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四月末日(CLACLA日記)

 今日で四月も終わり。
 今月もまた一ヶ月があっという間に終わってしまった。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、死を忘れるな。


 昨夜、末長敬司らとキノ・フォーラムkyo(京都映画研究会)の打ち合わせを3時間ほど行う。
 6日に予定されている第1回目の月例研究会のためなり。


 今日は、16時過ぎに外出し、河原町まで歩いて出てタワーレコードをのぞいたのち、4号系統の市バスで洛北高校前へ移動し、アトリエ劇研で京都ロマンポップさかあがりハリケーンvol.4『キス×キス×キス~シークレットフレンズ1928~』(向坂達矢さん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 開演前、ちょうど隣の席に座っていた高間響さんにあることを尋ねたほか、終演後、帰りが同じとなった田辺剛さんと食事をしながらしばらく話しをする。
 こうやって田辺さんと話をするのは、本当に久しぶりだった。

 田辺さんと別れたのち、206号系統の市バスで四条大宮まで戻り、21時過ぎに帰宅した。


 外出前、仕事関係や企画関係の作業を進めたほか、古川隆久の『昭和天皇』<中公新書>を読了する。
 戦争責任の問題をはじめ、とてもバランスがよくとれた記述で、非常に読み応えのある一冊だと思う。


 ロイ・グッドマン指揮ザ・ハノーヴァー・バンドとクラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したロッシーニの序曲集<RCA、ドイツ・グラモフォン>を続けて聴く。


 今日も、シナモンオールドファッションを食す。
 昨日の残りなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-30 23:44 | CLACLA日記

京都ロマンポップさかあがりハリケーンvol.4『キス×キス×キス~シークレットフレンズ1928~』

 出演者の一人で制作でもある浅田麻衣さんからご招待をいただいたこともあり(いつもありがとうございます)、京都ロマンポップさかあがりハリケーンvol.4『キス×キス×キス~シークレットフレンズ1928~』(向坂達矢さん作・演出)を観にアトリエ劇研まで行って来た。

 で、開場時間から少し遅れて劇研に着いたところ、いつもの如く顔を白塗りにした向坂さんがお客さんを巻き込みながら前説のトークを繰り広げている。
 ちょっと身内っぽくて、それもやたらと反応の激しい笑いもいつもの如くだったが、向坂さんの必死のパッチとそこから透けて見える人の良さもあって、こちらもつい笑い声を上げてしまう。

 それから、京都学生演劇祭で京都ロマンポップ賞を受賞した劇団ACT(京都産業大学/丸山交通公園君ほか)によるミニコントののち、本篇が始まる。
 これまで観た二回のさかあがりハリケーンは、アングラのコスプレというか、あえてグロさ低さを狙っているような気負いや、なんとしてでも笑いをやるんだという演者陣の頑張りが僕には強く感じられて、正直あまり笑うことができなかったのだけれど、今回の作品は、リリカルでスタイリッシュ、さらには結構にも工夫をこらした恋愛譚に、細かく変化球を仕掛けてくるというつくり(土曜の晩ということもあり、終わったあとにEPOの「なないろのたそがれおりてきて」という歌声が流れてきそうな雰囲気)が京都ロマンポップの面々の人柄や性質によく合っているようで、個人的にはしっくりとくる舞台となっていた。
 特に最終盤、向坂さん演じる主人公が自らを語る場面には、向坂さん自身の真情がストレートに表われ出ているような気がして、今は亡きエノケン榎本健一の「喜劇を演ろうと思うな」という言葉を思い出したりもした。
 また、ほかの演者陣も各々の特性や魅力等、今現在の持てる力をよく示していたのではないだろうか。

 劇団を続けていくということには、どうしても様々な困難が伴うだろうとは思うが、次のステップを目指してぜひとも頑張っていってもらいたい。
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by figarok492na | 2011-04-30 23:33 | 観劇記録

昭和天皇の誕生にに『昭和天皇』を読み進めた(CLACLA日記)

 世は連休スタートだが、いろいろと重なって(そこには東日本大震災のことも当然含まれる)、どうにもそのような気分になれず。
 まあ、もともと連休という概念とは無縁な生活を送っていることも大きいのだろうけれど。


 ぼんやりとした感じの青空。
 どんよりとした感じも強し。

 気温もそれほど上昇せず。
 と、言って肌寒いというほどでもなかったが。


 今日は、夕方の買い物以外は外出せず、部屋にこもって仕事関係や企画関係の作業を集中して進める。


 ほかに、古川隆久の『昭和天皇』<中公新書>も読み進める。
 その思想形成期から戦前、戦中、戦後と昭和天皇の生涯を追った労作で、非常に読み応えがある一冊だと思う。
 それにしても、昭和天皇の誕生日に彼について書かれた本を読み進めることには、ちょっとした感慨を覚える。
 偶然だとはいえ。
 いや、偶然だからこそか。
(発売されたのが4月25日だから、重なってもおかしくはないのだが)


 アンドリュー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したヨーク・ボーウェンの交響曲第1番&第2番<CHANDOS>を断続的に三回聴き、そのCDレビューをアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 あと、ネルソン・フレイレが弾いたリストのピアノ作品集<DECCA>も聴く。


 夕飯後、企画関係の作業を進めたり、『昭和天皇』を読み進めたりする。
 なお、『昭和天皇』の参考文献ともなっている茶谷誠一の『昭和戦前期の宮中勢力と政治』<吉川弘文館>と永井和の『青年君主昭和天皇と元老西園寺』<京都大学学術出版会>を京都市図書館のインターネットサービスで予約しておいた。


 オーボエのアルブレヒト・マイヤーとクラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラが演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲他<ドイツ・グラモフォン>を聴く。


 実家に電話をかけ、母と少し話しをする。
 午前中、実家からの荷物が届いたので。
 多謝。


 今日は、北川製菓のシナモンオールドファッションを食す。
 実家からの荷物に入っていたものなり。
 シナモン風味のきいたオールドファッションドーナツで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-29 22:41 | CLACLA日記

ヨーク・ボーウェンの交響曲第1番&第2番

 ☆ボーウェン:交響曲第1番、第2番

  指揮:アンドリュー・デイヴィス
 管弦楽:BBCフィル
  録音:2010年10月(デジタル/セッション)
<CHANDOS>CHAN10670


 人に慣れ親しまれた役回りを受け継ぐということほど難しいものはない。
 これはあくまでも個人的な感じ方だと断った上でのことではあるけれど、例えば雨森雅司の声に慣れた耳からすると富田耕生のバカボンのパパはあまりにももっさく聴こえて仕方がないし、その後船越英二、高島忠夫、名古屋章(スペシャルでは神山繁、伊東四朗)とベテランどころにバトンタッチされた『暴れん坊将軍』の爺も、有島一郎演じる初代加納五郎左衛門の飄々とした中に時折かつての軽演劇時代のやってるやってる感をにじませた演技を知る者からすれば、なんともしっくりこない。
(付け加えると、『暴れん坊将軍』はシーズンを重ねるごとにレギュラー陣のキャスティングの劣化が激しくなり、どんどんアンサンブルとしての面白みに欠けていったような気が僕にはする)
 その点、イギリスのCHANDOSが、自国の作曲家のオーケストラ作品を任せるメインの指揮者に、ブライデン・トムソンやリチャード・ヒコックス(本当はヴァーノン・ハンドリーも挙げたいところだが、彼の場合、他のレーベルでの活躍もあったりしてCHANDOS印と言う感じがあまりしない)の後継者として、すでにTELDECでブリティッシュ・ライン・シリーズを成功させたアンドリュー・デイヴィスを起用したことは、パワフルで明快明晰、それでいて繊細さにも不足しないといった音楽性の継続という意味でも、非常に適切な選択だったのではないだろうか。
(ただし、TELDECの際のBBC交響楽団に対して、こちらCHANDOSでは、同じBBCでもマンチェスターに本拠を置くBBCフィルとアンドリュー・デイヴィスはコンビを組んでいるが)

 そのアンドリュー・デイヴィスとBBCフィルの演奏によるヨーク・ボーウェン(1884年~1961年)の交響曲第1番、第2番がリリースされたので、早速聴いてみることにした。
 なお、生前の高い評価が嘘のように一時期忘却の彼方に置かれていたボーウェンだけれど、ダットンで室内楽作品がまとめて録音されたり、hyperionからピアノ・ソナタ集がリリースされるなど、近年復活の兆しを見せていて、今回の交響曲の録音は、さらにそのはずみとなるかもしれない。

 で、世界初録音という1902年に作曲された交響曲第1番ト長調作品番号4は、3楽章構成。
 冒頭の軽く飛び跳ねるような感じからして、パリーやスタンフォードに始まるイギリスの交響曲らしい作風だなあと思っていたら、あれあれ30秒から1分を過ぎるあたりになると、なんだかチャイコフスキーの『くるみ割り人形』の小序曲っぽい曲調になっているじゃないか…。
(加えて、第3楽章=トラック3の2分55秒あたりは同じくチャイコフスキーの交響曲…)
 まあ、確かに他者の影響を言い出せばほかにもいろいろと言えてきりがないのだけれど、基本的には軽快でスタイリッシュでよくまとまった、耳なじみのよい交響曲に仕上がっていると思う。
 アンドリュー・デイヴィスもそうした作品の性質をスマートに描き込んでいて、全く嫌味がない。

 一方、第1番の7年後に作曲された第2番ホ短調作品番号31(こちらは4楽章形式)は、「イギリスのラフマニノフ」という日本語カバーの惹句そのもののような冒頭のファンファーレにおおっと思うが、そのまま情念音塊一直線と突っ切らないところが、ボーウェンという人の弱さでもあり魅力でもあるのかもしれない。
 エルガーを想起させる部分もあれば、同時代の別の作曲家の作風を想起させる部分もあるが、第1番に比してオーケストラの鳴らせ方が一層こなれている点も当然指摘しておかなければなるまい。
 アンドリュー・デイヴィスとBBCフィルも、力感あふれた演奏でそうしたボーウェンの変化をよくとらえているように感じた。

 BBCフィルの録音にはいつも感じる、レンジの狭さというか音のせせこましさ、何かすっきりしない音のもどかしさは正直好みではないが、イギリス音楽愛好家や後期ロマン派好きにはご一聴をお薦めしたい一枚だ。
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by figarok492na | 2011-04-29 16:15 | CDレビュー

企画に関してお話をうかがい、映画の会に参加した(深夜のCLACLA)

 南に西にと、京都を移動した一日。


 まず、朝早めに起きて仕事関係や企画関係の作業を進めたのち10時ちょうどに外出し、地下鉄で深草方面へ。
 詳しくは記さないが、現在進めている演劇関係の企画について非常に有意義なご教示ご助言をいただき、強く刺激を受ける。

 その後、JEUGIA四条店に寄ってクラシック担当の山本恭士さんと少しだけ話しをしたあと、13時頃帰宅する。
(JEUGIA四条店には、CPOレーベルからリリースされているヘルツォーゲンベルクのシリーズが揃っていたのだが、あいにく手持ちが少なかったため諦めてしまった)


 帰宅後、アンドリュー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したヨーク・ボーウェンの交響曲第1番&第2番<CHANDOS>を聴きながら、企画関係の連絡作業を行い、仕事関係の用件をいくつか片づけたほか、勝田龍夫の『「昭和」の履歴書』<文藝春秋>を読了し、古川隆久の『昭和天皇』<中公新書>を読み始める。


 16時少し前に再び外出し、今度は阪急で桂まで出、そこから市バスに乗って洛西ニュータウンへ。
 で、末長敬司宅に行って、キノ・フォーラム・キョウ(京都映画研究会)の第0回月例研究会「大手メジャー会社の衰退と独立プロダクションの台頭(1980年代)」に参加する。

 研究会のタイトルにもあるように、今回は、大手メジャー会社が衰退する中でその隙間をついて伸長したアメリカの独立プロダクションのうち、低予算でありながら大手メジャー会社が制作するような大作的作風の作品を志向したキャノン・フィルムズ(メナハム・ゴーランとヨーラム・グローバス)の代表例としてアルバート・ピュン監督の『サイボーグ(原題CYBORG)』(1989年、アメリカ)をとり上げ、上映終了後、その創作面での工夫や作品の特徴などについてあれこれと議論を重ねた。
 上映前に、「核戦争後の文明が崩壊し暴力が支配する世界で闘う(心優しい)ヒーロー」という構成が『マッドマックス』のコピーである『北斗の拳』のさらにコピーでありながら、黒澤明作品のスタッフを務めた経験のあるピュン監督の独特の演出もあってその後のこうしたスタイルの作品の雛形となったことや、主演のジャン=クロード・ヴァン・ダム売り出しの背景、さらには独立プロダクションの先駆者としてのロジャー・コーマン=AIPなど、末長による詳細な解説があったこともあり、会のプレ企画としては納得のいく選択だったと思う。
 もちろん、いろいろと突っ込みどころもなくはないのだが、予想以上に丁寧なシナリオやジャン=クロード・ヴァン・ダムの魅力も重なって、単にファイティングシーンばかりが目立つことのない(当然、それもよく創り込まれていたが)、リリカルな作品に仕上がっていたのではないだろうか。
 個人的には、ヴァン・ダム演じる主人公をイエス・キリストに重ね合わせるシーンなども強く印象に残った。
 また、CGがない時代に、低予算でこれだけの効果を上げることができたという点も、確かに評価に値すると感じられた。

 その後も、映画やシナリオなどについて長く話しをし、夕飯をご馳走になったあと23時近くに末長宅を辞し、23時半前に帰宅した。


 今日は、末長宅でミニチョコレートを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 以上、4月28日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-29 01:19 | CLACLA日記

また雨だった(CLACLA日記)

 昨晩、母から電話があり、少し話しをする。
 この17日で父は70となり、7月には母も70となる。
 いろいろと考えることあり。


 その後、末長敬司らと京都映画の会(仮称)の打ち合わせを行う。
 明日の夕方、第0回の研究会(プレ企画)を開催することもあって。
 どれだけ準備を重ねてもアクシデントは発生する、ましてきちんとした備えもなしに漫然と会をスタートさせることは非常に危険だ、という趣旨の末長の言葉を受けてのことだ。
 その点については、自分自身大いに反省することが身近にあったので。


 さらに、仕事関係や企画関係の作業を進めたため、結局眠りについたのは、明け方5時を過ぎてからになった。


 それでも午前中に起きて、仕事関係や企画関係の作業を進める。
 ほかに、小川洋子の『人質の朗読会』<中央公論新社>を読み進めもした。


 アンドリュー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したヨーク・ボーウェンの交響曲第1番&第2番<CHANDOS>を繰り返し聴く。


 15時少し前に外出し、烏丸通のハン六まで企画関係の書類のコピーに出かけたのだけれど、またぞろ外に出たとたん激しい雨降りになる。
 自分自身の判断ミスとはいえ、うっとうしいかぎりだ。

 それから、コンビニで週刊文春の小林信彦の連載エッセイ(先日亡くなったシドニー・ルメットについて詳しく語られていた)を立ち読みしたり、仕事関係の用件を片づけたり、夕飯用の買い物をすませたりしたのち、16時過ぎに帰宅する。


 帰宅後、ボーウェンの交響曲を聴きながら、『人質の朗読会』を読み進めたり、『能登愚将記』の手直しを進めたりする。
 『能登愚将記』は、原稿用紙24枚分となった。


 夕飯後、企画関係の作業を進めたり、『直級戦感ドマンナカン』を書き進めたりする。
 『直級戦感ドマンナカン』は、原稿用紙12枚分となった。


 『人質の朗読会』を読了する。
 一つ一つの話が丹念に丁寧に創り込まれていることはもちろんだが、冒頭に提示された作品の構成もあって、全てを読み終えたときに、一層強く心を動かされた。
 技術というものがなんのためにあるのかということも改めて思い知らされる一冊だ。

 少し間を置いて、勝田龍夫の『「昭和」の履歴書』<文藝春秋>を読み始める。
 大正期の大蔵大臣(寺内、清浦両内閣)勝田主計の子息で、『重臣たちの昭和史』などの著書でも知られる勝田龍夫が、自らの来し方を綴った一冊である。


 さらにボーウェンの交響曲を聴く。


 今日は、甘いものは食さず。
 その代わり、ミニクリスピークラッカー・チーズ味を食す。
 先日やまやで購入したものの、残り半袋なり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-27 21:57 | CLACLA日記

成田文男が亡くなった(CLACLA日記)

 最近では朝刊のスポーツ欄かネットのニュースで試合の結果を確認する程度だが、ご多分にもれず、僕もプロ野球の熱狂的なファンの一人だった。
 友人たちと運動場や神社、公園、近所の空き地なんかで草野球に励んだことはもちろん、お小遣いをはたいてプロ野球選手の名鑑を購入しては、各チームのプレイヤーたちの名前を次から次へと覚えていったものだ。
 今朝の朝刊で元ロッテ、日本ハムの投手、成田文男が亡くなった(64歳)と知って思い出したのも、そうした自分自身のプチ野球狂時代の記憶だった。
 そうそう、かつてのロッテのピッチャーといえば、まずもってマサカリ投法村田兆治が有名だけれど、当時はほかにもこの成田文男や木樽正明、八木沢荘六、金田留広(カネヤン金田正一の弟)、水谷則博といった投手が控えていたんだった。
(詳しく言うと、成田さんや木樽さんの全盛期は、僕の小学生時代より少し前になる)
 当たり前のことといえばそれまでだが、自分自身が子供の頃に慣れ親しんだ人たちが亡くなっていくのは、やはり辛い。
 深く、深く、深く黙祷。


 俳優の田中実も亡くなった(44歳)。
 夕刊の訃報を読むかぎり、どうも自殺をしたらしいのだが、いったい彼に何があったのか。
 加藤貴子との『温泉へ行こう』が有名だが、最近ではいわゆる悪役もこなしていたらしい。
 端整なマスクの持ち主で、無名塾の出身だった。
 深く、深く、深く黙祷。


 今日は、夕方の買い物以外は外出せず、仕事関係や企画関係の作業を集中して進める。


 若竹七海の『ポリス猫DCの事件簿』<光文社>を読了する。
 面白くって、ついつい読み終えてしまったのだ。

 続けて、小川洋子の『人質の朗読会』<中央公論新社>を読み始める。
 海外旅行のツアー参加中、ゲリラ組織によって拉致され人質となった8人の人々が朗読した話、という構成に、小川さんの強い想いを感じる。
 ゆっくりと読み進めていきたい一冊だ。


 アンドリュー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したヨーク・ボーウェンの交響曲集第1番&第2番<CHANDOS>を繰り返し聴く。


 帰宅後、『能登愚将記』の手直しを進めながら、再びボーウェンの交響曲を聴く。


 夕飯後、企画関係の作業を進めたり、『直級戦感ドマンナカン』を書き進めたりする。


 『人質の朗読会』を読み進める。
 これまで小川洋子の作品はあまり読んでこなかったのだけれど(嫌いというわけじゃない。たまたま読む機会を逸してきたのだ)、今後はぜひともじっくり読み重ねていきたいと思う。

 ほかに、豊崎(本当は大ではなく立)由美の『ニッポンの書評』<光文社新書>や小林信彦の『映画が目にしみる』<文春文庫>の拾い読みをする。


 さらに、ボーウェンの交響曲を聴く。


 今日は、ロピアのとっておき西尾の抹茶ロールを食す。
 千本三条のローソンストア100で、50円引きだったもの。
 小豆入りの抹茶クリームを抹茶地のケーキで包んだロールケーキで、抹茶の風味がよくきいて、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 旧ライブドアの堀江貴文元社長の実刑が確定したとのこと。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-26 22:10 | CLACLA日記

外出時にまた雨が降った(CLACLA日記)

 どんよりとした感じから青空に変わってきたなあと思っていたお昼過ぎ、またぞろ激しい雨が降り始める。
 しかも、昨日と同じくこれが外出中。
 まあ、ちょうど烏丸御池のやまやで買い物をしていたときだったから、小降りになるまで雨宿りをさせてもらったが。
 で、これまた昨日と同じく、しばらくしたらいいお天気、いい青空となる。
 まったくもって、なんだかなあ、だなあ。


 今日は、午前中に外出し郵便局で用事をすませたほか、上述の如く、お昼過ぎにも外出する。

 まず、下京図書館へ行って、田山力哉の『脇役の美学』<講談社>、関川夏央の『女優男優』<双葉社>、田辺久子の『関東公方足利氏四代』<吉川弘文館>、石川真澄の『人物戦後政治』<岩波書店>を返却し、予約しておいた若竹七海の『ポリス猫DCの事件簿』<光文社>、小川洋子の『人質の朗読会』<中央公論新社>、勝田龍夫の『「昭和」の履歴書』<文藝春秋>を新たに借りる。

 その後、トーカイ四条烏丸店で図書カードを購入し、京都芸術センターでいくつか用件を片づけてから、大垣書店烏丸三条店で古川隆久の『昭和天皇』<中公新書>を購入する。

 それから、やまやで買い物をし、再び京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませたのち、17時近くなって帰宅した。


 外出前、仕事関係と企画関係の作業や『能登愚将記』の手直しを進めたり、『直級戦感ドマンナカン』を書き進めたほか、豊崎(本当は大ではなく立)由美の『ニッポンの書評』<光文社新書>を読了する。
 『ニッポンの書評』は、単に書評・ブックレビューばかりでなく、その他のジャンル(例えば演劇公演やコンサート、CD等々)のレビューについても学ぶべき部分の多い、読み応えのある一冊だった。
 これからも、度々拾い読みすることになると思う。


 アンドリュー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したヨーク・ボーウェンの交響曲第1番&第2番<CHANDOS>を繰り返し聴く。


 帰宅後、早速『ポリス猫DCの事件簿』を読み始める。
 『猫島ハウスの騒動』の猫島(若竹七海作品ではおなじみ架空の市、神奈川県葉崎市の)を再び舞台とした連作集。
 今回は、猫島臨時派出所所属のポリス猫DCとその「相棒」七瀬晃巡査が作品の中心となっているようだ。
 読み進めるのが、実に愉しみである。


 ボーウェンの交響曲を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『直級戦感ドマンナカン』を書き進めたりする。


 『ポリス猫DCの事件簿』を読み進める。
 面白いものだから、どんどん読み進めてしまっているなあ。


 ボーウェンの交響曲をさらに聴く。


 今日も、甘いものは食さず。
 その代わり、ミニクリスピークラッカー(チーズ味)を食す。
 やまやで、税込み98円だったもの。
 チーズ風味のきいた小ぶりなクラッカーで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 JR西日本の福知山線(宝塚線)の脱線事故から6年が経った。
 犠牲になられた全ての方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙祷。
 それにしても、JR西日本の体質は、あの事故以降どれほど変化したのだろうか。
 いろいろと考えることがある。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-25 22:39 | CLACLA日記

お芝居を観て、河原町まで出た(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気だなあと思っていたら、正午過ぎ頃から突然雷鳴がとどろき、激しい雨となる。
 ちょうど外出したところで、これがまあ濡れる濡れる。
 前からばかりでなく後ろから雨が飛んで来るものだから、お尻のあたりまでびちょびちょになってしまった。
(おまけに、こういうときにかぎってハンカチを忘れてしまうのだから始末におえない)
 が、その後は雨も止み、お昼の本降りが嘘のような、いいお天気、いい青空に変わった。
 なんたることぞ!

 気温はあまり上昇せず。


 上述した如く、今日は正午過ぎに外出し、地下鉄で松ヶ崎まで出、そこから歩いて人間座スタジオへ行き、tabula=rasaのno.5『無題2 ~強方向もしくは問答』を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 終演後、構成・演出の高田ひとし君や出演者の合田団地君らとしばらく立ち話をする。

 それから市バスで河原町まで出、仕事関係や企画関係の用件をいくつか片づけ、JEUGIA三条本店で『ぶらあぼ』5月号を入手し、タワーレコード京都店でアンドリュー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したヨーク・ボーウェンの交響曲第1番&第2番<CHANDOS>を購入し、ついでに夕飯用の買い物をすませ、18時少し前に帰宅した。


 外出前、毎週恒例の洗濯をすませ、仕事関係や企画関係の作業を進め、石川真澄の『人物戦後政治』<岩波書店>を読了し、豊崎(本当は大ではなく立)由美の『ニッポンの書評』<光文社新書>を読み始める。
 『ニッポンの書評』は、地下鉄やバスの移動中も読み進めた。


 帰宅後、早速購入したばかりのボーウェンの交響曲第1番&第2番を聴く。
 「イギリスのラフマニノフ」と呼ばれているらしいが、確かにイギリスの交響曲の流儀にチャイコフスキーやラフマニノフっぽさが混じっているような感じの作風だ。
 非常に聴きやすい。
(それにしても、いつものことながらBBCフィルの録音はくぐもった感じがして、少々もどかしい)


 夕飯後、企画関係の作業を進めたり、『ニッポンの書評』を読み進めたりする。


 ボーウェンの交響曲を再び聴く。


 今日は、甘いものは食さず。


 元ソニーの社長、会長、大賀典雄が亡くなった(81歳)。
 東京芸術大学、並びにベルリン国立芸術大学の音楽学部を卒業後、ソニーに入社し、井深大や盛田昭夫の薫陶を受けたのち、ソニーのトップとなる。
 CDの開発は、そのもっとも大きな業績の一つとして挙げることができるだろう。
 晩年は、音楽家としての活動を再開し(若い頃はバリトン歌手として活躍した)、東京フィルなどを指揮してもいた。
 深く、深く黙祷。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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by figarok492na | 2011-04-24 23:31 | CLACLA日記

tabula=rasa no.5『無題 ~強方向もしくは問答』

☆tabula=rasa no.5『無題2 ~強方向もしくは問答』


 ミロス・フォアマン監督の『アマデウス』では描かれていなかったものの、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのスカトロジー的言動は知る人ぞ知るものだ。
 ただし、それは、家族や親友たちへの親密さ、愛情の証でもあって、彼の長調の音楽がそうであるように、非常に陽性で快活である。

 一方、tabula=rasaのno.5『無題2 ~強方向もしくは問答』(前田愛美さんテキスト、高田ひとし君構成・演出)における前田さんのそれはどうかと考えると、明らかにモーツァルトのものとは対極にあたる、日々彼女の内面で醸成され沸騰された感情の噴出であり排出だと評することができるのではないだろうか。
 むろん、当然そこに、かつてC.T.T.でとり上げたサラ・ケインをはじめとした他者の影響や、形而上的ないし形而下的な思考枠組の存在を指摘することも可能だが、基本となるものは(出演者としての彼女が最終盤で観せたような)知性ではコントロールしきれない爆発的な感情表現といっていいだろう。
 それはまるで、熟しかけたトマトを自分自身が映った鏡目がけてぶつけているように、僕には感じられる。

 そして、そうやってぶつけられたトマトを拾い集め、そこに塩や香辛料を加えてトマトジュースにつくり直し、客席に目がけてぶちまける、のではなく、コップに注いで飲むように強く勧めるのが高田君の演出であると続けることができるかもしれない。
 高田君の演出には、倣いながら慣れるといった趣きがあって、回を重ねるごとに他者からの影響の咀嚼の仕方もこなれているように感じるのだけれど、今回の公演でも、そうした高田君の変化がよく示されていたように思う。
 ただ、その分、前田さんのテキストと高田君の演出との間にある距離、齟齬が少なからず垣間見えたことも事実で、その距離や齟齬を埋め切ってしまうのか、逆にそれとももっとその存在を明確に示し切ってしまうのかという点は、対前田さんのテキストということにとどまらず、高田君の演出・表現活動にとって今後の重要な課題であるように、僕には思われた。
(前田さんと高田君とで共通する部分があることは言うまでもないし、ラスト近くでの「激しい」表現には心動かされるものがあったのだけれど)

 演者陣は、単に技術的な側面ばかりではなく、舞台での存在感、身体性という意味で、テキストや演出とのずれを感じる部分もありはしたが(前半など)、舞台上における熱意や誠実さはやはり充分に評価されてしかるべきだろう。

 いずれにしても、継続することによってさらに明らかになってくることがあるはずだと僕は思う。
 次回の公演にも期待したい。
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by figarok492na | 2011-04-24 22:37 | 観劇記録