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サイモン・ラトルとバーミンガム・シティ交響楽団のブルックナーの交響曲第7番

☆ブルックナー:交響曲第7番

 指揮:サイモン・ラトル
管弦楽:バーミンガム・シティ交響楽団
(1996年9月/デジタル・セッション録音)
<EMI>CDC5 56425 2


 サイモン・ラトルも、来年1月の誕生日で満60歳か。
 いや、アバドもマゼールも、ブリュッヘンも亡くなったんだから、ラトルが60歳になるのも無理はないことだけど。
 ちょうどクラシック音楽を聴き始めた頃とラトルの初来日が重なって、FMで聴いたその颯爽として若々しい演奏が未だに鮮明に記憶に残っているせいか、時の流れの速さにはやはり唖然としてしまう。

 ラトルの実演に接したのは、まだ2回しかない。
 そのうち、1991年2月12日にザ・シンフォニー・ホールで聴いたバーミンガム・シティ交響楽団の来日公演のほうは、マーラーの交響曲第9番という大曲をまだ巧く掴みきれていなかったこともあって、音の波に流されているうちに演奏が終わり、ああ左利きのヴィオラ奏者がいたなとか、終演後の拍手が早過ぎたんじゃないかとか、些末なことばかりを思い出す。
 1993年9月8日、ケルンのフィルハーモニーで聴いた、これまたバーミンガム・シティ交響楽団とのコンサートのほうは、はっきりと音楽のことも覚えている。
 シャープでクリア、切れ味抜群のバルトークの管弦楽のための協奏曲に始まり、バーミンガム・コンテンポラリー・グループだったかな、小編成のアンサンブルによる精度の高い、シェーンベルクの室内交響曲。
 休憩後のお国物、エルガーのエニグマ変奏曲も、歌わせるべきところはたっぷり歌わせ締めるべきところはきっちり締めるドラマティックでシンフォニックな演奏で、おまけにアンコールのドビュッシーの牧神の午後への前奏曲の清澄な響きと、オーケストラ音楽の愉しさを満喫することができた。
 終演後、感極まった実業家然とした恰幅のよい見知らぬ壮年の男性から、「よかったねえ!」とドイツ語で声をかけられ、「はい!」と応えたほどだった。

 ラトルとバーミンガム・シティ交響楽団にとって後期の共同作業となる、このブルックナーの交響曲第7番は、彼彼女らの特性がよく表われたCDとなっている。
 先達たちの演奏と同様、叙情性に富んだ部分は伸びやかに歌わせつつ、音色自体は透明感にあふれていて、重たるくべたべたと粘りついたりはしない。
 また、第2楽章・トラック2の19分19秒から50秒あたりを作品の頂点に置きながらも、後半の第3、第4楽章でもしっかりメリハリをつけて飽きさせない音楽づくりなど、ラトルの本領がよく発揮されているのではないか。
 バーミンガム・シティ交響楽団も、そうしたラトルの解釈によく沿って、過不足のない演奏を繰り広げている。
 個々の奏者の技量云々より何より、アンサンブルとしてのまとまりのよさ、インティメートな雰囲気が魅力的だ。

 ただ、だからこそ、いつもの如きEMIレーベルのくぐもってじがじがとした感じの鈍くて美しくない音質がどうにも残念だ。
 実演に接したからこそなおのこと、クリアで見通しのよい録音がラトルとバーミンガム・シティ交響楽団の演奏には相応しいように感じられるのに。
 正直、ベルリン・フィルのシェフに就任してなお、EMIレーベルと契約を続けたことは、ラトルにとってあまり芳しいことではなかったように思う。

 いずれにしても、すっきりとして美しいブルックナーの交響曲第7番の演奏をお求めの方には、お薦めしたい一枚である。

 それにしても、ベルリン・フィルを去ったあとのラトルは、一体どのような音楽を聴かせてくれるのだろうか。
 非常に興味深く、愉しみだ。
by figarok492na | 2014-08-24 15:21 | CDレビュー
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