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劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』

☆劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』
 もしくは、短篇映画『座頭を待ちながら』のメモ

 作:サミュエル・ベケット
 翻訳:安堂信也、高橋康也
 演出:林海象
(2012年7月15日、京都造形芸術大学映画学科Aスタジオ)



 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがマレイ・ペライアの伴奏で歌う、シューベルトの歌曲集『冬の旅』から「菩提樹」。

 村外れの街道。
 一本の大きな木の傍らに、たっちゃん遠藤太津朗演じる老親分と江幡隆志演じる老子分が立っている。
老親分「いちゃ、まだか」
老子分「えっ、お茶ならさっき飲んだでしょ。またしょんべんが近くなりますぜ」
老親分「馬鹿! お茶じゃねえ、市だ!」
 ご維新からはや三年。
 老親分と、ただ一人一家に残った老子分は、かわいい子分の敵であるにっくき座頭市を今日も今日とて待っている。
 本郷功次郎が街道を通る、藤巻潤も街道を通る。
 けれど、市はやって来ない。
 と、そんなとき藤村志保演じるお志保さんと、五味龍五味龍太郎演じる従者の月蔵が通りかかる。
 で、老親分がすけべ心を思い出したものだから、さあ大変。
 怒った月蔵ががばと両腕振り上げた。
 そこに重なる大魔神の映像!
 畏れ戦く老親分、呆れる老子分、笑うお志保さん。
 そんなお志保さんと月蔵が去って行くと、今度はカントリーウエスタン調に身をやつした諸さん諸口あきらがやって来るではないか。
「イエス様が来てくれた」
「眼が不自由な人のようにさまよっていたけれど、今は正しい道に戻れた」
 歌うは、『刑事コロンボ』の「白鳥の歌」でもおなじみ「I SAW THE LIGHT」。
 そして、陽は暮れて。
 はるか向こうに誰かが見える。
 あれは市か?
 それとも雁龍(雁龍太郎)か? 二代目三波伸介か?
 今日も老親分と老子分の一日が終わっていく…。

 以上、『座頭を待ちながら』、一巻の終わり。


 おっといけない。
 林海象演出による劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たせいで、ついついあらぬ方向へ考えがいってしまった。
(たっちゃん遠藤太津朗さんの死は、返す返すも残念でならない)

 これまで長谷川伸の『瞼の母』や森本薫の『花ちりぬ』を上演してきた、京都造形芸術大学映画学科の女優陣によって結成された劇団姫オペラだけれど、今回座長の海象さんが選んだ作品は、なんと不条理劇の十八番ゴド待ち。
 当然、主人公の二人(加えてポッツォ)を演じるのは、まだうら若き乙女たち。
 いやこれは大変や、ご無理ご無体な、と思わなくもなかったが、一方で、あのゴド待ちを林海象がどう料理するのかと興味津津でもあり、おっとり刀で京都造形芸大の高原校舎へ足を運んだ。

 救済への渇望が明確に表わされたり、抒情性に富んでいる反面、スラプスティックさを強調しつつ速いテンポですとんすとんと物語が進められていったこともあって、観る側にとってとても接しやすく、受け止めやすい舞台となっていたのではないか。
 ベケットが老いた登場人物たちに仮託したであろう痛切さ切実さ(例えば、「世界の涙の量は一定だ。だれか一人涙を出せばどこかで誰かが泣き止むんだ」という台詞にこめられた)とは別種のものであるかもしれないけれど、劇団姫オペラの若い演者たちがひたむきに必死にテキストと向かい合う姿には、清々しさと初々しさを強く感じるとともに、これから彼女たちが失っていくだろう長い時間を想ってしまったこともあり、強く心を動かされた。
(そして、そのことからも、ふと中原俊監督の『櫻の園』を思い起こした)

 役者陣では、ラッキーを演じたVOGAの近藤和見が、やはり何日ものもある演技を披歴していて、流石だなあと感心したが、中里宏美、土居志央梨、仙洞田志織、重森大知という若い面々も、海象さんの演出意図によく従って大健闘大熱演だったと思う。
 願わくば、同じアンサンブルでの再演を期待したいところだが、これは諸事情から難しいかな。

 と、言うより、僕は40年後の彼女たちが演じる『ゴドーを待ちながら』をぜひ観てみたい。
 いや、そのときには、海象さんも、僕も、いや、アンサンブルのうちの誰かもすでにこの世にいないかもしれないが。
 まあ、そうしたことと真正面から向き合うことは、『ゴドーを待ちながら』の中に織り込まれていることだろうし、稲垣足穂の原作を映画化した林海象監督の新作『彌勒』ともたぶんつながっていることなのだろうけれど*。

 いずれにしても、観ておいて正解の公演だった。



*追記
 本当は『ゴドーを待ちながら』と『彌勒』の関係性について、ベケットと稲垣足穂のセクシュアリティなども絡め合わせながらいろいろと考えてみたいのだが、林海象監督の新作『彌勒』を予告篇しか観ることができていないため、ここではやめておく。
 それにしても、『座頭を待ちながら』を海象さんに撮ってもらいたかったなあ。
 馬鹿言うな、とこっぴどく叱られるか、無視されるかのいずれかだろうが。
by figarok492na | 2012-07-17 13:41 | 観劇記録
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