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ルドルフ『授業』

 イヨネスコの『授業』について何か語れと言われたとき、そりゃ批評家を気取りたいなら、この作品の持つ世界観、細かく言えば、人間存在の不安定さだとか、「世界」の把握の仕方、知識と知性の問題、「言葉」について等々、それらしい言葉を並べることはできる。
 そして、そうした事どもが、『授業』という作品の大きな肝であり、大きな鍵であることを、やはり否定することはできない。
 しかし、である。
 それだけを語りたいのであれば、わざわざ劇場に足を運ぶ必要はあるまい。
 少なくとも、イヨネスコの『授業』について何か語れと言われたとき僕は、今は亡き中村伸郎が演じる『授業』を観ることができなかったことが本当に悔しくて仕方がない、とまずもって語るだろうし、筒井加寿子さんが演じた『授業』を観ておいて本当によかったな、と次に語るだろう。

 さて、水沼健さんを演出に迎えた、筒井加寿子さん率いる演劇ユニット・ルドルフによる『授業』を簡単に言い表すとすれば、途中「飛び道具」まで飛び出すような、昔なら朝日シネマ、今なら京都シネマやみなみ会館で上演されるだろう、小気味よいフランス映画タッチの『授業』ということになるだろうか。
 だから、冒頭に記したような事どもを、しっかりじっくり考えたいと考えるむきには、あまりにも口当たりや喉の通りがよすぎるように感じられたかもしれない。
 あれは?
 これは?
 ただ、そういった点に関しては、水沼さんも、筒井さんも、充分承知の上でのことだろう。
 個人的には、『授業』の持つ思考的な仕掛けがないがしろにされていたとは思わないし(それが「笑い」につながっていたということも含めて)、この作品の別の一面、個々の登場人物の言動や相互の関係性から透けて見えるあれこれが巧く描き出されていたのではないかとも思う。
(そうした部分に焦点をあてようとするルドルフの姿勢は、C.T.T.試演会での『結婚申し込み』や前回の『熊』、今回の『授業』と一貫しているのではないか)

 演者陣は、金替康博さん、筒井さん、永野宗典さんと粒ぞろい。
 で、本来であれば金替さんから語るべきところだが、やっぱりどうしてもアメリかジブリといった趣きの筒井さんのキュートさをいの一番に挙げたくなる。
 ぎゃっという絶叫も見事だった。
(余談だけど、知人の厚意でNHKで放映されたマレビトの会の『血の婚礼』を観たが、ここでは筒井さん、宮階真紀さん、ピンク地底人3号君が映像的に光っていた。筒井さんや宮階さんは、いずれ映像関係の仕事のオファーがあるのでは)
 一方、一見グルーチョ・マルクス風、声はダメオヤジ、大泉滉っぽい金替さんの教授も、感情の変化等、松田正隆さんの一連の作品などがそこに重なってなんともおかしく哀しい。
 そして、永野さんの女中も、当を得たキャスティング。
 特に、終盤の教授とのやり取りがいい。

 もちろん、こうした演者陣の魅力や特性を活かした水沼健さんの演出も、高く評価されるべきだろう。
 公開稽古で示された、良い意味での細かさやしつこさが明確に出ていたし、たぶん筒井さんが繰り出したであろうアイデアの取捨選択の部分でも、水沼さんの劇場感覚が充分に発揮されていたのではと感じた。

 加えて、これは言わずもがなかもしれないが、奥村泰彦さんのしっかりと造り込んだ舞台美術をはじめ、スタッフ陣の丁寧な作業が今回の公演を大きく支えていたとも強く思う。

 あと、開演前のトラブルへの臨機応変、機転のきいた対応(本郷麻衣さん制作)に、非常に感心したことも付記しておきたい。

 惜しむらくは、今回の公演の会場が京都芸術センターフリースペースだったこと。
 できればこの公演は、ヨーロッパの小さな、けれど設備がしっかり整った本格的な小屋で観てみたい。
 ルドルフの『授業』は、乾いた土地での上演が、より似合うはずだから。
by figarok492na | 2010-06-14 11:15 | 観劇記録
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