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なんと冷笑的な

 思うところがあって、今から10年以上も前に書き上げた、『ヘンゼルとグレーテル もしくは、舞台の裏の表の裏』という戯曲を読み返している。

 『ヘンゼルとグレーテル、以下省略』は、フォン・ディーツェンバウムなる架空のドイツ人作家がものしたという体をとった「D三部作」の二番目にあたる作品で、おなじみグリム童話、というよりも、フンパーディンクのオペラに加えてヴェーデキントのルル二部作(『地霊』、『パンドラの箱』)を下敷きにし、ナチスが政権を奪取するかしないかの1930年代前半のドイツに舞台を設定した、と語るだけで、察しのよい方ならば、だいたいどのような展開をたどっていくかがおわかりになると思う。
 まあ、冒頭に置いた、
>あるじゃあないかよ
 金貨がたっぷり
 お札もどっさり
 ばばあの呻きが聞こえても
 思いやりなど微塵もねぇ<*注
という、ヴェーデキントの『伯母殺し』という詩の一部が全てを象徴しているのではないか。

 それにしても、「かわいいお子様のための舞台劇」と銘打ちながら、途中絶命館大学の大波総長、御徒町革命部長(当時、上野何某という教授がいたのだ、立命館大学に)が登場したり、登場人物が放送禁止用語を連発したりと、なんともかともな内容には、我ながら穴があったら入りたい心境だ。

 おまけに、幕切れ(本当は、このあとに八つ裂きジャックなる怪人物が登場するのだが)に置いたヴォードヴィルの歌詞たるや、以下に記す通りなのだから、シニカルさもここに極まれりではないか。

★幕切れのヴォードヴィル
 1:ペーターとゲルトルート(ヘンゼルとグレーテルの両親)
 ひとを愛せよ慈しめ
 争いごとなく抱き合え
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を立てるな諍うな
 しょせんこの世は茶番劇

 2:ウンズィン=ばかとケーゼ=おろか
 ひとを笑うな笑われよ
 賢いことなどやめておけ
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を抱えて笑っても
 しょせんこの世は茶番劇

 3:ヘンゼルとグレーテル
 ひとを頼るな信じるな
 優しい言葉は嘘ばかり
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を開いて語っても
 しょせんこの世は茶番劇

 4:全員
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を立てても怒っても
 しょせんこの世は茶番劇
 しょせんこの世は茶番劇

 正直、今ではこういう内容の作品を書けはしない。
 なぜなら、シニカルを気取ることができるのは、結局目の前のあらゆる状況に対して甘えていられる余裕があるということなのだ。
 今は、そんな余裕など、どこにもない。
 はずだ。


 *注
 岩波文庫の『ドイツ名詩選』所収の檜山哲彦訳を参考にして、それに少し手を加えたものである。
by figarok492na | 2009-04-06 17:44 | 創作に関して
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