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チャールズ・マッケラスの未完成交響曲の完成版

☆マッケラスが指揮した未完成交響曲の完成版

 指揮:チャールズ・マッケラス
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(1990年11月、ロンドン・アビーロードスタジオ1/デジタル・セッション録音)


 亡くなってからほどなくして刊行された井上ひさしの一連の未完成作品を読んで、どうしてもそこから先が読みたいと思った方も少なくないのではないか。
 そして、そうした想いが高じて、そこから先を書き繋ぎ、なんとか完成した作品に仕立て上げようと挑んでみる人間が出てきても、全く不思議ではない。
 水村美苗の『続明暗』など、そうした挑戦の成果の最たるものの一つだし、それより何より、シューベルトの未完の作品を再構築してみせたルチアーノ・ベリオの『レンダリング』がある。
 ただ、これらは各々の原作を十分十二分に読み込みつつも、結局自分は漱石でもなければシューベルトでもない、水村美苗でありルチアーノ・ベリオであるという断念と自覚自負によって為された創作であることも忘れてはなるまい。
 だから、学術的意匠を纏って為された同様の作業には、その作業への真摯さは疑わないものの、謙虚な姿勢とコインの裏表にあるだろうある種の傲慢さ、臆面のなさを感じないでもない。
 いや、それが言い過ぎとしても、机上の作業というか、原作者はもちろん、上記の水村美苗やルチアーノ・ベリオの作業から感じ取れる表現意欲や生々しさには乏しい。
 てか、ぶっちゃけ面白くないのだ。
 例えば、CDで聴いたホルストの組曲『惑星』の「天王星」だっけ、あれもたいがいだったし、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮ロイヤル・フランダース・フィルの来日コンサートにおけるブルックナーの交響曲第9番の完成版も、なんでこんな初期の序曲かなんかみたいな音楽聴かされなあかんねんと呆れる代物だった。

 で、このCDに収められたブライアン・ニューボールトによるシューベルトの未完成交響曲の完成版はどうかというと、シューベルトが遺した冒頭部分を駆使した第3楽章にせよ、『キプロスの女王ロザムンデ』の間奏曲第1番を転用した第4楽章にせよ、その努力は充分に認めて、箸にも棒にもかからないとまでは言わないのだけれど、やっぱり無理して完成させる必要はないやんか、というのが正直な感想だ。
 ロマンティシズムの噴出とでも呼びたくなるような第2楽章までの透徹した作品世界が、一挙に地上に引きずり降ろされたというか。
 マッケラスとエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団が丁寧な演奏を心掛ければ心掛けるほど、第4楽章など前半の2楽章を受けるにはあまりにも「シアトリカル」に過ぎる等、その落差を感じずにはいられなかった。

 カップリングの交響曲第5番や『ロザムンデ』のバレエ音楽第2番(オーケストラのアンコール・ピースとして有名)は、遅すぎず速すぎずのテンポに勘所をよく掴んだマッケラスの音楽づくりの手堅さと、オーケストラの安定した精度が相まって、なかなかの聴きものである。
 マッケラスとエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団には、『ロザムンデ』の全曲、もしくは抜粋版を録音しておいて欲しかった。
by figarok492na | 2015-05-04 19:38 | CDレビュー
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