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なんだか喉の調子がおかしいぞ!(CLACLA日記)

 今日で2月も終わり。
 2009年も残すところあと10ヶ月となってしまった。
 一日一日を大切にしていかなければ。

 いいお天気、いい青空になる。
 と、言うことで、本当なら絶好の外出日和だったのだけれど…。

 気温も上昇し、穏やかな一日になる。
 と、言うことで、ますます絶好の外出日和だったのだけれど…。

 午前のうちに、毎週恒例の洗濯をすませる。
 ついでに、掃除機をかける。

 正午過ぎには、浴室とトイレの掃除をすませ、キッチンまわりの拭き掃除もすませる。

 アルテミス・カルテットの演奏したドヴォルザークとヤナーチェクの弦楽4重奏曲集と、バーバラ・ボニーの歌ったオペレッタ・アルバムを聴く。
 詳しくは、前々回前回の記事、それぞれのCDレビューをご参照のほど。
(なんとか2月中にアップすることができた)

 そういえば、今年の小澤征爾音楽塾のフンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』の出演者に、バーバラ・ボニーが名を連ねているが、もしかして彼女がグレーテルを歌うのだろうか?
 確かに舞台と録音とは別物で、杉村春子の『女の一生』や森光子の『放浪記』という先例もあるにはあるが、でもやっぱり歌劇とストレートプレイじゃ大きな違いがあるだろう。
 そう、声、声そのものの問題だ。
 少なくとも、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターと組んだジェフリー・テイト盤に慣れ親しんだ人間には、今のボニーがグレーテルを歌うのには相当厳しいものがあるように感じられてならない。
(本来ならば、今のボニーであれば、『ばらの騎士』を歌っても悪くないと思うのだけれど。今度は、小澤さんで『ばらの騎士』は厳しいものがあるだろうからなあ…)

 日付が変わるあたりから、いがらっぽいというか腫れぼったいというか、どうにも喉の調子がおかしくなる。
 はじめは、昨日の仕事先で隣の席だった男性が大きな咳を何度かしていたこともあって風邪ではないかと考えたのだが、いやいや花粉症が急激に悪化しているのではないかと今夜になって思い始めた。
 いずれにしても、うんざり!!

 それでも夕方前に外出し、京都芸術センターで用件をすませた。

 帰宅後、チェチーリア・バルトリのコンピレーションアルバムの中から、モーツァルトのアリアやカロ・ミオ・ベンなどを聴く。

 夕飯後、アマデウス・ウィンズの演奏した、モーツァルトの管楽器のためのディヴェルティメント集を聴く。

 小林信彦の『天才伝説 横山やすし』<文春文庫>をつまみ再読し、ついでに『人生は五十一から』<同>に収められた『「天才伝説 横山やすし」の内幕』も再読しておく。

 2月の創作活動に関する総括を行う。
 全くもって、あきませんなあ。

 世の中、たがが外れまくっている。
 いや、地軸がぶれまくっていると記したほうがよいか。

 俳優の佐竹明夫が亡くなった。83歳。
 現代劇のほか、『水戸黄門』など時代劇でも活躍した。
 特に、善良だが気弱な大名、商人、庄屋などを演じさせたら右に出る人はいなかったと思う。
 正直、佐竹さんがまだご存命だったこと、そしてまだ83歳だったことに僕は驚いた。
 世代的にはもう少し前、原善美あたりと同じだと勝手に思っていたのだ。
 深く、深く、深く黙祷。
(しかし、牟田悌三、渥美國泰、佐竹明夫の死は、ある意味こたえるなあ)

 今日は、フルタの窯焼きクッキー特濃ミルクを食す。
 近くのスーパーで、税込み99円だったもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 そして、来月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-02-28 21:53 | CLACLA日記

バーバラ・ボニーが歌ったオペレッタ・アルバム

 ☆オペレッタ・アルバム

  バーバラ・ボニー(ソプラノ)
  ロナルド・シュナイダー(ピアノ)
  2002年、デジタル録音
  <DECCA>473 473-2


 あとから来たのに追い越され、泣くのがいやならさあ歩け。
 という、高度経済成長期根性丸出しの言葉は、おなじみ『水戸黄門』の主題歌「ああ人生に涙あり」の一節だ。
 と、言って、なにも藍川由美が歌った木下忠司作品集のレビューをここで始めようというわけじゃない。
 これはいわゆる話のマクラのマクラ、序の口序の入りである。
 で、この一節をよくよく考えてみれば、追われる側もそうだけど、あとから歩いている側も先行く者を追い越そうと必死ということで、これまた相当大変ということになる。

 そういえば、大塚愛がデビューしたときは、なんだこのaikoのばったもんはと鼻白み、aikoが異性との恋や愛を歌いながら同性に目を向けているのに比べて、大塚愛(を売ろうとする側)が同性に目を向けたふりをしながらちらちらと異性に視線をやっているように見えて仕方のない大人の男のやり口をやっていることにうんざりしたものだけれど、その後彼女がなんとか自分の位置を保とうと歌番組であくせくばたつく姿を観るに及んで、ああ、この子も頑張っているんだなあと後行者の苦しみを覚えるようになった。
(意識無意識は別にして、人としての計算がよく働いているのは、明らかにaikoのほうだろう、たぶん、きっと)

 その点、先行者と後行者の関係は厳然とあったとしても、また詰める革袋は似通ったものだったとしても、本来の個性の違いが明瞭でありさえすれば、逃げ切るだの、追い越すだのとはなから争う必要はない。
 ルチア・ポップとバーバラ・ボニーとの関係は、そのよい見本ではないか。
 確かに、透明感のある声質の持ったソプラノ歌手という意味で、両者は共通していて、実際今回取り上げるオペレッタ・アルバムをはじめ、ボニー(を売ろうとする側)がルチア・ポップを意識したとおぼしきCDを少なからず録音していることは事実である。
 けれど、かなたルチア・ポップは磨かれてなめされたような声が特徴だし、こなたバーバラ・ボニーはどちらかといえばナチュラルで柔らかな歌い口が魅力の歌手であって、どちらが上でどちらが下だなどと取り立てて軍配を挙げる必要もないだろう。
 それこそ、なすにまかせよ、ではなく好みにまかせよだ。

 さて、このバーバラ・ボニーのオペレッタ・アルバムだけど。
 正直言って、21世紀に入ってからのボニーの声の衰えは残念ながらいかんともし難い。
 むろん、凡百の歌い手たちに比較すれば、まだまだ澄んで伸びる歌声を披歴しているのだが、いかんせん若い頃の彼女の歌声を承知している分(僕は、CDばかりでなく、ジョン・エリオット・ガーディナーとハンブルク北ドイツ放送交響楽団のマーラーの交響曲第4番で、生の彼女の歌声に接しているのだ)、高音部その他、一層辛く感じられてしまうのである。
 それでも、『メリー・ウィドウ』のヴィリアの歌(トラック14)や、リート調の同じくレハールの「野ばら」(トラック15)、ツェラーの「桜の花の咲いた頃」(トラック6)などでは、彼女の声や歌唱の魅力を存分に味わえるし、おなじみアンネン・ポルカの旋律にのせたヨハン・シュトラウスの「ほろ酔い気分」(トラック8)では、とうのたち具合の面白さを愉しむことができるので、購入してよかったとは思っているが。
 それでも、このアルバムが少なくとも3、4年は早く録音されていればという想いはどうしても消えない。

 それにしても。
 歩き続けようが、立ち止まろうが、生ある者は必ず老い、そして死んでいくのだ。
 ピアノ伴奏によるこのアルバムを聴いていると、一見華美で賑やかに見えるオペレッタの世界の裏には、そうした人生への哀感や諦念が詰まっているような気がして、僕には仕方がない。
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by figarok492na | 2009-02-28 14:57 | CDレビュー

アルテミス・カルテットの演奏したドヴォルザークとヤナーチェク

 ☆ドヴォルザーク&ヤナーチェク:弦楽4重奏曲集

  アルテミス・カルテット
  2003、04年、デジタル録音
  <VIRGIN>0946 353399 2 5


 ADOMIRATION(称賛)とは、他人が自分に似ていることを馬鹿ていねいに評価すること、とは、町田康の『夫婦茶碗』の解説で筒井康隆が記した言葉、ではなく、引用したビアスの『悪魔の辞典』中の一項目だが、アルテミス・カルテットの演奏したドヴォルザークの弦楽4重奏曲第13番を聴きながら、僕はふとそのことを思い出した。
 もちろん、他人が自分に似ているからといって、誰もが相手を称賛するわけではない。
 あまりに似すぎていて近親憎悪が発生、というケースはざらにあるし、場合によっては、彼と我との類似をたびたび指摘されても、「そんなバナナ」などと本気で応える無意識過剰の人間だって中にはいないともかぎらない。
 結局、似たものそっくりさんを称賛できるというのは、相手に対する尊敬の念か優越感のどちらか、もしくはその両方が、意識無意識に称賛する側の人間に存在するのではないか。
 果たして、ブラームスがドヴォルザークを高く評価した大きな理由というのは、そのうちのいずれに当てはまるのだろう。
 もしかしたらブラームスは、ドヴォルザークの似ている部分ばかりではなく、似て非なるところにも充分目をやっていたのかもしれないが。
 けれど、このアルテミス・カルテットの演奏を聴けば、やっぱりドヴォルザークってブラームスの影響が大きいんだなとは思ってしまう。
 ただし、だからと言って、僕はドヴォルザークの弦楽4重奏曲第13番がブラームスの亜流、エピゴーネンなどと評するつもりは毛頭ない。
 それどころか、有名な第12番「アメリカ」に比してポピュラリティには欠けるものの、この作品にも、いわゆるボヘミアの郷愁を想起させる美しくてノスタルジーに富んだメロディや、ドヴォルザークの粘っこくてどろどろとした性質気質がそこここにうかがえる。
 それに、先行者であるアルバン・ベルク・カルテットの技と覇気、ハーゲン・カルテットの技と鬼気に対して、技と熱気のアルテミス・カルテットだけに、それこそ切れば血が噴き出るような演奏に仕上がっているとも思う。
 だが、それでもなお、作品の構成や骨格の確かさがはっきりと示されていることに間違いはなく、僕はそこに先述したようなブラームスとの関係性を強く感じてしまうのだ。
(もう一ついえば、内面の粘っこいものやどろどろとしたものもまた、実はブラームスと相通じ合うものではないかと僕は思ったりもするが)
 一方、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第2番「ないしょの手紙」は、老いた作曲家のどうにもならない感情が音楽としてしたためられた作品だが、アルテミス・カルテットはそうした作品の持つ情熱や若さを力一杯表現しきっている。
 ドヴォルザーク同様、これまた民族性や民俗性を求めるむきには喰い足りなさや味気なさが残るかもしれないが、個人的には音楽の普遍的な本質をとらえた充分十二分に納得のいく演奏だと思う。
 いずれにしても、弦楽4重奏曲好き、室内楽好きには大いに推薦したい。

 って、僕とアルテミス・カルテットの造り出した音楽って、どこか似ているんだろうか?
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by figarok492na | 2009-02-28 12:38 | CDレビュー

寒さが戻る(CLACLA日記)

 どんよりとした感じの強い一日。
 途中、青空が見えたりもしたが。

 気温は再び下がり、寒さがそれなりに厳しくなる。
 その分、花粉症の出はそこそこにとどまってくれたが。

 今日も、朝から夕方までパソコン相手の仕事を淡々とこなす。
 今日は、隣の席の若い男性に注意する形になってしまって、ちょっと後味が悪い。
 仕事そのものに関することなので、注意そのものは仕方なかったとはいえ。
 あと、ある人と話をして、全く関係のない人ではないことが判明し驚く。

 帰りがけ、京都芸術センターに寄って用件をすませる。

 夕飯後、コリン・デイヴィス指揮ザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンの演奏した、ベルリオーズの序曲集のCDを聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 今日は、近くのスーパーで税込み75円になっていた、マーラーカオを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 麻生おろしが加速化しているというが。
 なんともかとも。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-02-27 21:35 | CLACLA日記

実に音楽的なベルリオーズの序曲集

 ☆ベルリオーズ:序曲集

  コリン・デイヴィス指揮ザクセン・シュターツカペレ・ドレスデン
  1997年、デジタル録音
  <RCA>09026-68790-2


 ドイツ文学者で、音楽評論家としても知られる岩下眞好の熱烈な賞賛と熱心な支持にもかかわらず、この国におけるコリン・デイヴィスという指揮者の評価は、今一つ高まらない。
 もちろん、クラシック音楽好き、特にオーケストラ音楽好きの人間ならば、ベルリオーズやシベリウスのスペシャリストとしてのコリン・デイヴィスの名前は一応記憶にあるはずで、最近のリストラ策でメジャー・レーベルからの新譜リリースはぱったり絶えてしまったけれど、現在でもロンドン交響楽団やザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンとのライヴ録音は定期的に発売されている。
 それでも、あれやこれやの巨匠連と肩を並べるにいたっていないのは、もしかしたら、まさしくジェントルオメという言葉がぴったりと合うそのイギリス紳士的な風貌が災いしているのではないかとついつい思ってしまいたくなる。
 僕自身は、バイエルン放送交響楽団と録音したベートーヴェンの交響曲第9番だけはしっくりとこなかったものの、大阪のザ・シンフォニーホールとケルンのフィルハーモニーで聴いたザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンとのコンサートや、ウィーン国立歌劇場で観聴きしたモーツァルトの『クレタの王イドメネオ』という、都合三度の実演全てにおいて、「よい音楽に接することができた」と大いに満足することができた。
 中でも、ブラームスの交響曲を中心とした二回のコンサートは、軽重のバランスのよくとれたザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンの魅力も加味されて、よい意味で安定感抜群の内容だったし、ワーグナーばりのジークフリート・イェルザレムの気張ったタイトルロールには辟易したとはいえ、『イドメネオ』も、コリン・デイヴィスの劇場感覚と音楽把握の確かさが存分に示された公演だったように覚えている。

 今回取り上げるベルリオーズの序曲集も、先述したようなコリン・デイヴィスとザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンとののコンビネーションのよさが十二分に発揮された録音となっているのではないだろうか。
 このCDには、有名なローマの謝肉祭とちょっと有名な海賊のほか、宗教裁判官、ウェーヴァリー、リア王、『ベアトリスとベネディクト』、『ベンヴェヌート・チェッリーニ』の計8曲の序曲が収められているが、音楽そのものはどれをとっても同工異曲、というか、ベルリオーズの音楽に対する根源的発想のヴァリエーションで、よくも悪くも極端には変わり映えがするものではない。
 ただ、そうした作品全てに通底するベルリオーズの個性や劇性を適切に押さえつつも、コリン・デイヴィスは個々の作品の性質の違いや、一個の作品内の表情の変化を巧みに描き分けていると評することができる。
 また、例えばピリオド・スタイルの雄、ロジャー・ノリントンとその手兵ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏した宗教裁判官の録音を聴けば、ピリオド楽器のすっきりとした響きの中からベルリオーズの持つ毒っ気のようなものが滲み出てくるように感じられるのに比して、コリン・デイヴィスのアルバムでは、ベルリオーズのクラシック性(古典派的、と記すよりも、あえてこういう言葉を使ってみたくなる)がよりはっきりと表れているように思える。
 そして、そこに、音色という意味でも、アンサンブルという意味でも非常に「音楽的」なザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンの存在が大きく貢献していることは、改めて言うまでもあるまい。
 ベルリオーズの序曲を繰り返して愉しみたいという方には、フルプライスでも安心してお薦めできる一枚である。

 そうそう、このCDの最大のネックは、RCAレーベルのつくり物めいてざらついた録音だと、僕は考える。
 個人的には、聴いているうちにだいぶん慣れてきたけれど、それでも、ぺらくてざらくて薄い音だなという印象はどうしても払拭しきれていない。
 ライナーやミュンシュの古いステレオ録音から、マイケル・ティルソン・トーマスの新しい録音にいたるまで、概してRCAレーベルの音質には親しみが持てないでいるが、せっかくソニー・クラシカルといっしょになったのだから、そろそろ悪しき伝統から脱却してはもらえないものか。
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by figarok492na | 2009-02-27 21:10 | CDレビュー

今日もくしゃみが出るわ出るわ(CLACLA日記)

 いいお天気、いい青空になる。

 気温もいくぶん上昇し、そこそこの寒さ…。
 と、言うことで、さらに花粉の勢いは増し、目の周りはしばしばするわ、くしゃみは出るわ出るわ。
 えらいこっちゃ!

 朝から夕方まで、パソコン相手の仕事を淡々とこなす。
 花粉禍に見舞われつつも。

 帰りがけ、四条通の小さな書店で、週刊文春の小林信彦の連載エッセイを立ち読みする。
 文章の終わりのほうで、山口智充を高く評価する言葉があり、ちょうど仕事の合間に、底意地のある高田純次の軽佻浮薄さと、底意地のよい(人柄のよしあしとはまた別)ぐっさんのかろみについて考えていたこともあって、ちょっと嬉しかった。
(そういえば、以前小林さんは最近の笑いのブームの中で二人だけが飛び抜けているといった趣旨の言葉を書いていたはずで、僕はぐっさんか友近のどちらかはそのうちの一人だろうと予測していたのだけれど、今回二人の名前が同時に記されていて、やっぱりそうだったかと納得した)

 余談だけど、DonDokoDonつながりでいえば、平畑啓史も役どころによってはけっこう栄えるんじゃないかと僕は思う。
 そこら辺、さすがは三谷幸喜で、ぐっさんとの兼ね合いでの出演だったとはいえ、『新撰組!』では平畑さんの個性に合った役柄が割り振られていたのではないか。
 あと、セミシリアスな刑事ドラマで追い詰められてしまう末端の巡査とか、何かの犯人(銀行強盗じゃありきたりだな)が籠城した中華料理店で律儀に餃子を焼き続けるアルバイトの店員とか面白そうだ。

 帰宅後、『思想のドラマトゥルギー』のつまみ再読を行う。

 夕飯後、シャーンドル・ヴェーグの指揮したモーツァルトのディヴェルティメント集のCDを聴く。

 さらに『思想のドラマトゥルギー』のつまみ再読を行ったほか、小林信彦の一連のエッセイをとばし再読するも、先述した箇所を見つけることはできず。
 あれは、図書館で借りた分で読んだものだったかな。

 今日も、甘いものは食さず。

 飲み屋でおやじがべしゃってるんじゃないんだぞ!
 と、叱りつけたくなるような●●がいる。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-02-26 21:02 | CLACLA日記

くしゃみが出るわ出るわ(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気の一日。
 ちょっとずつ青空は見え始めていたが、でも概してそう。

 気温はそれなりに上昇し、むしっとした感じも強い。
 その分、花粉の勢いが激しく、くしゃみが出るわ出るわ。
 あーのねーおっさん、わしゃかなわんよう…。

 今日は、仕事はお休み。
 と、言うことで、昨日(というか、正式には日付は今日)の晩相当夜更かしして、あれやこれやとかたづける。
 ついでに、ネット・ラジオでエリーナ・ガランチャの歌うモーツァルトのアリアのライヴ録音を聴いたが、大好きな曲が目白押しで大いに満足した。

 それでも、午前のうちに掃除機をかける。

 ベルリン・フィル8重奏団の演奏した、ブラームスの弦楽5重奏曲第1番を聴く。

 正午過ぎに外出し、郵便局や銀行をまわったほか、あちらこちらで生活必需品を買い込む。

 帰宅後、書類の整理を断行する。

 アルテミス・カルテットの演奏したドヴォルザークとヤナーチェクの弦楽4重奏曲集、バーバラ・ボニーの歌ったオペレッタ・アルバム、シャーンドル・ヴェーグの指揮したモーツァルトのディヴェルティメント集を続けて聴く。

 『思想のドラマトゥルギー』のつまみ再読を行う。

 夕方になって、浴室とトイレの掃除、キッチンまわりの拭き掃除をすませる。

 夕飯後、アンドレ・プレヴィンの指揮したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』と『ドン・キホーテ』を聴く。

 さらに『思想のドラマトゥルギー』をつまみ再読したほか、リヒャルト・シュトラウスの『ドン・キホーテ』がらみで、山田由美子の『第三帝国のR・シュトラウス』<世界思想社>のドン・キホーテに関係した部分をつまみ再読する。

 『カルタ遊び』の25の下書きとノート書き、PCへの打ち込みを少し進める。

 今日も、甘いものは食さず。

 オバマ大統領と麻生首相が会談を行ったそうだが、あえて何かを記す気にはならず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-02-25 21:21 | CLACLA日記

剃刀佐次郎御用帖より(朗読のための小品)

「旦那、それなんですがね。あたし見ちゃったんですよ」
 と、角蔵が赤くなった鼻の頭を左の人差し指でせわしなく掻きながら言った。
「見た、何を見たと言うのだ」
 と、千田(ちだ)万兵衛が聞き返した。
「旦那、絶対に他人(ひと)には内緒ですよ、ここかぎり」
 角蔵はそう声を潜めると、
「佐々木の旦那がね、これと歩いてたんです、これと」
と、右の小指を立てて見せた。
「ほう、佐々木が女と」
「ええ、それも小股の切れ上がっためっぽういい女でしてね、あたしゃ驚いたのなんの」
「角蔵、俺が女と歩いていて何が悪い」
 突然、衝立の向こうから佐々木佐次郎が顔を出した。
「うわっ、びっくりしたなあもう。いるならいるで一言そうおっしゃって下さいよ」
「俺がいて悪いか」
「ほら、そうやってすぐ凄むんだから。ねえ、旦那」
 そう言って、角蔵は万兵衛に助けを求めた。
「角蔵ではないが、わしもお主が女といっしょに歩いているとはちとげせんのだがな」
「千田さん、あれは妹ですよ」
「妹」
「妹とな」
「ええ、妹です。腹違いじゃありますがね」
 と、佐次郎は付け加えると、少し照れくさそうな顔をした。
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by figarok492na | 2009-02-25 15:56 | 創作に関して

今そこにある花粉症の危機!(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日だった。

 気温は、それなりに上昇。
 むわっとした感じ強い。

 で、雨降りというのに花粉の飛散は激しいらしく、くしゃみの連発に何度も襲われる。
 ああ、花粉症の本格化が迫っている。
 あな恐ろしや。

 朝から夕方まで、パソコン相手の仕事を淡々とこなす。
 くしゃみは出たが、淡々と。

 仕事が終わったあと、ジュージヤ四条店と京都芸術センターに寄って、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。

 夕飯後、コリン・デイヴィスの指揮したベルリオーズの序曲集を聴き、続けて、リカルド・シャイーの指揮したワーグナーの管弦楽曲集を聴く。

 『思想のドラマトゥルギー』のつまみ再読をする。
 例えば、八の平衡感覚としての「俗」の、「笑いのある芸術、その最初にして最後なる民話劇」など、先日観た『永遠のこどもたち』ともつながるスペインの民族性や民俗性に関する考察が為されていて、実に興味深い。
 また、タイトル通り、思想だけではなく、ドラマトゥルギーという点でも示唆するところは大で、演劇関係者にとっても学ぶところの少なくない一冊ではないかとも思う。

 今後の創作活動について考える。

 今日は、ママの手作り焼きプリンを食す。
 ローソン100円ストアで、50円引きになっていたもの。
 ごちそうさま!

 麻生内閣の支持率が下落し続けている。
 当然のことといえば当然のことか…。

 自分自身の為したいこと、為すべきことをしっかり為していかなければと強く思う。
 まずは、そこからだ。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-02-24 22:27 | CLACLA日記

仕事を淡々とこなした日(CLACLA日記)

 なんだかどんよりとした感じのお天気が続く。
 少しは青空も見えていたが、概して曇天だった。

 寒さは、それなりに。
 それでも花粉の勢いはとまらず、時折くしゃみを連発してしまう。
 やれやれ。

 休み明け。
 朝から夕方まで、パソコン相手の仕事を淡々とこなす。
 本当に淡々とこなした。

 帰宅後、シャーンドル・ヴェーグの指揮したモーツァルトのディヴェルティメント集を聴き、夕飯後、アンドレ・プレヴィンの指揮したリヒャルト・シュトラウスのドン・ファンとドン・キホーテを聴く。

 で、しばらく間を置いて、今はネット・ラジオで、ダニエル・ハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団他の演奏したマーラーの交響曲第3番のライヴ録音を聴いているところ。
 そういえば、ダニエル・ハーディングは間もなく新日本フィルに客演する予定じゃなかったっけ。

 林達夫と久野収の対談集『思想のドラマツゥルギー』<平凡社ライブラリー>のつまみ再読を行う。
 何度読んでも学ぶところの多い一冊だ。

 今日も甘いものは食さず。

 滝田洋二郎監督の『おくりびと』がアカデミー・外国語映画賞を、加藤久仁生監督の『つみきのいえ』が同じくアカデミー・短編アニメーション賞を、それぞれ獲得したという。
 おめでとうございます。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-02-23 21:26 | CLACLA日記