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小説と映画の違い  − 『巨人と玩具』を通して −

 小説と、それを原作として映画化された作品は、全くの別物だ。

 などと書くと、何を今さらと馬鹿にされそうだが、このところ『細雪』や『白痴』と、過去に映画化された小説を読み続けてきて、改めてその感を強めていた。
 さしずめ、今日読み終えた開高健の『巨人と玩具』(『パニック・裸の王様』<新潮文庫>所収)などは、まさしく小説と映画の違いをつまびらかに教えてくれる、優れたテキストだと僕は思う。

 すでに、増村保造監督、白坂依志夫脚本による『巨人と玩具』(1958年、大映東京作品)については、別のところで触れたから、ここではくどくどと繰り返さない。
 原作が、明らかに開高健その人の反映(何しろ、彼はサントリーで広告宣伝業務に携わっていたはずだから)であり、高度経済成長期を目前に控えた日本の資本主義システム・大衆社会に対してはっきりと距離を保った姿勢が貫かれているのに反し、映画のほうは、そうした状況に棹をさし、没入翻弄される人間の姿が、過剰に、シニカルに、なおかつエネルギッシュに描かれている。
 また、原作の「私」と「合田」が、映画化に際して、如何に、川口浩と高松英郎、信欣三、山茶花究らに分離されたかや、原作のエピソードがどう取り入れられ、原作にはないエピソード(主人公の恋愛等)がどう挿入されたかをつぶさに観察すると、なるほど、小説を映画にするということはこういうことなんだ、と手にとるようにわかる。
 いずれにしても、小説と映画の表現の主眼の違い、何に重きを置くかの違いを再認識することができて、本当に興味深かった。
(詳しくは、原作を読み、映画を観てからのお楽しみだけれど、何と言っても、ラストが違う。両者の世界観の違いは、ここにこそ表れていると思う)

 ところで、小説の映画化は、現在でも繰り返し行われている。
 「映像」の強い影響によって、小説の大きな変化(物語の展開や表現方法、文体はもちろん、作家の表現意欲そのものにいたる)が進んでいる現在では、小説の映画化はより「容易」になったと考えられても不思議ではないのだが、それほど、というか、ほとんど成功しているとも思えないのが、実際のところである。
(ただし、これは日本に限ってのことだ)
 その理由としては、シナリオ(脚本化)の弱さ、演出力の弱さを一番に挙げるべきなのだろうが、一方で、先述した小説自体の大きな変化にもその要因があるのではないかと、僕には感じられてならない。
 この点に関しては、いずれまた別の機会に、具体的に考察してみたい。
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by figarok492na | 2007-01-31 12:29 | 雑感

ミスターSのベートーヴェン

 NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団の来日コンサートのライヴ録音を聴いた。
 放送されていたのは、ベートーヴェンの交響曲第1番と第4番、そして第5番の3曲で、確か東京オペラシティかどこかで行われた全曲演奏会のうちの録音だと思う。

 ミスターSの愛称で知られるスクロヴァチェフスキは、研ぎ澄まされた鋭敏な音楽造形でマニアックなファンから熱狂的な支持を受けた指揮者だが、年齢を重ねるにつれて、よくあるように、巨匠的な扱いをされるようになってきた。
 実際、ザールブリュッケン放送交響楽団と録音したブルックナーの交響曲全集は、一般的な評価も高かったし、日本においても、N響や読売日響と印象深い共演を積み重ねている。

 だが、今回のベートーヴェンの演奏に関しては、個人的にはあまりしっくりこなかった。
 はしばしにむらがあるというのか、どうにもすとんと落ちてこないのだ。
 まあ、実演に接した訳ではないので、そこのところも割り引いて考えなければならないのだろうけれど。
(ベートーヴェンではなく、他の作曲家の作品ならまた印象も変わってくるかもしれないし)
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by figarok492na | 2007-01-29 21:31 | クラシック音楽

『白痴』を読み終える

 今日、ドストエフスキーの『白痴』を読み終えた。
 読み終えるのがもったいないと思いつつ、ついつい最後まで読み進めてしまったのだ。

 黒澤明監督の映画でも圧倒的な印象を与えた、悲劇的な結末(しかし、ドストエフスキーの筆致はあくまでも抑制されている)についてくどくどと語る必要はあるまい。
 また、主人公のムイシュキン公爵やナスターシャ、ロゴージンといった登場人物の造形の妙についてはもちろんだが、「あとがき」で訳者の木村浩が記しているように、レーベジェフやイポリート、コーリャ、イヴォルギン将軍、ケルレルをはじめとした傍役の人々の存在感の大きさも見事と評する他ない。
 できれば、もう一度読み直して、作品の持つ厚さを再確認したいと思う。
 読んで、本当によかった。
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by figarok492na | 2007-01-26 13:30 | 雑感

新しい小説のアイデア

 今年に入って、と言うより、昨年末からずっと、全くと言っていいほど新しい小説のアイデアが浮かんでこなくて、困っていた。
(浮かばな時には浮かばない性質のものだから、焦ってみても仕方がない、と自分自身に言い聞かせていたのだけれど、それでも、「大丈夫かいな、自分」という気分にとらわれていたのも事実である)

 ところが、今日の夕方、烏丸のカフェベローチェでカフェオレを飲みながら『白痴』を読んでいる時に、ふと、一人の架空の人物にまつわる中篇か短篇の連作(集)を書いてみるのはどうだろう、と思いついた。
 今のところ、中学高校のエピソードをもとに以前でっちあげた、『フィンランドの森』という小説と、『祭りの準備』という戯曲に関係する「ある女性」が主人公となること、作品ごとに、一人称、三人称、インタビュー形式、日記形式、戯曲形式と、文体を変えていくこと、程度しか決めてはいないものの、ようやく今年前半の創作の目処がついたんじゃないか、という気にもなっている。
 まだまだ海のものとも山のものともはっきりしないが、何とか一つ一つ丁寧に作品化していきたいと思う。
 まずは、全体のプロローグにあたる三人称の作品からとりかかりたい。
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by figarok492na | 2007-01-23 21:09 | 創作に関して

『犬神家の一族』と『細雪』

 本家CLACLA日記にも簡単に触れたことだが、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでいて、もしかしたら横溝正史は、『犬神家の一族』を執筆するに際し、意識無意識はひとまず置くとして、『細雪』の影響を受けたのではないかと強く感じた。
 少なくとも、谷崎潤一郎の作品を愛好した横溝正史*が、その谷崎の傑作『細雪』に全く目を通していなかったとは、僕にはとうてい思えない。
(なお、『細雪』全巻の刊行は、1947年であり、『犬神家の一族』は、1950年から51年にかけて執筆されている)

 それでは、なぜ僕がそのように感じ思ったかといえば、二つの作品にいくつかの共通点があるからである。
 まず、『犬神家の一族』で犬神佐武の生首が置かれる菊人形は、いわゆる「鬼一法眼」の三段目、菊畑の場を模したものだったが、『細雪』で雪子とその結婚相手となる御牧が歌舞伎座で観劇するのが、ちょうどこの菊畑の場面なのだ。
 また、『犬神家の一族』で効果的に利用される琴が、『細雪』でも度々登場するし、『犬神家の一族』のキーパーソンの一人である「松子」という名前は、谷崎潤一郎夫人の名前ともつながる。
 さらに言うならば、「姉妹」という設定や、日本的な「家」制度が重要なモティーフになっているという点でも、『犬神家の一族』と『細雪』は、共通しているのではないだろうか。

 あまりに両作品を結び付けると、それこそ牽強付会のそしりは免れないかもしれないけれど、僕は僕自身の考察が、あながち見当違いではないとも考える。
 適うことならば、識者事情通の方々のご意見ご教示をいただきたいものだ。

 *横溝正史が谷崎作品を愛好し、「意識してか無意識にかその着想を借り来ることがしばしばである」と江戸川乱歩が指摘していることを、横溝の『鬼火』<角川文庫>の解説中で、中島河太郎は記している。
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by figarok492na | 2007-01-19 16:01 | 雑感

声が聴こえる

 『細雪』を読了してすぐに、ドストエフスキーの『白痴』を読み始めた。
 今年はできるだけ古典、それも長篇小説を読んでいこうと考えてのことだが、『細雪』にしろ、『白痴』にしろ、主筋の「強さ」はもちろんのこと、のりしろというか、ちょっと見には余分に思える部分の豊かさ、膨らみが、作品の面白さを増しているということを痛感する。
 ああ、こういう面白さを持った小説を書くことができるならなあ!

 ところで、『白痴』を読んでいて面白いのは、黒澤明の映画の印象が鮮烈だったせいか、登場人物の言葉が、例えば、ムイシュキン公爵の場合は森雅之の、ロゴージンの場合は三船敏郎の、エパンチン将軍の場合は志村喬の、そしてナスターシャの場合は原節子の声で聴こえてくるということだ。
 で、このことをある友人に話してみたところ、やはり彼も同じような体験をしたと語っていた。
 小説の読み方として、適当か適切かはわからないが、聴こえてくるものは聴こえてくるんだから仕方がない。
 まあ、物語のおしまいまで、彼彼女らの声も愉しみたいと思う。
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by figarok492na | 2007-01-18 15:38 | 雑感

今さらだけど、細雪は面白いなあ

 思うところがあって、年明け早々から谷崎潤一郎の『細雪』<新潮文庫>を読み始めた。

 アルバイトに引っ越しの準備が重なって、今晩ようやく中巻まで読了し、最後の下巻を読み出したところだが、高校時代にすぐさま頓挫してしまったことが信じられないくらいの面白さ、愉しさを感じている。

 風俗小説、通俗小説の傑作云々かんぬんという世評はひとまず置くとしても、日本におけるミステリ作家の始祖と目されるだけあって(さらには、映画との浅からぬ関係もあって)、エンタメの骨法が巧みに取り入れられているし、例えば、チェーホフの『三人姉妹』や、ドストエフスキーとの関係性さえも指摘ができそうな物語の展開も感嘆に値する。

 また、いわゆる時局時流には簡単に棹ささない、谷崎の作家としての「在り方」にも強く興味と共感を覚える。

 今さら口にするのも気恥ずかしいが、『細雪』は、日本文学好きには必読の一作だと思う。
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by figarok492na | 2007-01-09 22:10 | 雑感

ベンヤミンではないけれど

 缶詰には缶詰なりの美味しさがあって、シャケ缶、ツナ缶、サンマの蒲焼缶にコンビーフと、しばしば僕も重宝している。
 そう言えば、6ヶ月間のドイツ滞在中には、ハンガリーのビーフシチュー、グラーシュの缶詰や、ニシンの酢漬けの缶詰に、とてもお世話になったんだった。

 だが、そうは言っても、缶詰は缶詰。
 生の食材のうまさ美味しさには、残念ながら及ばない。

 音楽の場合だって、そうだと思う。

 確かに、音楽の缶詰(CDや放送用録音)には、音楽の缶詰なりの愉しさがあって、どう考えたって、それらを手放すことなんてできはしないのだけれど、基本はやっぱり生なんだよなあ、というのも、嘘偽りない本音なのである。
 少なくとも、生の凄さを知っているからこそ、缶詰のよさだってわかるんじゃないのだろうか?

 今日、NHK・FMで、ファジル・サイのピアノ・リサイタルのライヴ録音を聴きながら、ふとそんなことを考えた。
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by figarok492na | 2007-01-08 21:46 | クラシック音楽

聴き比べの愉しみ

 フェリックス・ワインガルトナーの指揮したベートーヴェンのCDを、何度も繰り返して聴いた後、今度はジョヴァンニ・アントニーニがバーゼル室内管弦楽団を指揮したベートーヴェンの交響曲第1番と第2番のCD<エームス>や、ダニエル・ハーディングがドイツ・カンマー・フィルを指揮したベートーヴェンの序曲集のCD<ヴァージン>を聴くことにする。

 いずれも、いわゆるピリオド奏法を援用した、クリアでスマートな演奏で、ワインガルトナーの録音の持つ古風な響きとは、明らかな「違い」を聴きとることができる。

 だが一方で、ベートーヴェンの音楽の本質、劇性、面白さといったものを「共有」していることもまた事実で、こうした点を確認することも、聴き比べの愉しみだということに気がつく。

 単に、甲乙をつけることが、聴き比べの愉しみではないということなのだ。
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by figarok492na | 2007-01-07 13:39 | クラシック音楽

SPレコードと私

 一昨日購入した、フェリックス・ワインガルトナーの指揮するベートーヴェンの交響曲第1番と第2番他のCD<ナクソス・ヒストリカル>のCDを繰り返し聴いている。
(詳しくは、こちらCLACLA日記をご参照のほど)

 ところで、このCDはSPレコードを復刻したものだが、僕がSPレコードに直接触れたのは、高校生になってしばらく経ってからのことだった。
 たまたま、所属していた放送部の部室の整理をしていたところ、戸棚の中から、トマス・ビーチャム指揮ロンドン・フィルの演奏によるシューベルトの未完成交響曲や、レオ・ブレッヒ指揮ベルリン・フィルの演奏によるワーグナーの『タンホイザー』の大行進曲といった、クラシックのSPレコードが何枚かみつかったのである。
 ちょうど具合のよいことに、78回転に調節が可能なポータブルプレイヤーがあって、それでSPレコードに親しむことができたのだ。
 当然のことながら、音の古さはいかんともしがたかったのだけれど、最新の録音にはない独特の世界を味わえて、とても嬉しかったことも事実であった。
 また、ちょうど同じ頃始めた中古LPあさりの中で、ブルーノ・ワルター指揮ロンドン交響楽団の演奏によるハイドンの交響曲第86番のSPレコードを掘り出して、部室で繰り返し聴いたのも今ではいい思い出になっている。
 その後は、地元長崎から京都に移ったりで、SPレコードとは縁遠くなってしまったが、機会があれば、また生のSPレコードの音に接してみたいと強く思う。

 ゆめゆめ骨董趣味と笑うなかれ。
 SPレコードからだって、学ぶところは数限りなくあるはずなのだから。
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by figarok492na | 2007-01-05 22:03 | クラシック音楽