰をぴきっとやって、超軽いぎっくり腰状態になったので、再び布団の上に横になる。
 で、ちょうど9時になったのでNHK・FMの『名演奏ライブラリー』を聴くことにした。
 今回は、先頃亡くなったスペインの指揮者ラファエル・フリューベク・デ・ブルゴスの特集で、30代の彼がニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音したファリャのバレエ音楽『恋は魔術師』やオルフのカルミナ・ブラーナが放送されていた。

 オルフのカルミナ・ブラーナ。
 という曲名は知らずとも、冒頭とラストに置かれた禍々しくてよい意味で大仰な音楽ならば、映画やテレビのBGMにもよく使われているから、耳にしさえすれば、あああの曲ね、と多くの方が納得されることと思う。
 まさしく、キャッチーでつかみはOKな作品だ。
 また、中世ヨーロッパのざれ歌をもとにした乱痴気騒ぎの大はしゃぎは、いわゆる現代音楽の範疇にありながらも、実に耳なじみがよい。
 合唱フリークならずとも親しみやすい音楽といっていいだろう。

 ただ、このフリューベク・デ・ブルゴスの演奏を聴いて僕は、なあんかいまひとつ乗り切れないというか、なんとも曰く言い難い気分になってしまった。
 と、言ってフリューベク・デ・ブルゴスとニュー・フィルハーモニア管他(大好きだったソプラノのルチア・ポップも独唱に加わっている)の演奏がひどい代物という訳ではない。
 どころか、解説の諸石幸生も口にしていたように、エネルギッシュでパワフル、リズミカルな上に、分離のはっきりした録音の加減もあってか実に明瞭な演奏に仕上がっている。

 が、である。
 だからこそ、主旋律の裏でポコポコガシャガシャ刻んでいる打楽器や何やらに、作曲家の巧緻さや狡知さ、それが言い過ぎならば、何か造り物を机の上で造っているかのような意図と意志を必要以上に聴きとってしまったことも事実である。
 喩えが適切かどうかわからないが、例えばアフリカの現地の人々にとって彼彼女らの踊りや歌は当為のものであり生活と密接した自然なものだ。
 またそうした踊りや歌に心動かされ、現地以外の人々が我も我もとリズムに乗って踊り歌うのも不自然なことには感じられない。
 だが、オルフのカルミナ・ブラーナには、文化人類学者がフィールドワークで彼彼女らの踊りや歌を採取採譜して、ああ、ここでは拳を三回振り上げた、ここでは槍を二回突き上げたなるほどなるほど、それじゃあ再現してみましょう、あっと、彼彼女らはもろ肌脱いで踊っていたなあ、それじゃあそれも再現してみましょう、という持って回った感じがどこかにする。

 加えて、オルフのカルミナ・ブラーナには、元ネタの素朴さ質朴さに比して、増村保造監督の『巨人と玩具』で、劇中アイドル歌手みたくなった野添ひとみが「原住民」を模した扮装をして歌う、「土人の女に売りつけろ!」という塚原哲夫(哲は、本当は口ではなく日)作曲の俗悪な歌と同様なあざとさを感じずにもいられない。
 いや、野添ひとみのあの歌は、映画そのものが持つ同時代日本への激しい批判精神と断念の象徴であるのに対し、オルフのほうは時局への迎合すらうかがえてどうにも仕方ないのだ。
(オルフのカルミナ・ブラーナは、1936年に完成し1937年に初演された。オルフ自身はナチスの積極的な党員ではなかったとされているが、時局=政治権力ではなく、当時のアトモスフェアを反映した作品であり、音楽であることも、やはり否定できまい)

 もちろん、僕自身の偏見もあるのだろうけれど、朝からなんとも心地がよくない。
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by figarok492na | 2014-08-03 14:16 | クラシック音楽

ロリン・マゼールの死を悼む

☆ロリン・マゼールの死を悼む


>(前略)私がまず感ぜずにいられなかったことは、(中略)彼は(略)、まるで世慣れない、人見知りをする、一介の白面の青年にすぎないようなところのある点である。
(中略)
 それから、<実人生>を前にした時の、彼の困惑。
 そういうものも、私はよく彼の目の中にみた。
 もちろん、彼の目が、いつも、そういう色で染まっているというのではない。
 ことに彼の顔全体の中で、官能的なものといえば、ただ一つ比較的厚い唇なのだが、その唇も肉感的なものを感じさすのはむしろ開かれている時で、上下の唇が結ばれていると、そこには、もう、何か「素朴なまま」ではありえないような、ある表情が浮かんでくる<

 上記の人物評を目にして、果たしてどれだけの方が、指揮者ロリン・マゼールを想像することができるだろうか。
 「比較的厚い唇」、というあたりがヒントになるのかもしれないけれど、後年の「やってるやってる」感あふれるマゼール像しか知らない人たちには、この吉田秀和の一文(『世界の指揮者』<ちくま文庫>所収、マゼールの章より)は、相当驚きをもって受け止められることと思う。
 例えば、ちょうど手元にある、マゼールがウィーン・フィルを指揮したラヴェルの管弦楽曲集<RCA、1996年6月録音>一つとってみても、彼のあざとさわざとらしさは明白だ。
 作品の持つドラマティックな性格をよく表現した『ダフニスとクロエ』組曲にスペイン狂詩曲はまだしも、おなじみラ・ヴァルスとボレロのあくの強さ。
 中でもボレロなど、それこそ『柳生一族の陰謀』のラストでの萬屋錦之助の演技を観聴きしているかのような大芝居ぶりである。
 しかも、あなた萬屋の場合は、計算の上ではなから大仰な演技を重ねているのに対し、こなたマゼールは、しれっとした顔でずっとタクトを振りながら、終盤に到ってここぞとばかりに大見得を切る。
 一聴、ああこの人はまた、と妙に感心してしまったほどだ。
 ただ、そうした晩年のマゼールを知っているからこそ、1960年代の彼を活写した吉田秀和の文章が、かえって強く心にも残るのである。
 そして、>私は、何も、彼の人相見をしているわけではない<と断っているが、吉田秀和の人間観察の鋭さには舌を巻かざるをえない。

 1930年3月6日の生まれだから、84歳ということになるか。
 先頃HMVのインターネットサイトの許光俊のコラムで、マゼールの音楽が変わってきていること、ここ数ヶ月のスケジュールがキャンセルされていることを知り、もしかしたらとうすうす感じてはいたものの、まさかこうも早く彼が亡くなるとは思ってもみなかった。
 90過ぎまで生きて、それこそ最晩年のストコフスキーのような音楽を聴かせることになるだろうと思っていたからだ。
 そのロリン・マゼールが亡くなってしまった。

 幼い頃からヴァイオリンとピアノを学び、なんと8歳でアイダホ州立大学のオーケストラを指揮する。
 9歳のときには、ニューヨークの世界博覧会の特別編成のオーケストラを指揮。
 さらに、NBC交響楽団やニューヨーク・フィルの指揮台に立ったのは僅か11歳というのだから、まさしく神童と呼ぶほかない。
 それでも、ピッツバーグ大学で哲学と語学を学ぶ傍ら、順調に音楽の研鑚を続け、ピッツバーグ交響楽団のヴァイオリン奏者や副指揮者を務める。
 そして、1950年代にはヨーロッパに渡り、ベルリン・フィルとのレコーディングを皮切りに、ウィーン・フィル等一流のオーケストラとの録音を開始する一方で、1960年代半ばには、ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)やベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任するなど、コンサート・オペラ両面での活動を本格化させた。
 吉田秀和がマゼールと出会い、彼の人物や音楽について記したのもこの頃のことだ。
(同じ時期に録音した、ベルリン放送交響楽団とのモーツァルトの交響曲第25番&第29番の中古LP<コンサート・ホール>を高校時代よく聴いていたが、出来の良し悪しはひとまず置くとして、当時のマゼールの鋭角な表現、若々しい音楽づくりがよく表われていた)

 その後、1972年にジョージ・セルの後任としてクリ―ヴランド管弦楽団の音楽監督に就任したあたりから、マゼールの楽曲解釈がバランス感覚を重視した安定志向へと変わったと評されているが、この点に関しては、同時代的に彼の演奏録音に触れることができていないため、あえてどうこう述べることはしない。
 僕がクラシック音楽を積極的に聴き始めた1984年は、ちょうどマゼールがウィーン国立歌劇場の総監督を辞任した年にあたるのだけれど、その前後のウィーン・フィルとのニューイヤー・コンサートにしても、同じウィーン・フィルとのマーラーの交響曲全集<CBS>(加えてフィルハーモニア管弦楽団とのワーグナーの序曲前奏曲集<同>)にしても、オーケストラを巧くコントロールした、均整のよくとれた演奏だという印象が残っている程度だ。
(マゼールは、渡辺和彦との対談で繰り返しマーラーの人と音楽の「健康」性について指摘している。『クラシック辛口ノート』<洋泉社>所収、「不健全」なマーラー像を超えて -マゼールは語る、をご参照のほど)

 そうしたマゼールの音楽がさらなる変化を遂げたのは、1990年代に入ってからではなかったか。
 『金色夜叉』の間貫一ではないけれど、ベルリン・フィルのポスト・カラヤンを巡る争いでクラウディオ・アバドに破れた腹いせなんて見方もなくはないが、マゼールは商業主義云々といったわかりやすい言葉だけではくくれない、一癖も二癖もある、一筋縄ではいかない演奏を披歴するようになった。
 ウィーン・フィルとの峻烈な演奏<DECCA>と比較して、あまりにもグラマラスで、ためやデフォルメの多いピッツバーグ交響楽団とのシベリウスの交響曲<SONY>。
 これまたウィーン・フィルとの録音<同>は、アンタル・ドラティの如き職人芸の域に留まっていたのが、小沢昭一に大泉滉、三谷昇もかくやと思わせる大騒ぎの怪演に転じたバイエルン放送交響楽団とのチャイコフスキーの1812年やベートーヴェンのウェリントンの勝利<RCA>。
 おまけに指揮するだけでは飽き足らず、ヴァイオリンのソロのアルバム<同>はリリースするわ、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』&『ドン・ファン』他のCD<同>では、演奏自体はそこまでぶっとんでいないのに、魔術師か手かざし療法士かというまがまがしいジャケット写真を使用するわ。
 バイエルン放送交響楽団との来日公演(1993年3月25日、愛知県芸術劇場コンサートホール)での実に堂に入ったブラームスの交響曲第1番も、休憩前の同じブラームスの交響曲第2番が作品の持つぎくしゃくした感じをあまりにも強調した演奏だっただけに、どうにも嘘臭さを感じてしまったものだ。

 そういえば、このコンサートのしばらくのちにヨーロッパを訪れて、たまさかドイツとウィーンで音楽関係者の方とお話をする機会を得た際、このマゼールのコンサートについて触れたところ、お二方がお二方とも、「マゼールはねえ…(苦笑)」という反応を返して、少し驚いたりもしたんだった。
 お二方とも生粋のヨーロッパ人だったが、フランスで生まれつつもすぐにアメリカに渡ったマゼールに対して、詳しくは触れないながらも、なんらかのふくみのある言葉であったことは確かだ。
(それも流暢な日本語で。それを、アジアの人間である自分が聴いている…)
 そして、冒頭の吉田秀和の言葉や、その裏返しであろう自己顕示欲、権力欲、過剰なまでの解釈、演技といったマゼールのあり様の一端に、そうしたある種の齟齬が潜んでいるのでないかと、僕は感じたりもした。

 いずれにしても、最晩年のマゼールの演奏に接することができなかったのは、返す返すも残念でならない。

 なお、吉田秀和は先程の文章をこう続けている。
>マゼールの<音楽>も、もちろん、これからだっていろいろ変わることもあるだろう。
 しかし、あすこには<一人の人間>がいるのである。
 あすこには、何かをどこかからとってきて、つけたしたり、削ったりすれば、よくなったり悪くなったりするといった、そういう意味での<技術としての音楽>は、もう十歳かそこらで卒業してしまった、卒業しないではいられなかった一人の人間の<音楽>があるのである。
 それが好きか嫌いか。
 それはまた別の話だ<

 深く、深く、深く、深く黙祷。
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by figarok492na | 2014-07-14 15:02 | クラシック音楽

ラジオ深夜便で幸田延の作品を聴いた

 金曜深夜のラジオ深夜便といえば、通常関西など地方局からの放送だが、連休間近ということもあってか、今夜はおなじみ遠藤ふき子アンカーで東京からの放送となっていた。

 で、11時台、0時台は、音楽評論家の萩谷由喜子を迎え、瀧廉太郎と幸田延に関する特集が組まれていたのでけれど、『荒城の月』の原曲(現行版は、山田耕筰によって音の変更が行われ、ピアノ伴奏が加えられている)が聴けた11時台も悪くなかったが、なんと言っても幸田延の作品が放送された0時台が聴きものだった。

 幸田延[1870-1946]は、幸田露伴の妹(露伴の娘幸田文が『小石川の家』で延についても触れていて、久世光彦演出でドラマ化されたときは、先年亡くなった淡島千景が延を演じていた)で、もう一人の妹幸(結婚して安藤姓に。ヴァイオリニスト)とともに、日本の洋楽受容史を語る際には決して忘れてはならない存在である。
 アメリカ、ドイツ、オーストリアへの留学経験があり、ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家としてその才能を発揮したほか、東京音楽学校の教授として後進の指導にもあたった(瀧廉太郎も師事した)が、女性蔑視、男尊女卑、女性への嫉妬によるバッシングもあって(「上野の西太后」等と揶揄された)東京音楽学校を追われ、その後は楽壇と完全に距離を置いた。

 こうした彼女の経歴に関しては先日読了したばかりの青島広志の『クラシック漂流記』<中央公論新社>にも触れられており、そこでも高く評価されていた二曲のヴァイオリン・ソナタが今夜放送された。
 池辺晋一郎によって欠落部分が補われているというが、ブラームスやシューマンは無理としても、ブルッフやヘルツォーゲンベルクあたりの初期の作品と言われれば、へえなるほどと思ってしまえそうな、ドイツ・ロマン派の語法に沿った弾き栄えのする音楽で、青島さんが記していた通り、瀧廉太郎の作品よりも聴き応えがある。
(そうそう、池辺さんと長年『N響アワー』でコンビを組んだ檀ふみが『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で幸田延を演じていたんだった。もしかしたら、『N響アワー』でもそのことに触れたことがあったかもしれない)

 それと、これまた青島さんが記していた、幸田延が作曲した神奈川県立高等女学校・現神奈川県立横浜平沼高校校歌(佐佐木信綱作詞)も聴くことができたのも大収穫だ。
 陰から陽への変化、特に陽のあたりのメロディには、ブラームスの合唱曲を想起する。
 また、冒頭の音型が『荒城の月』と全く同じで、その点青島さんは疑問を呈していたのだけれど、これは教え子の瀧廉太郎に対するオマージュという萩谷さんの見解に僕も与したい。

 ところで、今夜読み終えたばかりの『いつも私で生きていく』<KKベストセラーズ>の著者草笛光子も同校の出身(神奈川県立横浜第一高等女学校時代。ただし、松竹歌劇団に入ったため、草笛さんは卒業できなかった)が、その草笛さんの名前が出たのは、偶然ながら嬉しかった。
(ちなみに、遠藤ふき子アンカーも平沼高校の出身とのこと)

 残念だったのは、放送がラジオ第1でステレオ放送ではなかったことだが、まあ仕方あるまい。
 いずれにしても、ああ、面白かった!
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by figarok492na | 2014-04-26 03:08 | クラシック音楽

youtubeで昔の日本のオーケストラの演奏を聴いた

 音質的な問題はありつつも、古今東西の様々な音源に触れることができるのは、やはりyoutubeのありがたみの一つである。
 昨夜は、鑑賞用の名曲アルバム(LP)からの音源を中心に愉しんだ。

 まずは、「おやかた」近衛秀麿がフィルハーモニア交響楽団を振ったハイドンのセレナード(現在は、ホフシュテッターの作曲とされる弦楽4重奏曲第17番第2楽章の弦楽合奏版)。
 これは、子供の頃、両親に買ってもらって愛聴した日本コロンビア(学研)の名曲集「こどものクラシック」(25センチLP)中の録音で、録音用の寄せ集めのメンバーか既存の団体の変名によるアンサンブルだろうが、しっとりたっぷりと鳴らされた弦楽が美しく、とても懐かしかった。

 続いては海外の録音で、エドゥアルト・ファン・ルモーテル指揮セントルイス交響楽団が演奏したプロコフィエフの歌劇『3つのオレンジへの恋』から行進曲を聴く。
 ひょこひょこピコピコした音質演奏が幸いしたのか、この曲が『スター・ウォーズ』の帝国のマーチ(ダース・ベイダー・マーチ)の下敷き(の一つ)ということが今頃になってわかった。
 それにしても、いつもながらジョン・ウィリアムズは「いただき」が巧い。
 アメリカの久石譲だ。
 いや、逆か。

 「いただき」の巧さといえば、こっちもか。
 芥川也寸志指揮旧東京交響楽団が演奏したハチャトゥリアンのバレエ音楽『ガイーヌ』から剣の舞(この録音の存在は、知らなかった)を聴いて、思わず玉木宏樹が作曲した懐かしの時代劇ドラマ『大江戸捜査網』のテーマ曲を聴いてしまった。
(『大江戸捜査網』は、ミクロス・ロージャやラロ・シフリンっぽくもあるのだが、やっぱり大枠は剣の舞なんじゃないかな)
 ところで、玉木さんは旧東京交響楽団のヴァイオリン奏者だったんだけど、上述した剣の舞のセッションには参加していたのだろうか。
 もしそうだったら、ちょっと面白いんだけどなあ。

 エーリヒ・ベルゲル指揮読売日本交響楽団が演奏したシベリウスの交響詩『フィンランディア』とドビュッシーの牧神の午後への前奏曲は、残念な出来。
 一応れっきとしたプロの仕事ではあるのだが、個々の技量に加えて、アンサンブルがもっさいというか、粗いというか。
 フィンランディアの勇壮な部分など、昔々の特撮映画か何かの「防衛隊出撃!」的な雰囲気である。
 ちなみに小川昂編集の労作『日本の交響楽団』、並びに『新編日本の交響楽団』<民音音楽資料館>によると、1998年に亡くなったルーマニア出身の指揮者ベルゲルは、1975年7月と1986年11月に読売日本交響楽団の定期演奏会に登場しているので(あと、1982年11月にはNHK交響楽団の定期公演も指揮している)、そのいずれかの際の録音と思われる。

 そして、ガエタノ・コメリが旧日本フィルとコロンビア合唱団を指揮したヘンデルのオラトリオ『メサイア』からハレルヤ・コーラスは、予想通り、今ではめったに聴くことのできないオールド・スタイルの演奏だった。
 ムソリーニによって戦前派遣されたというコメリはイタリア出身の指揮者で、音楽教育に携わったほか、日本のオペラの基礎づくりに努めたり、皇紀2600年を記念した演奏会でピツェッティの交響曲を指揮したりもしていた。
(加えて、ジョセフ・ローゼンストック来日直前の1936年1月の新交響楽団=現NHK交響楽団の定期公演を指揮してもいる)
 ゆったりとしたテンポと一音一音を丁寧に歌う生真面目な合唱に、高校時代、長崎市内の県立五高校による連合音楽祭で歌った同じ曲を思い出した。
 あのときは速く歌おう、速く演奏しようとする未熟な合唱とオーケストラに、「走るな」とA先生がお怒りになったものだが、21世紀を迎えた今では走りに走って装飾音までつけたハレルヤ・コーラスが当たり前というのだから隔世の感ありだ。

 ほかに、昭和のヤマカズさん山田一雄指揮旧東京交響楽団が演奏したスッペの喜歌劇『軽騎兵』序曲と渡邉暁雄指揮旧日本フィルが演奏したヴォルフ=フェラーリの歌劇『聖母の宝石』間奏曲も聴けて、大いに満足。
 ああ、愉しかった
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by figarok492na | 2013-11-21 15:33 | クラシック音楽

林光さんが亡くなられた

 作曲家の林光さんが昨日亡くなられていたことを、先程知った。

 林さんの作品には、幼い頃から親しんでいて、特にNHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』のテーマ曲など大好きだったんだけど。

 それより何より、林さんからは20年近く前より細い細いつながりをいただいていたのだ。
 以前日立市が市民オペラの原案を募集していることがあって、僕は林光さんの『歌の学校』やら何やらを下敷きに、それらしいプロットを捻り出しそれを公募先に送付したのだけれど(残念ながら落選)、せっかくだからと林さんにプロットのコピーを送ったところ、たまたまその頃のアルバイト先だったJUGIA四条店に林さんが来られ、「面白かった」と声をかけていただいたのである。

 そして、その後もオペラシアターこんにゃく座の公演ロビーや、京都市内で行われた諸々の企画の際に、ほんの少しお話したり、ごあいさつしたりする関係が続いていた。

 そういえば、数年前にお送りした個人創作誌『赤い猫』第2号には、「中瀬宏之の正体いまだ不明なるも」という一文の入ったお葉書をいただいた。
 そのときは、ありゃりゃ、林さんは僕のことを忘れたのかなと思ったのだが、友人から「それは、中瀬さんのことを忘れたんやなくて」、(戯曲を書いたり小説を書いたりレビューを書いたりする)「中瀬さんの正体がようわからんという意味やないんですか?」と指摘されて、ああなるほどと得心がいった。
 ご健筆を祈るという励ましの言葉の入ったそのお葉書は、僕の大切な宝物の一つだ。

 これまた旧知のマリンバ奏者通崎睦美さんのブログの記事で、林さんが入院されていること、あまりご加減がよろしくないようなことは存じていたのだが。

 80歳。深く、深く、深く、深く、深く黙祷。
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by figarok492na | 2012-01-07 02:08 | クラシック音楽

通崎睦美さんのコンサートのご案内

 4月15日(今週金曜日)19時から、京都芸術センターの講堂で、旧知のマリンバ奏者通崎睦美さんの震災支援コンサートが開催されます。

 入場は無料で、当日会場では東日本大震災の被災者の方々への義援金を受け付けられるとのことです。

 また、入場の際は整理番号が必要ですので、ご予約のほうをお忘れなく。

 詳しくは、こちら(通崎さんのブログ)のほうをご参照のほど。

 ご都合よろしい方は、ぜひとも足をお運びください!
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by figarok492na | 2011-04-15 19:00 | クラシック音楽

モーツァルトの序曲を聴きながら

 アンドレア・マルコンがスイス・バーゼルのピリオド楽器アンサンブル、ラ・チェトラを指揮したモーツァルトの序曲集<ドイツ・グラモフォン>に関しては、いずれCDレビューをアップするつもりでいるが、さすが劇場感覚に秀でたモーツァルトだけあって、序曲を聴いているだけでわくわくした気分になってくる。
 いや、やっぱり序曲だけだと物足りないかな。
 と、言うのも、マルコンはよい意味で煽る、メリハリのはっきりしたドラマティックな演奏を創り出しているので、序曲が終わると、つい次の曲目を聴きたくなってしまうのだ。
ダ・ポンテ三部作などは特にそう。
 だから、『フィガロ』だったら、チンクエと、『ドン・ジョヴァンニ』だったらノッテジョルノと、『コシ』だったらラミアドラベッラとついつい口づさんでしまいたくなるほどだ。
 そういえば、あまたあるオペラの中で、僕が本当に好きなオペラはモーツァルトのダ・ポンテ三部作だ。
(他は、リヒャルト・シュトラウスの『カプリッチョ』)
 『フィガロ』は全曲、ドン・バジリオのアリアはもちろん、レチタティーヴォにいたるまでたまらなく好き。
 でも、心がどうにも落ち着かなくなるのは、『ドン・ジョヴァンニ』かな。
 中でも、第一幕のフィナーレで、いくつかの音楽がばらばらに演奏されるあのシーンは、本当にたまらない気分になる。
 今手元にあるのはカラヤンのCDだが、できればもっと別の演奏で耳にしたい。
 例えば、マルコンが指揮した演奏とか一度聴いてみたいものだ。
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by figarok492na | 2011-04-15 17:07 | クラシック音楽

大阪センチュリー交響楽団の日本センチュリー交響楽団への改名を知って

 さる9月12日、大阪センチュリー交響楽団のコントラバス奏者奥田一夫さんが亡くなられた。
 コンサートは別にして、僕自身、奥田さんと直接お目にかかる機会はほとんどなかったが、そのお人柄とオーケストラにかける熱意については、友人知己から幾度となく耳にしていた。
 まだ57歳での死。
 深く、深く、深く、深く、深く黙祷である。
(奥田さんがマウンテンバイクを運転中に事故で亡くなられたことを知ったとき、僕はすぐに、日本フィル事務局におられた中島賢一さんのことを思い出した。演奏者と事務方の違いはあったにせよ、お二人ともオーケストラをこよなく愛された方たちだったと思う)


 ところで、奥田さんが所属されていた大阪センチュリー交響楽団が来年4月から日本センチュリー交響楽団に名前を変えるということが、今朝の朝日新聞朝刊に報じられている。
 橋下大阪府知事の「改革」の名の下、大阪センチュリー交響楽団への補助金が打ち切られる中、なんとか楽団の生き残りをはかった結果が、今回のこの改名なのだろう。
 名称その他、様々に考えることはあるのだが、まずは大阪センチュリー交響楽団改め、日本センチュリー交響楽団の今後の活動を、一人のオーケストラファンとして応援していきたいと考える。


 ただ、「将来は76人編成への拡大を目指す」というオーケストラの目標に対しては、やはりどうしても疑問が残る。
 朝日新聞の記事にもあるように、センチュリー交響楽団の持ち味は、「55人編成と小規模だが、精密で透明度の高いアンサンブル」というところにあるのではないか。
 プログラムによって編成が拡大すること、エキストラを入れることは当然仕方ないとしても、何ゆえ常時76人の編成を目指さなければならないのだろう。
 もしそれが、前々からの発言の通り、現音楽監督小泉和裕さんの強い意志によるもので、彼がギャラの多くを返上し、この日本センチュリー交響楽団と心中する覚悟でそれを目指すというのであれば、僕はそれはそれで大いに納得するところであるが。
(オーケストラにかぎらず、自らが率先して何かを為そうとする場合は、その何かと心中するぐらいの覚悟、もしくは最後の最後になってちゃぶ台をひっくり返すぐらいの覚悟がなければ事は為せない、逆に言えば、ちょっとしたことで逃げを打つようでは事は為せない、と最近僕は強く思う。もちろん、これは僕自身の自省の言葉であるのだけれど)
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by figarok492na | 2010-09-17 12:08 | クラシック音楽

招待するならゲネプロに?  もしくは、中瀬宏之の本音を申せば

 中学の3年生以来だから、ほぼ25年もの間コンサートに足を運び続けていると、だいたいコアなクラシック音楽ファン(コンサート・ゴア)と呼ばれる人種の心の動きは、手に取るようにわかるようになってくる。
(ちなみに、僕は自分自身のことをコンサート・ゴアだとは思っていない。もう一つ言えば、シアター・ゴアとも思っていない)

 例えば、招待客へのちょっとしたジェラシーだとか。
 いわゆる関係者に対してもそうだけど、新聞やらホームページやらのプレゼントコーナーで運よく招待券を手にした、あまりクラシック音楽に通じていなさそうなお客さんに対する、「なんであんたらここにおんの」と軽く突っ込みを入れたくなるような気持ちは、身銭を切ってコンサートに通い詰めている人ならば、一度は感じたことはないだろうか?
 それも、チケット料金がけっこう高くて、しかもファンなら絶対に聴き逃せないあの指揮者やあのソリストが登場するコンサートならば。
(ことこのことにかぎらず、生身の人間だもの、ジェラシーがあること自体、僕は仕方がないことだと思う。問題なのは、それを面と向かって陽性に毒づくこともできず、かといって、自分の気持ちを隠しおおせることもできず、結局正論を装ってねちねちねちねちと相手を攻撃することではないか。あと、一番怖いのが、自分にはジェラシーなんて一切ないと信じ込んでいる人間の無意識のジェラシー!)

 だから、今回の読売日本交響楽団の大阪公演の招待状で問題が起こったとき、読売日本交響楽団のチケットセンターや昨夜の読売新聞大阪本社の企画事業部の方との電話で強調したのは、いったん招待客のための席は設けられないと決まったのであれば、無理に割り込んでまで自分の席を確保したいわけではないということだった。
(いやごとめかしてここには書いたが、そこらあたりに関しての自分の判断は、一応記しておいたつもりだ)

 ただ、一方で、シルヴァン・カンブルランの読売日本交響楽団の常任指揮者就任のお披露目コンサートを聴けるという願ってもないチャンスをみすみす棒に振るのも悔しいかぎり。
 僕がどうにも残念に感じたことも、それこそコアなクラシック音楽ファン、特にオーケストラのファンの方なら、ある程度は理解してもらえるものとも思う。

 そこで、手ごねハンバーグじゃあるまいしごねごねごねて自分だけコンサートに潜り込むような卑劣漢となることなく、なおかつ当日券を手に入れたいと願う人たちの想いをできるだけ適える(なぜなら、招待客が減れば、その分当日券に回せるので)という方法はないかということで、一つ思いついたことがあった。
(というか、はじめに電話をもらった段階ですぐにひらめいたのだけれど、担当のYさんに説明してもたぶんわかってもらえなさそうだったので、改めて直接読売日本交響楽団のほうに電話をしたのである)

 で、このことは昨夜読売新聞の方にも話したことだし、もはや実現の可能性もなさそうなのでこの場で明かしてしまうと、それは、招待状や招待券を送った人たちにかぎってゲネプロを公開するということだ。
 むろん、ゲネプロだから、まるまるコンサートのままというわけにはいかないし、指揮のカンブルランや読売日本交響楽団のメンバー、さらには関係者一同の承認が必要なことは重々承知しているが、招待状や招待券を持った人を門前払いにしたり、逆に当日券が出なくなってしまうよりも、まだましなのではないかと僕は思ったのである。
(加えて、このコンサートではテレビ撮影も予定されているから、その「プロ―べ」に接する愉しみまであるわけだ)

 それと、ここでみそなのは、(こうやって中瀬宏之が提案者であるにもかかわらず)これを、招待状や招待券に関する一連の経緯を耳にしたシルヴァン・カンブルランが自分から「ゲネプロを公開したらどうか?」と提案したという体にするということだった。
 そうすれば、招待状・招待券に関する読売新聞側の不手際を謝罪しつつ、「カンブルランの決断」といった記事をホームページに掲載できるだろうから、「カンブルランってええ人やん」と新常任指揮者のイメージも上昇し、まさしく災い転じて福となすこともできる。
 もちろん、やらせっちゃやらせだけど、これぐらいなら「メディア戦略」の一端、許容範囲のうちなんじゃないかな。
(しかも、あくまでもこれって僕の妄想だしね。それに、カンブルランが「そんな嘘はつけない」といえばいったで、彼の人柄がわかるチャンスになるし)

 それにしても、昨夜読売新聞の方とも少し話しをしたが、チケットの売れ行きを読むというのは大切なことだ。

 単に読売新聞の購読者(あまりクラシック音楽を聴かない)に読売日本交響楽団というオーケストラの存在を知らしめるためだけなら、例えば外山雄三や手塚幸紀、円光寺雅彦や梅田俊明といった手堅い日本人指揮者を起用してもなんの問題もない。
 それこそ心おきなく招待状や招待券を送りまくればいい。
(あっ、これは読売新聞の方には話したことではないので)
 けれど、残念ながらここに挙げた指揮者の顔触れだと、クラシック音楽の熱心なファンが集まりにくいだろうから、今度は読売日本交響楽団のコンサートが事業として成り立たない。
 まあ、上記指揮者のコンサートであれば、一般学生問わず、開演10分前から全ての残席を1000円で売り出せばいいと、僕なんかは思ってしまうけど。
(それだったら、僕も並ぶし)
 でも、そうしたらそうしたで、前売り券を購入したお客さんがジェラシーを持つだろうからなあ。
 ほんと、物事は簡単ではない。

 いずれにしても、今回の読売日本交響楽団の大阪公演は別として、オーケストラのコンサートの招待状や招待券を出すならばゲネプロに、というアイデア、関係者の皆さんにご高察いただければ幸いである。


 *追記
 過去のあれこれを僕も全く知らないわけではないし、僕自身、実はあまりそういう「売り方」は好きじゃないんだけど、今読売日本交響楽団が指揮台に上げるべき日本人の指揮者は、もしかしたら山岡重信なのではないかとふと思う。
 ただし、万一実現しても、定期演奏会ではなく、東京芸術劇場でのコンサートや深夜の音楽会の公開録音ということにはなるだろうが。
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by figarok492na | 2010-05-01 16:32 | クラシック音楽