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2009年3月最終日(CLACLA日記)

 3月31日。
 今日で、2009年3月も終わりである。
 ああ。

 いいお天気、いい青空が続く。

 気温は、そこそこか。
 まだまだ肌寒い感じも残るが、今日は花粉症の出がちょと多めのようで、目の周りがしばしばしたり、身体がなんだか重かったりした。
 やれやれ。

 昨晩、寝る前に古今亭志ん朝の『寝床』&『刀屋』を聴く。
 いやあ、何度聴いてもほれぼれするな。
 まさしく、玄人の藝だ。

 午前のうちに、掃除機をかける。

 シェロモ・ミンツのヴァイオリンとクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルの演奏した、ブラームスのヴァイオリン協奏曲&大学祝典序曲を聴く。

 『スペイン戦争』を読了する。
 単に懐かしいだけではなく、いろいろと刺激を受けるところあり。
 スペイン戦争(内戦)もまた、過去の出来事ではないと痛感する。

 資料類の整理やキッチンまわりの拭き掃除ののち、お昼過ぎに外出する。

 まず四条通の文具ショップ・TAGでセールのリング・ノートを購入してから、京都芸術センターへ行き用件をすませる。

 で、少し疲れたこともあってどうしようか迷ったが、お天気がいいこともあり、歩いて河原町へ。
 途中、京都文化博物館に寄って、別館ホールで京都フィル室内合奏団のリハーサルを聴いたりもした。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
(あと、紅茶専門店セレクトショップものぞいたが、とりたてて書くことはなし)

 河原町では、Avisをのぞき、100円ショップで買い物をした程度。
 くたびれ具合がひどいので、バスで帰る。

 帰宅後、『カルタ遊び』に関する作業を行う。

 夕飯後、ジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィル他の演奏による、リヒャルト・シュトラウスの歌劇『ナクソス島のアリアドネ』をつまみ聴きする。

 吉田秀和の『世界の指揮者』<ちくま文庫>のつまみ再読を行う。

 『カルタ遊び』に関する作業を行ったほか、書類資料類の整理を再び断行した。

 今日は、タンゴのクッキーチョコを食す。
 こってりとしたクッキー入りの板チョコなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 金龍(きんりゅう)さんの愛称で親しまれた、俳優の金田龍之介が亡くなった。80歳。
 新派出身で、舞台、映画、テレビドラマなどで活躍した。
 個人的には、『江戸を斬る』の鳥居耀蔵と、『犬神家の一族』の犬神寅之助などが特に強く印象に残る。
 深く、深く、深く、深く黙祷。
 それにしても、牟田悌三、渥美國泰、佐竹明夫、そして金龍さんまで…。
 つらいなあ。

 落語家の露の五郎兵衛も亡くなった。77歳。
 露の五郎の名前のほうが、通りがよいのではないか?
 正直、ねっとり陰湿な語り口(怪談が得意とはいえ)で、あまり好きな噺家さんではなかった。
 黙祷。

 北朝鮮のミサイル問題で放言した政府筋とはいったいだれなのだろう。
 検察情報は平気でリークするくせに、こういうことには気がねする。
 だいたい、政府筋とか政府関係者とか検察関係者って言葉も、なんとも怪しい。
 それじゃあ、僕が匿名で京都の小劇場界について語ったら京都小劇場界関係者となるのだろうか。
 なんだかなあ。

 コンフォルミスト!
 ある人物に、今一番投げつけたい言葉だ。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-03-31 22:29 | CLACLA日記

オーケストラの日、京フィル室内合奏団のリハーサルを聴く

 外出時、何気なく京都文化博物館に寄ったところ、別館ホールで何やら楽士たちがリハーサルをやっている。
 あっ、そうか。
 はたと思い出した。
 今日3月31日はオーケストラの日、ここ京都文化博物館の別館ホールでも、京都フィル室内合奏団のメンバーによるコンサートが開催されるんだった。
 舞台には、ヴァイオリン、コントラバス、ホルン、ファゴット、クラリネットの面々が並び、コントラバス奏者の男性が、ここはこうこうあそこはああああと、てきぱきだんどりをつけている。
 で、「死刑の…」というコントラバス氏の言葉でなんの曲だかぴんときた。
 リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』の室内合奏版『もう一人のティル・オイレンシュピーゲル』だ。
 細・れ、中断中断でもかまわないから音を鳴らしてくれないかなあと待っていると、案の定、あの「昔々…」という旋律が流れ出し、なんとそのまま通しでやってくれた!
 ブラボー!!
 まあ、元来の交響詩に比べて音が細いのは仕方のないこと。
 反面、リヒャルト・シュトラウスがメロディストとしても優れていたことが再確認できたのは、リヒャルト・シュトラウシアンとしては嬉しく愉しいことだった。
 演奏もヴァイオリンの女性をはじめ、なかなかのものではなかったか。
 きっと本番ではいい仕上がりを見せる(聴かせる)だろうと思う。
(ただ、個人的には「死刑執行」直前の、たあたあたあたあたあーたたの部分がちょっと卒く聴こえてしまったことは記しておきたい。これは「編成」の問題ではなく、「解釈」の問題だろうから)
 それと、とても腹立たしかったのは、演奏が終わる少し前、アジア系とおぼしきカップルを引き連れた観光コーディネーターかタクシーの運転手かのおっさんが、大きな声でがなり始めたこと。
 こういう人物には、当然のことながら「練習中につきお静かに」という注意書きも目に入らない。
 それで、相手の顔を見据えて「しっ」と音を立てたが、そんなことなどどこ吹く風。
 カップルのほうがすまなさそうな顔をする始末。
 縁なき衆生は度し難し。
 死して屍拾う者なし、じゃない、死もまた社会奉仕と痛感した次第。
 それにしても、やっぱり生の音楽っていいもんですねえ!
(「だったら、コンサートも聴けよ!」、と呼ぶ声あり。返す言葉もない…)
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by figarok492na | 2009-03-31 18:02 | コンサート記録

高槻には行けなかった(CLACLA日記)

 いいお天気、いい青空の一日。

 気温は昨日より上昇するも、まだまだ吹く風は冷たい。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけ下さいませ。

 今日は花粉症が少し出て、目のまわりがなんとなくしばしばして仕方がなかった。
 やれやれ。

 間もなく4月ということもあり、午前中は部屋の片づけや書類資料類の整理にいそしみ、正午を過ぎてキッチンまわりの拭き掃除をすませる。

 『スペイン戦争』を読み進める。

 ペーテル・ヤブロンスキのピアノとペーター・マーク指揮フィルハーモニア管弦楽団による、チャイコフスキーとグリーグのピアノ協奏曲を聴く。

 お昼過ぎに外出し、阪急で高槻まで足を運び、彼の地の中古CDショップを久しぶりにのぞいてみようと画策したのだが、手持ちの切符が土休日しか使えないものであることが発覚し、高槻行きを断念せざるをえなくなってしまう。
(今から10年以上も前になるが、僕は高槻のある学習塾の事務職員を一年間ほどやっていたこともあり、この町にはちょっとだけ馴染みがあるのである。そういえば、この学習塾は今相当大変なことになっていると、人づてに聞いたのだった。むべなるかな…)

 仕方がないので、近くのブックファーストで立ち読みをし、夕飯用の買い物をすませて帰宅する。

 帰宅後、バーバラ・ボニーの歌うフランツ・クサーヴァー・モーツァルトの歌曲集を聴く。
 ちなみに、フランツ・クサーヴァーはあのヴォルフガング・アマデウスの子息にあたるが、父親と厳しく比較などしなければ、それなりに聴き心地のよい音楽だと僕は思う。

 『スペイン戦争』を読み進める。

 『カルタ遊び』の28の下書きとPCへの打ち込みを終える。
 原稿用紙、92枚分になった。
(今後の展開の一端に関しては、前回の記事をご参照のほど)

 夕飯後、ズデニェク・ティルシャルのホルンとズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィル合奏団によるモーツァルトのホルン協奏曲集と、ジェーン・グローヴァー指揮ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズによる同じくモーツァルトのバレエ音楽『レ・プティ・リアン』&『イドメネオ』のバレエ音楽を続けて聴く。

 『スペイン戦争』をさらに読み進めたほか、林光さんの『私の戦後音楽史 楽士の席から』<平凡社ライブラリー>のつまみ再読を行う。
 昨日NHK・FMの日曜喫茶室で、林さんと日下武史の昔話をたっぷり愉しんだからだけど、実はあそこで語られたことのエッセンスは、この本の「10 予兆」などにしっかり記されているのである。
(この本を読めば、林さんのずばぬけた「劇場感覚」がどこから生み出されたものかがよくわかると、僕は思う。そして、この本は「今の時代」を生きる演劇人にとって「マスト」の本だとも、僕は思う)

 今日は、甘いものは食さず。

 作曲家のモーリス・ジャールが亡くなった。84歳。
 『アラビアのロレンス』や『ドクトル・ジバゴ』など、映画音楽などで知られた。
 深く、深く、深く黙祷。

 何度でも繰り返すけれど、僕は小沢一郎や民主党の支持者ではない。
 そして、罪は罪、罰は罰だと考える人間でもある。
 だが、何がなんでも小沢一郎を追い落とそうとする政府与党やらマスコミやらのやり口には、どうにも胡散臭いものを感じてしまうことも事実だ。
 だいたい、前原あたりがしゃしゃり出てくること自体、怪しい話じゃないか。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-03-30 22:28 | CLACLA日記

またぞろ『カルタ遊び』メモ

 28まで書き終えて、原稿用紙92枚分となった『カルタ遊び』だが、またぞろ登場人物が増えてしまった。
 と、言うことで、備忘録を兼ねて再び『カルタ遊び』のこれからについてアップする次第。
 まさしく自分自身のためだけの記事という点、ご寛容ご寛恕のほど。


 ☆櫟京子
 櫟親隆の妻で、清隆の母。

 ☆兼松久子
 京子の母。

 ☆深水加奈子
 親隆の母方の叔母。

 ☆深水沙織
 加奈子の孫。

 ☆櫟芙由子
 親隆の従妹。

 ☆櫟梓子
 親隆の姪。

 ☆櫟房子
 親隆の大伯母。のち、108歳で大往生。

 ☆須恵原清
 房子の年下の友人で、四民学園創始者。

 ☆熊倉和夫
 衆議院議員。日本協産党所属。百合根徹の遠戚。

 ☆下八川亮祐
 衆議院議員。内務治安委員会委員長。日本民憲党所属。

 ☆高林充典
 内務省官房長。


 いやあ、ここまできたら収拾もへったくれもないや。
 それこそ「デウス・エクス・マキナ」でも登場させたろかい…。
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by figarok492na | 2009-03-30 18:18 | 創作に関して

さらば連合と言おう(CLACLA日記)

 どんよりとした感じは強いものの、一応青空の見えるお天気だった。

 気温は今日も上昇せず、寒さが厳しい一日となる。
 特に外出時の風の冷たいの冷たくないの、いや冷たいの!
 もうすぐ4月というのが嘘みたいに思えたほどだ。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけ下さい。

 その分、花粉症の出がほとんどなく、過ごしやすし。

 朝早めに起きて、京都市議下京区補選の投票をすませ、近くのスギ薬局でセールのお米を買っておく。

 帰宅後、掃除機をかける。

 NHK・FMの『20世紀の名演奏』、ヘルベルト・ケーゲルの特集は、最後に放送された、ドビュッシーの小組曲から小舟にてを聴いただけ。
 ただ、この小舟にては、曲の持つ優しさ柔らかさと躍動感のコントラストがはっきりと表れた演奏となっていて、ぜひ小組曲全部を聴きたいと思ったほどだった。
 モノラル録音ということも、あまり気にならなかったし。

 続けて、トーマス・ザンデルリンク指揮大阪シンフォにカーの演奏によるブラームスの大学祝典序曲のライヴ録音(オーケストラの創立15周年を記念した非売品のCDに収められている)と、山田一雄指揮新日本フィルの演奏によるモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」の第1楽章を聴く。
 なお、山田一雄に関して、前回「踊る人・山田一雄」という一文をアップしたが、このCDを聴いたからあの文章を思いついたのではなく、あの文章を思いついたからこのCDを聴いたのである。

 NHK・FMの日曜喫茶室を久しぶりに聴く。
 日下武史と林光さんがゲストということで、林さんはいつもの如く闊達な林節を披歴していたが、日下さんのうろのきかたにはどうにも危なっかしさを感じてしまったほど。
 理路整然として言語明晰な役柄が多い分、ますますそう感じられたのだ。

 『上海1930年』を読み進める。

 『カルタ遊び』の28の下書き分のPCへの打ち込みを行う。
 原稿用紙、90枚分になる。

 お昼過ぎに、浴室とトイレの掃除、キッチンまわりの拭き掃除をすませる。

 昨日みらいの会の公演を観に行ったこともあり、結局きになっていた柿喰う客はパスしてしまう。
 みらいの会の面々の演技を観て、いろいろ考えることがあったためなり。

 夕方前になって外出するも、上述した風の冷たさ厳しさに辟易したこともあって、京都芸術センターで用件をかたづけたほかは、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。

 帰宅後、『上海1930年』を読了する。

 続けて、斉藤孝の『スペイン戦争』<中公文庫>を読み始め、夕飯後、さらに読み進める。

>村人たちはいまだかつて自動車や車を見たことがない。(中略)多くのものは魔法使いを信じており、また全部の村人が幽霊に異常な恐怖をいだいていた<
 というのは、この本に引用されている、1933年3月にマドリードからあまり遠くない一農村を訪ねた教育普及隊の調査中の一部分だが、こういうスペインの歴史的状況に関して知識があったことも、僕が『永遠のこどもたち』という映画に対してしっくりとこないものを感じる大きな原因となっているのだ。

 今日は、吹雪まんを食す。
 近くのドラッグストアで、半額引き税込み42円になっていたもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 千葉県知事選で、あの森田健作が当選したという。
 正直、何かを記したいという気持ちにはなれない。
 そういえば、彼がいわゆる連合型の候補として参議院議員に当選しながら、そそくさと民社党と会派を組んだことを皮肉って、「さらば連合と言おう」という替え歌をカラオケで歌ったことを思い出した。
 まあ、一事が万事ってことさ。

 絶望とは虚妄だ、希望がそうであるように。
 『上海1930年』にも大きく記述が割かれていた、魯迅が愛した言葉である。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-03-29 21:54 | CLACLA日記

踊る人・山田一雄

 熱狂的なファンの方には申し訳ないが、朝比奈隆という指揮者の造り出した音楽に対して、僕にはそれほど強い思い入れがない。
 京阪電車に乗り遅れて後半のアルプス交響曲しか聴くことのできなかった定期演奏会を加えると、都合5回(その中には、ブルックナーの交響曲第4番、第5番、第8番が含まれている)、僕は朝比奈隆の指揮した大阪フィルの実演に接したことがあるのだけれど、がっちりして硬質な音楽だなあとそれなりに感心したものの、だからと言ってもっとずっと生の彼の演奏を聴いておくべきだったという強い想いにとらわれることはない。
 ただ、まさしく「指揮者=立つ人」とでも評したくなるような、朝比奈さんのすっくと立った指揮姿の美しさを目にしておいてよかったなとは今でも思っているが。

 もっとずっと実演に接しておきたかったと、僕が心底思っている今は亡き日本の指揮者は、ヤマカズさんの愛称で知られた山田一雄である。
 京都会館の食堂で偶然かちあった(字義通り)演奏会前のヤマカズさんの小ささと、舞台に上がって踊りに踊り狂う大きな姿の対比。
 生み出されるドラマティックな音楽。
 京都市交響楽団の定期演奏会で聴いたフランクの交響曲のように、一度ツボにはまれば大熱演となるが、一歩間違うと、団員おちまくりの関西フィルのブラームスの交響曲第1番のような悲惨な結果となってしまうその落差の激しさ。
 朝比奈隆のどっしりとした感じとは全く対照的な、ちょこまかちょこまかと動きまくっているような躍動感。
(そこには、笛吹いて踊るから皆踊ってくれよという、どうにもたまらない気持ちがあったのかもしれないが)
 その一つ一つに、僕はぎゅっと心をつかまれてしまったのだった。

 と、ここで、確かに山田一雄は亡くなってしまったけれど、そうした彼の性質は、しっかり彼の弟子たる小林研一郎に受け継がれているではないか、と言葉をかけてくれるむきもあるかもしれない。
 だが、あいにく、ヤマカズさんとコバケンさんでは大きく何かが違っているのだ。
 極論を承知でいえば、それは久保田万太郎と井上ひさしの違いとでも言えるのではないか。
(忘れてならないのは、井上さんがその違いを十二分に認めた上で「歌いながらう(打・撃・討・射)つ人」であるとすれば、コバケンさんはその違いをあまり考えず「歌いながら泣く人」であるということだろう)

 ところで、僕はブラームスの大学祝典序曲を、山田一雄の指揮で聴いておきたかったと本当に思っている。
 入学式の景気づけや名曲コンサートの添え物として演奏されがちのこの曲が本来持っている、抒情的な美しさや魂の高揚、大いなる喜びを、ヤマカズさんならしっかり表してくれたような気がして、僕には仕方がないからだ。
(なお、昨年亡くなった小川昂の労作『日本の交響楽団』によると、山田一雄は1978年9月26日の神奈川フィルの第18回定期演奏会で大学祝典序曲を指揮している)
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by figarok492na | 2009-03-29 13:40 | クラシック音楽

東向日から河原町へ(CLACLA日記)

 青空も見えたりしたが、どんよりとした感じも強し。

 気温は今日も上昇せず、肌寒い一日だった。
 まさしく花冷え。

 その分、花粉症の出は少なかったけど。
 ヒノキの。

 朝早めに起きて、毎週恒例の洗濯をやっつけ、近くの整形外科へ行く。
 血液検査の結果は、ほぼ順調とのことでまずはほっとした。

 その後、近くのスギ薬局で薬を受け取り、グルメシティで買い物をして帰宅する。

 正午過ぎに外出し、近くの金券ショップで切符を買ってから、阪急で東向日へ。
 そこから歩いて向日市民会館まで行き、みらいの会の寸劇公演『折り紙気分 その後』(田辺剛さん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
(そちらには記さなかったが、みらいの会の前代表野田さんと田辺さんとのアフタートークでは、他人事ではなく我が事としていろいろなことを考えた)

 開演前終演後、田辺さんと少し話をしたほか、みらいの会の面々とあいさつをしたりする。

 終演後、東向日からそのまま河原町まで出、Avisやブックオフなどをまわる。
 めぼしいCDや本はなかったが、100円ショップで買い物をしたりはした。

 夕飯後、ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏した、初期ロマン派序曲集を聴く。

 『上海1930年』を読み進める。

 今日は、タンゴ・クッキーチョコを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-03-28 22:12 | CLACLA日記

『折り紙気分 その後』  みらいの会のお芝居を観た

 下鴨車窓の主宰、アトリエ劇研のディレクターとともに、田辺剛さんという劇作家・演出家の演劇活動の大きな柱の一つに、彼がこの10年の間継続してきた、不登校やひきこもりの若者たちのためのフリースクール・みらいの会のメンバーとの共同作業があることを、僕は忘れてはならないと考えている。
 そして、僕はそのみらいの会のお芝居の公演と、第1回目の『ファミリーショウ』(ちなみに、今ではベトナムからの笑い声に欠かすことのできない存在となっている徳永勝則さんも出演していた)から、全てとは言えないものの折にふれて接してきた。
 それは、一つには、演じ手の個性や公演の性質をきっちりと把握した上で、なおかつお芝居としての面白さや演劇的効果にも充分に目配りの届いた田辺さんの職人芸的な劇作の巧さを確認しておきたいという気持ちも大きかったのだけれど、一方でみらいの会のメンバーの、自分たちの身の丈に応じた、素直で正直な演技に、日頃接することの多い公演ではあまり得ることのできない、よい意味での強い心の動きを感じることができるからでもあった。

 で、今回向日市民会館の第1会議室で行われた、みらいの会の寸劇公演『折り紙気分 その後』(田辺さんの作・演出)は、2007年に僕が観た『折り紙気分(亀篇になるのかな?)』(ただし、この時は田辺さんが渡韓中で、藤本隆志さんが演出を司っていた)の後日譚になるわけだが、同窓会に集った面々の会話を通して不登校やひきこもりの問題が表われてくるのは当然のこととして、それだけに留まらない現状認識、普遍的な問題に対する視点もしっかり示されていたのではないだろうか。

 と、このように書くと、なんだか小難しい作品のように思われてしまうかもしれないけれど、毛頭そんなことはなく、ウェルメイドの骨法をよく押さえたユーモア感覚に満ちた展開となっていて、僕自身相当笑ってしまったほどだった。
 また、アフタートークで田辺さんが語っていたように、演じ手たちも、ただ単に台詞を覚えて演じてみた、という水準は充分にクリアした演技を行っていたと思う。

 いずれにしても、公演終了後のアフタートークを含めて、足を運んでおいてよかたっと、僕は強く感じた。
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by figarok492na | 2009-03-28 19:25 | 観劇記録

リヒャルト・シュトラウスを聴いていた一日(CLACLA日記)

 一応青空も見えていたが、どんよりとした感じも強し。

 気温は今日も低め。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけ下さい。

 その分、花粉症の出は少なし。
 それだけでも助かる。

 午前のうちに、掃除機をかける。

 京都市議の下京区補選の関係か何か知らないが、『ひょっこりひょうたん島』を大音量で鳴らす自動車が往来を走ってうるさいのなんの。
 『ひょこりひょうたん島』の歌は好きだけど、こうもしつこくうるさくされると、どうにも腹が立ってくる。
 坊主に憎けりゃのたとえじゃないが、井上ひさしまで腹立たしくなったほど。
 って、これは嘘だけど、●●は●●なことしかしでかさない、●●につける薬はないと改めて痛感したことは事実だ。
(そうそう、選挙がらみでいうと、ぼわあぼわあと法螺貝の音を鳴らす候補者が京都にはいるが、あれこそ…以下省略)

 リヒャルト・シュトラウスのCDを4枚続けて聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 『皇室制度』を読了する。

 尾崎秀樹の『上海1930年』<岩波新書>を読み始める。
 著者の兄で、ゾルゲ事件に関わって処刑された尾崎秀実の中国滞在時の諸々について詳しく記した一冊である。
 個人を語ることが、時代・歴史そのものを語っている好例といえるとともに、著者の秀実に対する敬愛の念が強く伝わってきて、感動的だ。

 『カルタ遊び』の28の冒頭部分の下書きとPCへの打ち込みを行う。
 原稿用紙、85枚分になる。
 なお、架空の日本を舞台にしていることもあって、実際とは異なり政治的恩赦を内務省(戦前のそれとは違う)が司っていることにしてある。

 夕飯後、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルの演奏した、リヒャルト・シュトラウスの歌劇からの管弦楽曲集を聴く。
 前回の記事で書き忘れたが、大好きな『カプリッチョ』の月の光の音楽のほか、同じ作品の導入部の弦楽6重奏や、『ばらの騎士』の組曲、『インテルメッツォ』の交響的間奏曲が収められているこのCDも、僕のリヒャルト・シュトラウスの愛聴盤の一つなのだ。
 ただし、『サロメ』の7つのヴェールの踊りは、コケティッシュというよりコケオドシッシュ的な雰囲気が濃厚で、あんまり好みじゃないことも付記しておく。
(「さすが、エロスのない男!」、と呼ぶ声あり。いや、サロメのこの音楽はエロスたあ関係ござんせんよ、あんまり)

 『上海1930年』を読み進めたほか、吉田秀和の『この一枚』<新潮文庫>のつまみ再読を行う。

 うっかりしていて、京都市交響楽団に足を運ぶのを忘れていた!
 尾高忠明の指揮で、武満徹の作品とマーラーの交響曲第5番が演奏されていたんだけどなあ。
 しまったしまった。

 今日は、エースコインビスケットを食す。
 バターココナツビスケットは売り切れてしまっていたのだ。
 ああ。
 ごちそうさま!

 まさしく「杞憂」であって欲しい。
 詳しくは語らないけれど。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2009-03-27 21:48 | CLACLA日記

リヒャルト・シュトラウスづくし もしくは、インテルメッツォ

 レビューをアップした、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルの演奏によるツァラトゥストラはかく語りき&死と変容に始まって、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏によるツァラトゥストラ、ドン・ファン、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら、ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団の演奏による『町人貴族』組曲&メタモルフォーゼン、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルとウィーン・フィル団員の演奏によるオーボエ協奏曲、ホルン協奏曲第1番、第2番、クラリネットとファゴットのための二重小協奏曲、そして今聴き始めたハインツ・ホリガー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団管楽ソロイスツの演奏による管楽合奏のためのセレナードと、昨日から今日にかけてリヒャルト・シュトラウスの作品をずっと聴き続けている。
 まさしくリヒャルト・シュトラウスづくしといったところだが、正直、クラシック音楽を聴き始めたころは、彼の作品はなんとなく苦手だった。
 と、言うのも、なあんかオーケストラをばりばり鳴らして大仰というか、確かにオーケストレーションの凄さはわかるんだけど、それがどうしたと尋ねたくなるような感じで。
 だから、LP時代はリヒャルト・シュトラウスのレコードは一切買うことはせず、てか、CD時代になっても、ほとんどと言っていいほど彼の作品の録音には手を出すことはしなかった。
 そういえば、ウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏したブラームスの交響曲第4番にドン・ファンがカップリングされてたくらいじゃないかな。
 よりにもよって、メンゲルベルクとは!

 そんなアンチ、とまではいかないけれど、非リヒャルト・シュトラウス陣営に所属していた人間が、いやいやリヒャルト・シュトラウス馬鹿にはできんぞ素晴らしいぞ、と心を入れ換える契機となったのは、大学院に入ってしばらくしてから何気なく購入した、カール・ベーム指揮バイエルン放送交響楽団他の演奏による、リヒャルト・シュトラウスの最後の舞台作品『カプリッチョ』を聴いたことで、いやあ、これには参りましたね。
 だって、こんな巧みに巧まれた音楽をものするんだもの、一流どころか超一流の作曲家と慕って間違いない、リヒャルト・シュトラウスは。

 で、それからというもの、それまで苦手にしていた英雄の生涯やツァラトゥストラはかく語りきなんかも迷わず聴くようになったわけだけれど。
 まあそれには、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィル流とは異なる、すっきり見通しのよいリヒャルト・シュトラウスの演奏が、1990年代以降の潮流となってきたことも大きいんじゃないのかなと思ったりなんかしたりして。
 いずれにしても、今では立派なリヒャルト・シュトラウシアンの一人となった中瀬宏之です。

 ちなみに、上述したディスクのほかに、ルチア・ポップが歌った歌曲集、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン放送交響楽団他の演奏による『インテルメッツォ』、ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団他の演奏による『ダフネ』などが、僕のリヒャルト・シュトラウス愛聴盤。
 残念なのは、ルチア・ポップが『ばらの騎士』と『アラベラ』のセッション録音の全曲盤を遺さなかったこと。
 これは、惜しみてなお余りあり!
(ポップが歌ったバイエルン州立歌劇場の『アラベラ』の来日公演をNHKが録画していて、実際放映もされたはずだけど、あれは発売されないのかな?)
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by figarok492na | 2009-03-27 15:07 | クラシック音楽