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本多優之さんからメール便が届いた(CLACLA日記)

 旧知の指揮者、本多優之さんからメール便が届く。
 ニコラウス・アーノンクールの著書の翻訳があることからもわかるように、本多さんはピリオド奏法を自家薬籠中のものにするとともに、リゲティをはじめとしたいわゆる現代音楽の解釈にも秀で、また東京混声合唱団の指揮者を務めていたりもした。
 僕自身は、15年ほど前の国際交流基金ケルン日本文化会館での実習中(その一端は、当ブログの欧州音楽日記などをご参照のほど)、その空き部屋を貸してもらったことが契機となって、たびたび本多さんの話をうかがう機会をいただいているが、単にオーケストラ演奏やクラシック音楽に限らず、ひろく文化的社会的な話題で、様々に刺激を受けている。
 今回のメール便には、9月5日、6日に予定されている仙台オペラ協会第34回公演、モーツァルトの『魔笛』(管弦楽は、仙台フィル)のチラシとともに、本多さんが講師を務める宮城学院女子大学生涯学習講座の案内も同封されているが、いずれも興味深く、近い場所だったら必ず足を運ぶのに、と本当に残念でならない。
 ぜひとも京都(関西圏)で、本多さんの指揮するコンサートに接したいものだ。

 郵便局の怠慢だろう、ある人からのバースデーカードが今頃になって届いた。
 でも、バースデーカード自体は嬉しいので、あまりいらいらしないことにしよう。
(郵便局、というか郵便会社には念のため電話をかけておいた)

 宮脇俊三の『旅は自由席』を読み進める。
>九州の佐賀線(昭和62年、廃止)も水郷の柳川を通る水っぽい線である。
 圧巻は筑後川の河口近くに架けられた開閉橋を渡るところだろう。
 速度を20キロに落としてソロリソロリと渡る窓の下は満々と滞留した川面で、ちょっとスリルがある<
(所収「夏の旅」より)
 佐賀線は、小学校低学年の頃、今は亡き母方の祖父と天草旅行をした折に乗ったことがある。
 急行『ちくご』を利用して長崎から熊本まで出、そこからバスで天草へ向かったのだ。
 宮脇さんが記した筑後川の開閉橋もうっすらと記憶に残っている。
 ちょうど天気が崩れかかったときで、筑後川もどんよりとした色をしていたように思う。
 それにしても、佐賀線の廃止が1987年ということは、僕の高校時代には廃線になっていたということになる。
 いろいろと感慨深い。

 『ブレヒト戯曲集第5巻』も読み進める。
 『胆っ玉おっ母とその子供たち』を読み終えたが、この作品は、大竹しのぶ主演の公演と、この作品を下敷きとした斎藤晴彦主演の『隠し砦の胆っ玉』(黒テントの公演)とを観ている。
 どちらも観応えのある公演だったが、大阪城公園内の特設テントで上演された『隠し砦の胆っ玉』の特にラスト、斎藤晴彦演じる肝っ玉おっ母が大阪城のあたりを目指して幌車を引きつつ去って行く情景は未だに忘れられない。
 やっぱり、もっともっといいものを観なくちゃ!
(続けて、『ゼチュアンの善人』を読み始めた)

 『これから』のプロローグの下書きをすませ、PCへの打ち出しを開始する。
 プロローグは、この作品の背景(大逆事件と日本の「冬の時代」)を明示するために付け加えたものだが、ちょっとあざといか?
 やっぱり、もっともっといいものを書いていかなくちゃ!

 ネットラジオで、アンドリス・ネルソンス指揮バーミンガム・シティ交響楽団の演奏した、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』全曲のライヴ録音を聴く。
 プロムスでの録音である。

 そうそう、もしやと思ってほぼお陀仏状態のCDプレーヤー兼ラジオに、100円ショップのステレオイヤホンを差し込むと、案の定、しっかり音楽を聴くことができた。
 むろん、100均のイヤホンでは音が悪いので音楽を聴くことはしなかったが、プレーヤーを買わずとも、ヘッドフォンでなんとか「ごまかせ」るということがわかったのは、大収穫だった。
(ただ、ヘッドフォンで音楽を聴くと、耳が疲れるんだよなあ…)

 17時台に、浴室とトイレの掃除をすませる。

 今日は、夕飯用の買い物に出かけただけ。
 『これから』の作業をはじめ、いろいろとばたばたしていたため。

 どんよりとしたお天気の一日。
 湿度も高く、むしむしじめじめとしてあまり快ならず。

 夕飯後、ネットラジオでアンドレイ・ボレイコ指揮デュッセルドルフ交響楽団の演奏したチャイコフスキーのマンフレッド交響曲の後半部分と、フォルテピアノのロナルド・ブラウティハムの演奏したベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番(ともにライヴ録音)を聴く。

 今日は、甘いものは食さず。

 政治評論家の細川隆一郎が亡くなった。90歳(もうそんな年齢になっていたのか)。
 政治評論家としてだけではなく(よりも?)、バラエティ番組やコマーシャルでのタレント活動も強く印象に残っている。
 辛口、雷親爺、頑固を自任していたが、人柄の善さもその言動に表われていたように思う。
 深く、深く黙祷。
(そういえば、中曽根康弘のことを「なかぞね、なかぞね」と呼んでいたんだよね、細川さんは。余談だけど、国鉄の分割民営化、赤字路線の廃止を強力に推し進めた一人が、中曽根康弘だ)

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
by figarok492na | 2009-08-26 22:18 | CLACLA日記
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