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三月も今日で終わり(CLACLA日記)

 三月も今日で終わり。
 非常に密度の濃い一ヶ月だったが、これで気を緩めることなく、引き続き四月も充実した毎日にしていきたい。


 なんだかどんよりとしたお天気の一日。
 気温も思ったほど上昇せず。
 それでも花粉はけっこう飛び回っているようで、頭がぼわんとしたり喉が腫れぼったかったりする。
 やれやれ。

 昨夜は、爆笑問題カーボーイを聴きながら仕事関係の作業を進めたりしたのち、3時41分に消灯する。

 朝寝坊を決め込み、11時53分になって起きる。

 仕事関係の雑件を片づける。

 ジョシュア・リフキン指揮カペラ・コロニエンシスが演奏したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」&交響曲第32番他<CAPRICCO>を繰り返し聴きながら、吉田秀和の『新・音楽展望 1984-1990』<朝日新聞社>と坪内祐三の『酒日誌』<マガジンハウス>を読み進める。

 小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラが演奏したブラームスの交響曲第4番他<PHILIPS>を聴きながら、『魔王』の筆入れとPCへの打ち込みを進め、3月の創作活動についての総括を行う。
 『魔王』は、原稿用紙12枚分になった。


 16時50分になって外出し、京都芸術センターでいくつか用件を片づける。

 それからウイングス京都に向かったが、あいにく今日は水曜日で休館日。
 うっかりもいいところだが、隣の御射山公園の桜を観ることができたので、全く残念ではない。

 その後、大垣書店四条店で『音楽現代』の4月号を「座り読み」し、グルメシティやフレスコで夕飯用の買い物をすませて、18時18分に帰宅した。


 帰宅後、小澤征爾が指揮したブラームスのCDを聴く。

 夕飯後、小澤征爾が指揮したブラームスのCDを繰り返し聴きながら、『新・音楽展望』と『酒日誌』を読み進める。
 なお、『新・音楽展望』の「ウィーンのオーケストラ」(1989・11・21)に、小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラのウィーン公演のことが記されていた。
>(前略)最後に弾かれたブラームスの第四交響曲、特に終楽章は圧倒的名演だった。ブラームスをこんなにワクワクしながらきいたのは久しぶり。
 ただ、このオケの音は輝かしく力強いは、音がきつすぎる傾向がある。もう少し柔らかで、ホンノリと温かくなるような響きがほしい。世界的水準のオケといわれるには、そういう音の使いわけも必要ではないか<

 今日は、ブルボンのアルフォートミニチョコレート・コクのあるミルク味を食す。
 フレスコのセールで、税込み78円になっていたもの。
 チョコレートとかためで小ぶりなビスケットのバランスがよく、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2010-03-31 22:08 | CLACLA日記

五番勝負は終わっても…(CLACLA日記)

 昨日のaimė室内管弦楽団のコンサートを思い返しながら、やはり若いうちには若いうちにしかやれないことがあるのだと強く感じる。
 一方で、今の自分には今の自分にしかやれないことがあるのだとも強く感じる。
 そして、何事でもそうだけれど、そうしたことがうまい具合に噛み合っていけばとも強く感じる。


 昨夜は、伊集院光の深夜の馬鹿力を聴きながら仕事関係の作業を進めたのち、3時58分に消灯する。

 7時過ぎに一度目醒め、いくつか雑件を片づけたのだが、花粉の影響もあってか頭がぼわんとして二度寝を決め込み、気がつけば11時42分。
 ああ…。

 エンタメ五番勝負は終わったものの、音楽関係の連絡や仕事関係の連絡、さらには友人の榎雪子さんから電話があったりして、けっこうばたつく。
 ありがたいことではあるが。

 坪内祐三の『酒日誌』<マガジンハウス>を読み進める。

 15時34分に外出し、河原町まで出て仕事関係の用件を片づけ、帰途ブックオフの京都三条駅ビル店で中古CDを購入し、夕飯用の買い物をすませて19時3分に帰宅した。

 帰宅後、購入したばかりの、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラが演奏したブラームスの交響曲第4番、ハンガリー舞曲第5番&第6番<PHILIPS>を聴く。
 税込み500円だったことと、オーケストラ版のハンガリー舞曲が手元になかったこともあり。
(安物のCDラジオのため、細かいところまではっきりとしたことがないため、リフキンのモーツァルトにせよこれにせよCDレビューはパスするつもり)

 夕飯後、小澤征爾のブラームスを聴きながら、『酒日誌』、吉田秀和の『新・音楽展望 1984-1990』<朝日新聞社>を読み進めたり、『魔王』の筆入れとPCへの打ち込みを進める。

 その後、指揮者の本多優之さんからお電話があり、1時間半ほど話をする。

 今日は、甘いものは食さず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2010-03-31 00:00 | CLACLA日記

外出後の日記(深夜のCLACLA)

 ちょうど外出しようかなと思ったころから、どんどん雪が降り始める。
 気温もぐぐんと下がって、寒いのなんの。
 3月も29日というのに、なんだこりゃ。


 17時33分に外出し、四条通の金券ショップ・トーカイ四条烏丸店で切符を買ってから、地下鉄で北山まで出、京都コンサートホール小ホールで、aimė室内管弦楽団の第1回演奏会を聴く。
 詳しくは前回の記事をご参照のほど。
(表方等、いくつか気になった点は、いずれ直接オケのメンバーの人に伝えておこうと思う)

 終演後、指揮者の川畑隆君らと少し話しをしたほか、こちらの誘いに応じてコンサートに来られた本保弘人さんと開演前休憩中にオーケストラそのものや演奏に関する話しをする。

 地下鉄で大宮まで戻り、西洞院のSHOP99で買い物をし、近くの松屋でカレー野菜セットの大盛り(僕には大盛りでもなんでもないんだけど…)を食したのち、22時44分に帰宅した。


 松屋を出たときには雪がやんでいて、白くて美しい月が見えていた。
 それにしても、寒いのなんの。
 3月も29日というのに、なんだこりゃ。

 帰宅後、日清シスコのひとくちクッキーを食す。
 SHOP99で購入したもの。
 まあまあ美味しうございました。

 東京高裁が、休日に政党機関紙を配布していた元社保庁の職員を逆転無罪とする判決を行ったとのこと。
(それにしても、政党機関紙を配布する以上に「政治的行為」を行っている国家公務員が少なからずいるような気がするんだけれど、あれは罪にならないのかね)

 以上、3月29日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2010-03-30 00:31 | CLACLA日記

aimė室内管弦楽団第1回演奏会

 ☆aimė室内管弦楽団第1回演奏会

  指揮:川畑  隆
  独唱:大岡  紋(ソプラノ)
     加藤 裕子(メゾソプラノ)
     川崎慎一郎(テノール)
     高曲 伸和(バリトン)
     田主 容子(ソプラノ)
     中原 三幸(ソプラノ)


 指揮者の本多優之さんと練習を見学させてもらったaimė室内管弦楽団の第1回目のコンサートを、京都コンサートホールの小ホール(それにしても、ここのホールは本当に音響が悪い)で聴いて来た。
 aimė室内管弦楽団は、大阪音楽大学2年生の川畑隆君を中心に、関西各地の音大生や学生によって結成された、出来たてほやほやの室内管弦楽団で、オーケストラ初心者がその少なからぬ部分を占めている。

 で、練習を初めて聴いたときは、全く何もないところから「オーケストラをやりたい」という熱意によって生まれた団体だけに、ついつい本番までの道のりの厳しさを想像してしまったのだけれど、ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタジンガー』第1幕への前奏曲、ビゼーの歌劇『カルメン』ハイライト(組曲版ではなく、音大生のソロによる歌つき)、ブラームスの交響曲第1番という耳馴染みはよいが一癖二癖、どころか三癖四癖もある曲目を、なんとか最後まで演奏し切っていた。
(ブラームスの交響曲第1番の冒頭部分をやり直すというアクシデントもありはしたが)
 また、ワーグナー、ブラームスとも、最近の主流となりつつある楽曲の解釈を基調に早めのテンポが心掛けられ、交響曲の楽章の終結部の処理など、いろいろと仕掛けが試みられていたりもした。
 しかしながら、個々の奏者としてもアンサンブルとしても様々な問題(技術的等)が存在することから、そうした川畑君の意図が充分に効果を発揮していたとは、残念ながら言い切ることはできない。
 個々の奏者やアンサンブルの精度を上げるという意味からも、川畑君の指揮者としてのバランス感覚バランス感覚を鍛えるという意味からも、できることならば、古典派の作品を集中して取り上げる必要があるのではないかと、僕は思った。
 加えて、弦楽四重奏や木管五重奏など、オーケストラメンバーによる室内楽アンサンブルの活動が、もっと積極的に行われてもいいとも思う。

 一方、『カルメン』の独唱陣では、見栄えのよさという点では、エスカミーリョを歌った高曲伸和君をまずもって挙げるべきだろうが、個人的にはミカエラを歌った大岡紋さん、ドン・ホセを歌った川崎慎一郎君の歌唱に好感を覚えた。
(カルメンを歌った加藤裕子さんは、強く張るときの声の美しさが印象に残る)

 いずれにしても、プロ・アマ・学生問わず、オーケストラは練習とコンサート(本番)を重ねることでしか変化し成長していかない。
 今回のコンサートで得た、オーケストラで演奏することの愉しさや感激を胸に強く刻んだ上で、個々の奏者やオーケストラ全体の課題をしっかり確認しながら、二回目、そして三回目のコンサートにのぞんでいって欲しいと、心から願う。
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by figarok492na | 2010-03-30 00:13 | コンサート記録

外出前の日記(CLACLA日記)

 三月ももうすぐ終わろうというのに、いまひとつ気温が上昇しない。
 今日も今日とて、コタツの電源を入れてしまった次第。
(それでも、花粉は飛び回っているようで、首筋のがさつきがひどく、喉の調子も妙に変だなあ)


 昨夜は、吉田秀和の『新・音楽展望 1984-1990』<朝日新聞社>や坪内祐三の『酒日誌』<マガジンハウス>を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたりしたのち、3時25分に消灯する。

 で、確信犯的に朝寝坊を決め込み、11時2分になって起きる。

 ジョシュア・リフキン指揮カペラ・コロニエンシスが演奏した、モーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」&交響曲第32番他<CAPRICCO>を聴く。

 正午過ぎに、浴室とトイレの掃除をすませる。

 リフキンが指揮したモーツァルトのCDを三度繰り返し聴きながら、『新・音楽展望』と『酒日誌』を読み進め、さらに『魔王』の筆入れとPCへの打ち込みを進める。
 『魔王』は、ようやく原稿用紙8枚分になった。

 今夜は、エンタメ五番勝負の最終勝負、最後の大一番、aimė室内管弦楽団の第1回目のコンサートが控えている。
 と、言うことで、ちょっと早めではあるけれど、そろそろ外出の準備を始めます。
 それじゃあ、行って来ます!
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by figarok492na | 2010-03-29 15:05 | CLACLA日記

エンタメ五番勝負、四日目(CLACLA日記)

 エンタメ五番勝負の四日目。
 なんだかどんよりとした感じがするなあと思っていたら、ますますどんよりどよどよとしたお天気になって、ついには雨降りになってしまった。
 ただ、そのおかげか、首筋ががさついたり喉が妙に腫れぼったくなったりと前触れは感じていたものの、目の周りの激しいかゆみやくしゃみの連発といった花粉症の強い症状は出ず。
 ほっとする。


 昨夜は、吉田秀和の『新・音楽展望 1984-1990』<朝日新聞社>や坪内祐三の『酒日誌』<マガジンハウス>を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたりしたのち、3時14分に消灯する。

 10時52分に起きる。

 『新・音楽展望』を読み進める。

 『酒日誌』も読み進める。


 12時44分に外出し、歩いてアートコンプレックス1928へ。
 13時過ぎに着いたところ、受付の手伝いの高原綾子さんが外にいて、開演40分前(13時20分)に受付開始ということを教えてもらう。

 Avis、JEUGIA三条本店をのぞいて時間をつぶしてからアーコンへ戻って受付をすませ、再びJEUGIA三条本店へ。
 クラシック担当でJEUGIA四条店のアルバイト時代にお世話になった山本恭士さんと少し話しをする。

 で、アーコンに戻り、マレビトの会のシリーズ「戯曲との出会い」vol.2、『UBU ROI』(アルフレッド・ジャリ作、松田正隆さん演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 開演前、以前下鴨車窓の『旅行者』再演のあとの酒席で話しをしたことのあるエイチエムピー・シアターカンパニーの高安美帆さんと隣り合わせの席に座って話しをしたほか、開演前終演後、松田正隆さん、F.ジャパンさん、田辺剛さん、門脇俊輔さん、高田ひとし君、伊藤拓さんとあいさつをしたり話しをしたりした。

 さらに、京阪三条のブックオフに向かっているところで高安さんと会い、少し話しをする。

 さらにさらに、ブックオフで中筋朋さんと会い、昨日の夜の回を観たとのことで、マレビトの会の公演についてしばらく話しをする。

 その後、トーカイ三条河原町店で阪急の切符を買い、中古レコード店のハッピージャックをのぞき、ついでに寄ったタワーレコードでCDを1枚買ってしまう。
 税込み790円のセール品に負けてしまったのだ。
 山本さん、申し訳ありません!

 阪急で大宮まで戻り、グルメシティなどで夕飯用の買い物をすませたのち、18時14分に帰宅した。


 帰宅後、購入したばかりの、ジョシュア・リフキン指揮カペラ・コロニエンシスが演奏した、モーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」&交響曲第32番他<CAPRICCO>を聴く。
 なお、カペラ・コロニエンシスはケルンを本拠とするピリオド楽器オーケストラである。
(あいにく、ケルン滞在中に実演に接したことはなかったが)

 夕飯後、さらにリフキン指揮によるモーツァルトのCDを聴く。
 快活なモーツァルトで、繰り返し聴いてしまう。
(安物のCDラジオで聴いていることもあり、CDレビューをどうしようかと悩む我)

 『新・音楽展望』を読み進める。

 『酒日誌』も読み進める。

 今日は、甘いものは食さず。

 さあ、残すところ大一番。
 明日の晩は、aime室内管弦楽団の第1回目の演奏会だ。

 明日が本当にいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2010-03-28 23:23 | CLACLA日記

マレビトの会『UBU ROI』

 開場前に受付をすませたとき、たまたま松田正隆さんが階段から下りてきたので軽くあいさつをしたのだが、そのときの松田さんの顔を見て、ああこの人はもしかしたら、自らがそうしたいと感じ考え想ったあれこれ(妄念)を現実のものとして表現するためならば、大げさに言えば他人(だけではなく自分自身)の生命なんてどうでもよいとまで考えてしまうような激しいデモーニッシュな精神を持つところまで行きついてしまうのではないか、とふと思ってしまった。
 それは、偉大な芸術家の一員となるか、もしくは鈴木忠志のような存在になるかのどちらか、と言い換えてもよい。
(「何言ってんだよ、そんなことあるわけないよ」、と松田さんは怒るかもしれないが)

 で、勝手な思い込みは胸にしまい込んで、マレビトの会のシリーズ「戯曲との出会い」vol.2『UBU ROI』(アルフレッド・ジャリ作、松田正隆さん演出)を観たわけだが、これがまた最終的な評価や判断に苦しむ作品に仕上がっていた。
 強いて言うならば、自らの最新作、だけではなく、松田正隆という一人の劇作家の人生の総決算として書かれるであろう作品のためのあくまでもプローベ(稽古)の一つとでもなるだろうか。

 『UBU ROI』(ユビュ王)は、フランスの文学者アルフレッド・ジャリが19世紀末に発表した戯曲で、その涜神的な内容から(当時のフランス第三共和政の社会的状況の影響も大きいはずだ)大きなスキャンダルを巻き起こしたことで知られていて、ベルント・アロイス・ツィンマーマンほか、クラシック音楽の作品の題材としても何度かとり上げられている。
 僕は、学生時代にわけあって『研ぎ辰の討たれ』と併読したことがあるのだが、そのやたけた具合には、筒井康隆の一連のスラプスティックを思い起こしたほどだった。
 まさしく、ドタバタ劇でありジタバタ劇の極みであるということだ。

 だが、松田さんはそうした作品の持つ意味合いを充分承知し、なおかつ徹底的にテキストを読み込んだ上で、他者の成果を貪欲に吸収し咀嚼しながら(それがゆえに、僕は松田さんにブレヒト性や十九世紀性を強く感じる)、「演劇的抑揚」を排した演技を演者陣に行わせる。
 そのあまりのあまりさかげんに笑いが導き出されたり、逆に、松田さんの一連の作品と同様、エロス・タナトスのタナトスの部分が色濃く表わされたりする結果となっていた。
(その意味でも、『ユビュ王』は松田さんにぴったりのテキストだったと思う)
 ただ、本来1時間程度でおさまるところを1時間45分に引き延ばしたり、技法的に前半の繰り返しとなったところから、後半はどうしてもだれた感じに陥ってしまったことも否めない。
(けれど、そうしたことも松田さんは全部織り込みずみなのではないか? たとえ他人がだれようと、自分は今やりたいことをやるのだ、やらねばならぬのだ…、開場前のあの顔…、いやいや、思い込みは禁物だ)

 演者陣では、ユビュ親父のごまのはえさんをまずは挙げねばなるまい。
 久しぶりにごまさんの演技を観たが、松田さんの意図を汲みつつ、ユビュ親父の様々な側面をよく表わしていたのではないか。
(それにしても、ごまさんの演技に接すると、どうしても松村達雄を思い出してしまう)
 また、F.ジャパンさんの存在感は相変わらずだし、サリngROCKさんには「わざ下手」のチャーミングさ(こちらには、33分探偵の水川あさみを思い出してしまう)、筒井潤さんには演出家的知性と人柄のよさを感じた。
 あと、いつものお節介で申し訳ないが、桐澤千晶さんは、今回の演技はひとまず置くとして、もし桐澤さんが長く演技者・表現者を続けていきたいと考えているのであれば、公演パンフレットにも明言されているように松田さんの演技観がああしたものであるのだから、マレビトの会や造形芸大関係の公演に出演するばかりではなく、それこそごまさんや筒井さん、サリngROCKさんに客演させてもらえるよう頼んでみるとか、F.ジャパンさんと二人芝居に挑戦してみるなど、一層自覚的に行動していくべきではないかと思った。

 いずれにしても、演劇関係者ならば接しておいて損はないと思える公演だった。
 ただ、演劇とはあまり縁がない人がこの『UBU ROI』を観てどう感じるのだろうか?
 僕は、そのことがとても知りたくて仕方がないのである。
 本当に。
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by figarok492na | 2010-03-28 23:01 | 観劇記録

エンタメ五番勝負、三番目の日(CLACLA日記)

 昨夜3時53分に消灯したというのに8時少し前には目が醒めてしまい、結局もう一度寝ることができなかったため、8時51分に諦めて起きる。
 9時過ぎに毎週恒例の洗濯を始める。

 10時過ぎに一度外出し、近くの金券ショップ・トーカイ四条大宮店で地下鉄の切符を、弁当屋で肉じゃが弁当を購入してから帰宅する。

 昨夜観た、夕暮れ社弱男ユニットの『教育』の観劇記録の下書きに四苦八苦し、正午過ぎにようやくアップする。


 そそくさと朝昼兼用の食事をすませ、雑件をいくつか片づけてから、13時21分に外出し、まずは下京図書館へ。
 山本一生の『恋と伯爵と大正デモクラシー』<日本経済新聞出版社>と坪内祐三の『三茶日記』、『本日記』<いずれも本の雑誌社>を返却し、予約しておいた吉田秀和の『新・音楽展望 1984-1990』<朝日新聞社>と前田武彦の『マエタケのテレビ半生記』<いそっぷ社>、坪内祐三の『酒日誌』<マガジンハウス>を新たに借りる。

 五条から地下鉄で北山まで出、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第533回定期演奏会を聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 終演後、本保弘人さんと近くのマクドナルドで少し話をしたほか、JEUGIA四条店でクラシック売り場の担当をしていたころの「お得意さん」と久しぶりに会い、あいさつをする。

 式典はパスしたが、京都芸術センターに寄って一つだけ用件を片づけたのち、グルメシティで夕飯用の買い物をすませ、18時50分に帰宅した。


 お昼過ぎぐらいまでは青空が見えていたのに、コンサートが終わったころにはどんよりとしたお天気に変わっていた。
 ありゃりゃりゃりゃ。

 気温もあまり上昇せず、肌寒い一日だった。
 その分、花粉症の出がなかったので、コンサート中とても助かったが。

 夕飯後、『新・音楽展望 1984-1990』を読み始める。
 題名副題にもある通り、朝日新聞連載の「音楽展望」の1984年から1990年までの分をまとめたもので、朝日文庫から出ていた『音楽 展望と批評』(計3冊。高校生のころ以来の愛読書)の続きにあたる。

 続けて、『酒日誌』も読み始める。
 同じ坪内さんの日記でも、こちらは『ダ・カーポ』誌に連載された酒呑み日記。
 それにしても、よう呑みはりまんなあ坪内はんも。

 今日は、サンラヴィアンのふんわりシフォン(白桃)を食す。
 グルメシティで、半額引き、税込み69円だったもの。
 白桃味のクリームの入ったシフォンケーキで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 木曜日から月曜日までのエンタメ五番勝負。
 ようやく三番目まで終わったが、睡眠不足もあってちょとしんどいかな…。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2010-03-27 22:39 | CLACLA日記

京都市交響楽団第533回定期演奏会

 ☆京都市交響楽団第533回定期演奏会

  指揮:広上 淳一
  独奏:ラデク・バボラク
     垣本 昌芳
     澤嶋 秀昌
     寺尾 敬子

  会場:京都コンサートホール大ホール
  座席:2階P1列8番(休憩前)、R3列16番(休憩後)


 北山の京都コンサートホールまで、常任指揮者広上淳一が指揮する京都市交響楽団の第533回定期演奏会を聴きに行って来たが、今回もチケット完売の盛況ぶりでまずは何より。
(ただし、残念なことに会場にはちらほら空席も。これがヨーロッパだったら立ち見席なんて都合勝手のよいシステムがあるんだけど、我が国には消防法なるやかましい法律があるもので…)

 で、一曲目はプッチーニの交響的奇想曲。
 公演プログラムには記されていないが、途中のちに『ラ・ボエーム』の序奏部分となる音楽がまんま登場してきたりするなど、実にオペラティックで劇場感覚に満ちあふれた作品。
 座った場所が金管群の斜め後ろということもあってか、少々騒々しさを感じないでもなかったが、コンサートの幕開けの賑やかしには相応しい音楽であったことも確かだろう。
 広上さんは、ツボをよく押さえた音楽づくりを行っていたと思う。

 続く二曲目はプログラムに変更があって、ラデク・バボラクのソロによるリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。
 いやあ、これは本当に素晴らしかった。
 あまりにも陳腐なたとえで申し訳ないけれど、音が軽々と空の彼方まで駆け上って雲の間を伸びやかに吹き抜けていくとでも評したくなるような美しいホルンの音色と、バボラクの優れたテクニックに完全に魅了された。
 できれば、もっともっと音楽が続いていて欲しかったくらい。
 京響の伴奏はバボラクのソロに比べると、若干重たさを感じないでもなかったが、ホルンと木管のソロとの掛け合いなど、よく健闘していたのではないだろうか。

 休憩を挟んだ三曲目は、バボラクに京都市交響楽団のホルン・セクションのメンバーを加えたホルン四人の独奏によるシューマンの4本のホルンのためのコンツェルト・シュトゥック。
 バボラク効果もあってか、京響のホルン奏者陣も過不足ないソリストぶりを発揮、広上さん指揮のオーケストラも歯切れがよく明解な伴奏で、全篇愉しい演奏に仕上がっていた。

 と、ここまでで充分に音楽を堪能した感じだったのだけれど、まだまだあるぞよ四曲目は、ベートーヴェンの交響曲第4番。
 これがまた、昔北欧の巨人に挟まれた可憐な乙女とかなんとかまことしやかに語られていたなんてエピソードがちっともほんとにゃ思えないぐらいの迫力満点、パワフルな演奏でボリューム満載。
 ただし、ピリオド・スタイルも意識しつつ、作品の要所急所をしっかり締めていたあたりは、広上さんならではか。
 ライヴ特有の傷もなくはなかったが、京都市交響楽団も広上さんの指揮によく沿った演奏を行っていたように感じられた。

 このあと三月定期恒例の卒団セレモニーがあって、さらにアンコールにバルトークのルーマニア民俗舞曲の第4曲と第7曲が演奏されて、もうおなかいっぱい。
 本当にごちそうさまでした!

 それにしても、広上さんのうなりっぷり、ますます激しくなってはいませんか?
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by figarok492na | 2010-03-27 22:20 | コンサート記録

夕暮れ社弱男ユニット『教育』

 指揮者の本多優之さんの関西訪問から早いものでもう二週間が経ったが、本多さんからうかがった様々なお話の中で強く記憶に焼き付いているものの一つに、
>オーケストラにはオーケストラという現場なりのイロハ、ノウハウ、急所があって、ただ個々の奏者が譜読みをして集まって楽器を鳴らしているだけではわからないことがある。
 そして、そうしたイロハ、ノウハウ、急所をわかった上でないと、これまでの習慣や慣習とは異なる新たな試みも行えない<
という趣旨の言葉がある。
 そして、夕暮れ社弱男ユニットの第二回劇場公演『教育』(村上慎太郎君作・演出)の公演パンフレットにある村上君のごあいさつの中の、「今日で、この舞台で、この作品で、関西ひっくりかえったらええなと思います」という一文を読み返しながら、演劇に携わる人間も、本多さんの言葉から学ぶべき点は少なくないのではないかと痛感した。


 昨夜(26日)、『教育』を観に行くことになった大きなきっかけは、出演者の一人で旧知の松田裕一郎さんから「率直な感想を聴かせて欲しい」と招待を受けたことにあるのだけれど、もう一つには、村上君が書いたpan_officeプロデュースの『京都かよ!』(伊藤拓さん演出)の第四話「単身デストロイ」に好感を覚えていたからでもあった。
 だが、残念ながら、今回の『教育』は、僕にとって厳しく辛く、胸を張ってお薦めすることはできない内容となっていたように感じられた。
 もし、村上君の表現意欲の強さや発想の面白さ、演者陣の真摯さが伝わってこなければ、上演中であろうと招待を受けていようと、僕は途中で席を立っただろうと思う。

 で、「君ら僕らを教育するつもりかい?」と軽く突っ込みを入れたくなったことは置くとして、客席に案内された段階で、今回の公演のコンセプト・趣向はすぐに予想が着いたのだが(複数のお客さんからもそういった言葉が聞こえてきた)、まずもってその趣向が、生理的身体的、さらには心理的に僕にはしんどい。
(公演期間内だから明言はしないが、メリーゴーランドの類いが苦手な人は避けたほうが賢明だと記しておく)

 と、言っても、今回の『教育』の大きな核となるコンセプト・趣向自体を僕は否定するつもりはない。
 今回の公演を高く評価する人や面白いと感じる人が少なからずいるだろうことは予想に難くないし、それどころか、もしこれが京都造形芸術大学なりなんなりで行われた実験上演だったのであれば、その発想が斬新なものとは実は考えないのだけれど、それでも村上君の表現意欲の強さとチャレンジ精神を高く評価したはずだ。

 だが、これは実験上演ではない。
 一般前売りで2300円(トリコ・Aの『クリスチネ』より高い!)というそれなりのチケット料金をとる「劇場公演」なのである。
 そのことを考えれば、申し訳ないけれど、『教育』は意到って筆随わない、意欲が先行して内実がまだ伴っていない、未完成の作品であり公演だったと評するしかない。
 少なくとも、今回のコンセプトがテキストと不可分のものであると村上君が考えるのであれば、個々のエピソードを細かく分けるのではなく「同時多発的」に処理したり(そのほうがより実験性は高くなる)、不用(意)な部分をカットするなどして45分程度にまとめてしまうか(その上演時間でも、テキストの筋が通り、演者陣が集中して「疾走」し「運動」し続ければ、今回舞台で示されたものと同等の、もしくはそれ以上の効果を観る側に与えられると思う)、もしくは、上演時間は今のままなら、作品の急所を選びとって今回の趣向を激しく仕掛けるようにするべきなのではないだろうか。
 そうしたほうが、テキストを通して村上君が伝えよう訴えようとすることも、コンセプトの面白さもより鮮明になると僕には思われる。

 それと、テキストの粗さについては詳述しないが、表現のあり様のせいでテキストにこめた村上君の想いが観る側にうまく伝わらない(「わからない」ということではない。「言ってることはわかるけど…」というやつだ)おそれが、村上君の意図している以上にあるかもしれない、ということだけは記しておく。
(これは素朴な疑問だけれど、本間広大君が演じた役柄の一つがどうして劇作家や役者志望ではなく小説家志望なのか? テキストの構成からいえば充分納得がいくが、「意識的」に何かあるのであれば、村上君にぜひとも教えてもらいたいところだ)

 演者陣は、村上君のテキストに対して非常に真摯に向き合っていたと思うし、人柄のよさや熱意も充分に伝わってきた。
 ただ、作品のコンセプトがコンセプトなだけに、どうしても「機械的な段取り」が優先されてしまっているように感じられたことは否めない。
(し、そうした段取りを感じさせないだけの力量は彼女彼らにはまだない。それを指摘するのは酷だが)
 特に、直接本人にも伝えたことだが、松田裕一郎さんは台詞が抜けたり演技に対する集中が途切れる部分があったことよりも、そうなるまいと無理を重ねている意識が透けて見えて(本人のくせが強く表われていることも含めて)、僕には非常に辛かった。
 France_panの『家族っぽい時間』やてんこもり堂の『MOON』、T.T.T.でのよい意味での松田さんの「胡散臭さ」や「ふら」をよく知っているだけに、これは残念でならない。
(まずは出演を引き受けた松田さん個人の責任が大だが、彼をどう使いどう活かすかはやはり村上君の責任でもある。こと松田さんばかりでなく、そうした意味でも今回の作品の構成には無理があったのではないか)

 ただ、こうやって書き並べたことは「はい、そうですか」と一朝一夕に改められるものでもあるまい。
(それに、僕がここで記したことが全て正しいわけでもないだろうから)
 結局、今後の一回一回の公演ごとに明確な課題を設定して、村上君や演者陣が粘り強く努力を重ねていくしかないのではないか。
 そういった点からも、制作、プロデューサー、演出補佐、演出助手、ドラマトゥルクと肩書はなんでもいいから、村上君の考え方や発想に深く理解を持ちながら、なおかつお芝居の現場に関するイロハやノウハウを丁寧に教え、厳しく的確な助言や批判を与える存在がすぐさま必要だと、僕は考える。

 いずれにしても、ものごとを一挙にひっくりかえすためには、それまでの普段の不断の努力こそが重要なのではないか。
 村上君と夕暮れ社弱男ユニットのこれからの公演(次回だけではない)を、僕は心より期待したいし、観続けていきたい。
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by figarok492na | 2010-03-27 11:58 | 観劇記録