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スフレじゃないけどね

 今日は、フジパンの『カスタードスフレ』を食す。
 近所のジャスコで、20パーセント引き、税込み79円になっていたため。
 少し濃厚な味わいのカスタードクリームを、口どけがよくて甘さ控えめの蒸しケーキで挟んだお菓子だが、食べ応えが非常によくて、なかなかの美味しさだった。
 ごちそうさま!

 ただ、スフレって名前はどうかと思う。
 やっぱり、蒸しケーキは蒸しケーキなんだしねえ。
(いくら、カスタードクリームが入っているとはいえ)
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by figarok492na | 2005-11-30 21:50 | 狂甘糖糖員の記録

11月も終わり(CLACLA日記)

 ラブログが一大メンテナンスに突入したので、本家・CLACLA日記自体をこちらに「一時避難」させることにした。

 今日で11月も終わり。
 もう一月しかないと考えるよりも、まだ一月あると考えたいものだ。

 一応青空は見えていたものの、どんよりとした一日だった。
 風が強く、肌寒い感じも増していた。

 結局途中から、NHK・FMのミュージックプラザ第1部を聴くことにする。
 コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団によるメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」などが放送されていた。

 NHK・FMのベスト・オブ・クラシックはパスすることにした。
 以前放送されたことのある録音の使いまわしだったため。
 その代わり、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルによるリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』のCD<テラーク・レーベル>を聴く。

 『T型フォード殺人事件』を読み進める。
 表題作を読み終えたが、広瀬正の早世が本当に惜しまれてならない。

 『カプリッチョ』32の下書きとワープロ打ち、打ち出しを終える。
 原稿用紙に換算して、216枚をこえた。
 さあ、あと少し。

 肩こり、首こりが本当にひどい。
 ワープロやパソコンを使い続けているせいなのだ。
 ああ、何とかならないものか。
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by figarok492na | 2005-11-30 21:14 | CLACLA日記

改題

 新しい小説のタイトルを、『小説を書くのは人間である』から、『カプリッチョ』に改めることにした。
 ずっと大仰なタイトルだなあ、と感じ続けていたのだけれど、今日リヒャルト・シュトラウスのCDを聴いていて、ふと考えついたのだ。
 カプリッチョ=奇想曲、という本来の意味はもちろんのこと、リヒャルト・シュトラウスの『カプリッチョ』という作品の内容とも重なりあう部分があって、僕自身、落ち着くところに落ち着いたと思うのだが、果たしてどうだろうか。
 まあ、中身が追いつかなければ、いくらタイトルにこっても仕方がないことは、言うまでもない。
 もうあと少し、頑張っていかなくては。
(なお、副題の「小説にかわる荒唐無稽」は、引き続き使用することにする)
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by figarok492na | 2005-11-30 18:01 | 創作に関して

一日一枚 13:劇場におけるリヒャルト・シュトラウス

 ☆リヒャルト・シュトラウス:オペラからの管弦楽曲集
  アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィル
  <DG/ドイツ・グラモフォン>437 790−2

 引き続き、リヒャルト・シュトラウスのCDをとり上げようと思う。
 このCDには、『ばらの騎士』組曲、『インテルメッツォ』から4つの交響的間奏曲、『カプリッチョ』から導入部と月の光の音楽、『サロメ』からサロメの7つのヴェールの踊りという、リヒャルト・シュトラウスのオペラ(厳密にいうと、劇場作品)からの管弦楽曲が収められている。
 小銭稼ぎのやっつけ仕事、などと陰口さえたたかれた『ばらの騎士』組曲を含め、リヒャルト・シュトラウスのオーケストレーションの巧みさがよく表れたプログラムであることは、まず間違いがない。
 また、『カプリッチョ』の月の光の音楽をはじめ、抒情的で耽美的な旋律がたっぷりと含まれていることも、これらの楽曲の大きな魅力であろう。
 アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルは、そうした作品の性格を活かしつつも、ウェットに過ぎない演奏を行うことで、バランスのとれた音楽を生み出しているのではないだろうか。
 ドイツ・グラモフォンの録音も抜群で、税込み1200円程度ならば、迷わず購入されることをお薦めしたい。

 ところで、これは指揮者の本多優之さんに伺った話*だが、リヒャルト・シュトラウス自身は、自作を指揮する場合、あまりオーケストラのドライブには厳格でなかったそうだ。
 特に、オペラの上演などでは、自分自身の作曲した「楽譜」と実際の演奏との違いを、彼はよく承知していたそうである。
 ということは、このCDは、舞台とは離れた管弦楽曲、しかもCD録音ゆえの偉大な「虚構」なのかもしれない。
(*本多さんは、リヒャルト・シュトラウスの指揮を経験したことのあるオーケストラの団員たちから聴いたという)
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by figarok492na | 2005-11-30 12:07 | 一日一枚

あわしま堂讃

 今日は、あわしま堂の『焼りんご』を食す。
 すでに、本家・CLACLA日記にアップしたこともあるけれど、りんごの蜜漬けの入ったホワイトクリームをブッセケーキで挟んだ洋菓子で、素朴な味わいが、非常に親しみやすい。
 また、値段の割に、けっこう食べ応えがあるのも、僕には嬉しい。
 なかなかに美味しうございました。
 ごちそうさま!

 それにしても、洋菓子・和菓子問わず、あわしま堂のお菓子はリーズナブル(近所のジャスコだと、だいたい税込み60円で発売されている)でありながら、それなりの水準を全ての商品がキープしていて、いつも感心してしまう。
 これからも、僕はあわしま堂のお菓子を、陰ながら応援していきたいと思う。
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by figarok492na | 2005-11-29 22:54 | 狂甘糖糖員の記録

一日一枚 12:リヒャルト・シュトラウスの管楽アンサンブルのための作品

 ☆リヒャルト・シュトラウス:管楽アンサンブルのための作品集
  ハインツ・ホリガー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団管楽ソロイスツ
  <PHILIPS>438 933−2

 前回に引き続き、今回も管楽アンサンブルのためのCDを選んだ。
 と、言っても、モーツァルト=トリベンゼーの『ドン・ジョヴァンニ』が「食卓のための音楽」だとしたら、こちらは純然たる演奏会用の作品が並んでいるのだけれど。
(ただし、リヒャルト・シュトラウスがモーツァルトの管楽アンサンブルのための作品に影響を受けていることも、また否定できない事実で、このCDに収録されている木管楽器のためのセレナード、13管楽器のための組曲は、同様の編成によるモーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」に対応し、管楽器のためのシンフォニー第2番『楽しい工場』は、「モーツァルトの霊」に捧げられている)

 父フランツ・シュトラウスが有名なホルン奏者であったことも手伝ってか、リヒャルト・シュトラウスは、管楽器のための優れた作品を数多く遺しているが、ここで録音されている3曲も、一人一人の奏者たちが「愉しみながら」演奏できる仕掛けが、そこここに施されていると思う。
 もちろん、耳馴染みのよい旋律と、管楽器奏者たちの巧みな語らいが、聴く側にとっても心地よく楽しい一時を生み出していることは、言うまでもあるまい。

 オーボエ奏者であるとともに、指揮者としても活躍している(ことに、現代音楽のスペシャリストとして)ハインツ・ホリガーは、ヨーロッパ室内管弦楽団の若手管楽器奏者たちとともに、まとまりがあって、しかも柔軟性に富んだ演奏を創り上げている。

 リヒャルト・シュトラウスの一面を識るという意味でも面白い一枚ではないだろうか。
 管楽器がお好きな方、特に、ブラスバンドなど管楽器の演奏経験がおありの方にはお薦めのCDである。
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by figarok492na | 2005-11-29 12:52 | 一日一枚

失われたボールペンへの怒り

 ベートーヴェンに、『失われた小銭への怒り』というあだ名のついたピアノのための小品がある。
 ベートーヴェンの諧謔精神のよく表れた作品なのだけれど、一方で彼のモノマニアックな傾向を象徴しているとも言えないことはない。
 だいたい、『失われた小銭への怒り』だなんて、あまりにもけち臭すぎやしないだろうか。

 などと、他人のことをどうこう言ってもいられない。
 実は、昨日の晩、伊丹まで水の会のリーディング公演を観(聴き)に行って、おろしたてのボールペンを1本失ってしまったのだが、これがもう悔しいやら腹立たしいやら。
 100均で買った5本1組の中の1本だから、正味20円程度にしかならないものなのに、ついついいらっとしてしまったのだ。
(これがおろしたてじゃなかったら、それほど「感情的」にはならなかったんだろうな)

 人間いつかは必ず死ぬ。
 当然、自分自身も必ず死ぬ。
 ボールペンを失ったくらいで怒ってるなんて、馬鹿らしくないか?
 そう呼ぶ声も聴こえない訳じゃないが。

 ほんと、俗物だな、僕も。
 メメントモリ!!
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by figarok492na | 2005-11-29 01:28 | 雑感

一日一枚 11:ハルモニームジーク

 ☆モーツァルト:『ドン・ジョヴァンニ』のハルモニームジーク
  マルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊メンバー
  <ERATO>2292−45493−2

 このCDは、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』を、トリベンゼーがハルモニームジーク用に編曲したものの録音で、序曲を皮切りに全部で20曲のナンバーが収められている。
 ハルモニームジークとは、簡単に言えば、貴族などが食事の時の楽しみとして聴く管楽アンサンブルの音楽であり、オリジナルの作品が作曲された他、当時流行したオペラもさかんに編曲されていて、『ドン・ジョヴァンニ』のラスト近くには、いくぶん皮肉もこめてか、ハルモニームジークが「活躍」するシーンさえある。
(このCDでは、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン2の編成で演奏されている。なお、ミンコフスキはファゴットを吹きながらの指揮のようだ)
 もともと「食卓の音楽」として編曲されたということもあってか、本来のオペラの持つドラマ性にはほど遠いが、ピリオド楽器の腕っこきが奏でる軽快な音楽はとても耳に心地よく、あれよあれよと言う間に全曲を聴き終えてしまう。
(個人的には、オペラ上演の際にはほとんど演奏されることのない、第2幕のレポレロとツェルリーナの2重唱の編曲が含まれていることが嬉しい)
 特に、「ながら聴き」にはもってこいの一枚だ。
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by figarok492na | 2005-11-28 13:30 | 一日一枚

まさしくプレーン

 今晩は、オイシスの『ふんわり蒸しケーキ・プレーン』を食す。
 近所のジャスコで、半額引き、税込み45円になっていたため。
 甘さ控えめで、生地もほどよい柔らかさに仕上がっていて、まさしくプレーンという言葉にぴったりのあっさりとした蒸しケーキだったと思う。
 ごちそうさま!
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by figarok492na | 2005-11-27 23:08 | 狂甘糖糖員の記録

『母性という神話』を読了して

 エリザベート・バダンテールの『母性という神話』<ちくま学芸文庫>の再読を終える。

 以前、CLACLA日記『オニジジ化する私?』でも軽く触れたように、バダンテールのこの著作も、明らかに一つのイデオロギーである。
 その論旨はもちろんのこと、史料・資料の選択や選別にいたるまで、それはバダンテールの一貫した主義主張によって行われている。
 だから、「母性」堅持論者からばかりでなく、「中立」を自認する人々からも、様々な批判の言葉が与えられてきたし(この世に在るかぎり、真の「中立」なんてありはしないのであるが)、史料・資料の問題では、確かにさらなる省察・検証が必要とされるだろうと、僕も思う。

 だが、現実社会が強固なイデオロギーで覆われているのであるならば、それと対峙するためには、当然の如く、自覚的・確信犯的な鋭いイデオロギーが必要とされる。
 それは、現実社会を打ち破る突破口である。

 この『母性という神話』は、「女性は自らが産んだ子に対して、天賦のものとしての愛情を持っている」(それがない女性は、ノーマルでない)という考え方、いわゆる「母性」という当為とされてきたイデオロギーを打ち破るための大きな突破口となったのではないか。
 少なくとも、この著作が現実社会に与えた影響を否定することはできないだろう。

 僕がこの『母性という神話』を初めて読んでから、すでに7年もの歳月が流れた。
 果たして、「母性」という神話は、打ち破られ続けているのかどうか。
 いずれにしても、一方の性が圧迫され強固な鋳型にはめられている社会は、もう一方の性もまた、圧迫され強固な鋳型にはめられている社会だということを、忘れてはなるまい。
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by figarok492na | 2005-11-27 11:22 | 雑感