人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< 大震災の発生から3ヶ月が経った... 木曜日は矯正教育学受講の日(C... >>

病院からキノ・フォーラムkyoへ(深夜のCLACLA)

 どんよりとしたお天気。
 夜になって、雨が降り出した。

 むしむしじめじめとして、あまり快ならず。


 今日は、朝6時台に起きて、7時過ぎに外出し、バスを乗り継ぎ大きな病院へ。
 初診だったため、しばらく待たされたのち左膝の診察を行う。
 で、半月板の損傷の疑いが濃厚だが、MRIを撮ってみる必要があるとのことで、20日(誕生日!)にMRIと診察の予約を入れる。

 それからバスで大宮まで戻り、阪急で桂駅まで移動し、市バスで洛西ニュータウンへ。
 で、末長敬司宅で開催された第2回目のキノ・フォーラムkyoの月例研究会に参加する。
 今回は、当方の解説担当で、『松竹「文藝作品」における伝統と革新(1960年代)』と題し、中村登監督の『古都』(1963年、松竹京都)を上映した。
 『古都』は、川端康成の同名作品を原作とした、いわゆる女性映画、「文藝作品」で、監督の中村登も手堅い職人技の持ち主として知られた人であり、権藤利英の脚本もほぼ原作に忠実な内容(父親の創作者表現者としての葛藤を表わした部分が省略されている)であるにもかかわらず、先鋭的前衛的な成島東一郎の撮影と武満徹の音楽、加えて、岩下志麻や吉田輝雄(!)の存在感などにもよって、のちの実験的な作品を想起させるような一種幻想的で怪しげな雰囲気を醸し出したような作品となっていること、しかしながらそれが、実は川端康成の作品そのものや彼自身の性質とも深く関わっているのではといった点を説明する。
(その意味で、武満徹の音楽ではなく、ソルの『魔法の笛』の主題による変奏曲を使用した予告篇を上映したのも正解だったのではないか。ソルの柔らかく暖かい音楽が背景に流れるだけで、映像のイメージが大きく変化したのが面白かった)
 また、先頃亡くなった長門裕之の巧みな演技や京都の風景の切り取り方(以前観た高林陽一監督のドキュメント作品を想起した)、岩下志麻(非常に美しい。でも、どこか市川雷蔵に似ている)の一人二役の自然さなど、あれこれ話しをする。

 ほかに、映画全般、シナリオ全般に関する話しもし、22時過ぎに帰宅した。


 病院での待ち合わせ中、高橋泰隆の『中島知久平』<日本経済評論社>を読了する。


 今日は、東ハトのハーベスト・セサミを食す。
 先日の残りなり。
 なかなか美味しうございました。


 以上、6月10日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
by figarok492na | 2011-06-11 01:18 | CLACLA日記
<< 大震災の発生から3ヶ月が経った... 木曜日は矯正教育学受講の日(C... >>